BACK

 出されたお茶を一口飲み、一度気持ちを落ち着ける。オルランドはまず何から訊ねるべきなのかを考え、その上で慎重に問いを口にする。
「何故あなたの息子さん、ゲオルグは、魔王となって世界と戦ったのでしょうか?」
「その前に、私からもお訊ねしたい事があります。あなたは、何故そんなに魔王のことなどを調べているのですか?」
「私は幼少の頃に魔王と実際に対面した事があります。私の実家の家業の一つが軍需品の製造を行っており、その工場の一つを狙われた際の事でした。私は魔物を従えた魔王に命を救われています。その時の印象があまりに強くて、とても世間の風評の魔王が信じられないのです」
 オルランドの言葉を聞いたマルガレタは、噛み締めるように一度大きく頷いた。
「そうでしたか。それでは私の知る限りの事はお話いたしましょう。もっとも、私の主観が混じった話にはなりますが」
 マルガレタはお茶を飲みながら喉の調子を整える。その仕草は決心を固めているようにも見えた。魔王となった息子の事など、これまでそう何度も話す機会などあるはずがないのだから、そのせいだろうとオルランドは思った。
「まずあの子の生い立ちから話しましょう。実のところあの子は、私が産んだ子ではありません。当時、私が勤めていた修道院の前に捨てられていた赤子を私が引き取って育てたのです」
「養子ですか。実の両親は?」
「さあ、あれから一度も連絡などありませんから、何処で何をしているのやら。それに私はあの子を実の息子として今でも愛しておりますので。今更探しても詮無い事でしょう」
 魔王となった息子を今でも愛している。それは生半可な覚悟では口にできない言葉だとオルランドは感じた。例え養子だとしても、彼女は本当に魔王ゲオルグを実の子と同じに思っているのだろう。
「ゲオルグは非常に聡明で優しい子でした。物心ついてからはアルテミジア正教の教えをあっという間に覚え理解し、それを分かりやすく人に教える事もするようになりました。ですから、教徒達の噂になって本部の方にも届いたのでしょう。あの子は当時の大司教の一人に目をかけて戴き、やがて付き人として公務を勉強するようになりました。きっと将来の大司教の候補に思われているのだろう、私はそんな事を思って喜んでいたものです」
「その言い方ですと……実際は違った?」
「全く違う訳でも無かったと思います。ただ、本当の目的は別でした」
 そこでマルガレタがぎゅっと強く手を握り締めた事にオルランドは気が付いた。
「ある晩の遅くの事でした。突然あの子が家へ帰ってきたのです。その日は聖堂の方で遅くまで仕事があるから帰って来ないと言っていたので、とても驚きました。ですが更に驚いたのは、あの子の様子です」
「様子?」
「あの子は裸足に寝間着のままで、顔に幾つか新しい痣ができていたのです。何があったのかをあの子は話しませんでしたが、私はその姿を見て察しました。そして震えたままうつむいているあの子を、ただただ抱き締めるしか出来ませんでした」
 震えるような声で話すマルガレタ。オルランドもまた、その話の内容だけで何が起こったのか大筋想像がついた。そしてそれは、自分を拘束した大司教の話とも繋がりがあるように感じる。話に出て来た大司教とは彼の事ではないだろうが、何が起こったのかは知っていたに違いない。彼が口止めされていたのも、おそらくその事に関するものだろう。
「私はそれからあの子を聖堂には行かせませんでした。何度か使者が訪ねて来ましたが、それも全て追い返しました。当然です、あのような獣の巣窟へわざわざ息子を送る理由などありませんから」
「しかし教会側は、そのままにしたのですか? こう、もっと強引な手に出たりとかは?」
「初めは私もそれを警戒しましたが、程なくぱったりと音沙汰は無くなりました。それで分かったのです。そのおぞましい出来事は、ゲオルグが初めてではないという事に。きっと私が騒ぎ立てないのを見るや、もう気にも留めなくなったのでしょう」
「つまりそれは、組織的に行われている習慣のようなものだったと?」
「ええ、そうです。私は密かに同じような被害に遭った子供がいないかを調べましたが、みんな口を閉ざしてあまり有益な情報は得られませんでした。ですが、それだけで十分です。教会はあのおぞましい行為を長年繰り返し、被害者には何らかの口止めをしている。そうとしか思えない状況です」
 魔王について調べ回った自分もまた、口止めされているような証言を幾つか聞かされた。この街においては、そういった情報の統制は当たり前のように行われているのだろう。むしろ自分を拘束したあの大司教は、良心的な部類の関係者である。
 魔王の生い立ちを追っていたのだが、まさかこんなスキャンダルにぶち当たるとは。オルランドは困惑を隠しきれなかった。アルテミジア正教のスキャンダルに興味はないと言えば嘘になるが、流石に身命と引き換えにつまびらかにするほどの理由がある訳でもない。自分を拘束した大司教は、これを世間に公表したかったのだろうか。そして彼らに口止めしていた者は、魔王について調べると必ずそこに突き当たるから、そこからの発覚を恐れていたということなのか。
「ゲオルグはあの日以来ふさぎ込みがちになりました。仕方のない事です。私も何とか励ましたり支えてやろうと必死でした。いっそこの街を出て、どこか知らない土地に移住することも考えたくらいです。そんな時でした。あの子に、私には理解し難い事が起こったのです」
「理解し難い?」
「はい。それから間もなくです。あの子が、いわゆる魔王と呼ばれる存在となったのは」