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手紙の住所を辿るオルランドが行き着いたのは、街の外れにある小さく古い家だった。通りからも外れ、観光客は元より街の住人ですら足を運ばないような立地である。家のすぐ裏は街を囲む城壁で、庭も本当に僅かな広さしかない。ただ、日当たりだけはまあまあ良さそうに思う。これがオルランドの抱いた印象だった。
「すみません、どなたかいらっしゃいますか?」
呼び鈴が無いため、玄関のドアを二度三度とノックしながら中へ呼び掛けてみる。すると程なく中から人の足音が聞こえ、そしてドアが開けられた。現れたのは、ごく普通のどこにでもいそうな中年の女性だった。
「あら、どちら様かしら?」
「私はオルランドと申します。教会から手紙を届けるよう言い使っております」
オルランドが差し出した封筒を受け取ると、彼女は表裏とひっくり返して確かめる。
「あの、失礼ですが。マルガレタさんでしょうか?」
「あらごめんなさい。手紙なんて久し振りだったから。ええ、そうよ。私がマルガレタで間違いないわ。さあ、中へいらして。お茶をお出ししましょう」
頼み事は手紙を渡す所までだったが、せっかくの誘いを無碍には出来ない。オルランドは招かれるまま家の中へと入った。
オルランドが通された居間は、やはりごく普通のありきたりな部屋だった。これと言って特徴的な調度品もなければ、目を惹くような奇特な物がある訳でもない。ただ、それが逆にオルランドには違和感を覚えさせた。マルガレタは大司教と何らかの繋がりがあるから手紙を送られたのだが、マルガレタの家はあまりアルテミジア正教らしい雰囲気が感じられないのだ。宗教都市と呼ばれるほどアルテミジア正教の信仰が盛んな街にも関わらず、宗教画やロザリオが一つも見当たらない。普通は最低限でも聖典の一冊も目立つ所に置いているはずなのだ。
マルガレタはアルテミジア正教を信仰していないのだろうか? もしくはそれ以前に、信仰する宗教そのものが無いのかも知れない。
そんな事を考えつつ、やがてマルガレタが用意したお茶をゆっくりと味わって飲んだ。
「オルランドさんだったかしら。あなたは、アルテミジア正教の信徒ではないのかしら?」
マルガレタが唐突にそんな事を訊ねてきた。
「ええ、私は新教の方です。今回はちょっとした事で頼まれただけでして。ああ、私は親の金で旅をしている放蕩息子なので、別に忙しく無いんですよ」
「そう。でしたら、これはそういう事かしらね」
そうマルガレタは、いつの間にか開封していた封筒から便箋を取り出し、その中身がオルランドへ見えるように向けた。
「えっ……?」
手紙を見たオルランドは眉間にシワを寄せて訝しい表情を浮かべる。マルガレタの示した手紙は、何の文章もないただの白紙だったからだ。
「その様子ですとオルランドさんは、私の事をご存知ないのでしょうね。それなのにここへ寄越されたという事は、何か私に訊きたい事がおありなのでは?」
「いや、その……。あなたの事は本当に何も知らなくて。確かに私には色々調べている事があるんですけれど、それがマルガレタさんとどう繋がっているかは、その」
「何もご存知ないのであれば、こう話せば多少は話しやすくなるでしょう」
マルガレタは白紙の手紙を小さく手の中で丸め、どこか憎々しげな雰囲気を見せながらくずかごへ捨てた。
「私は、魔王の母です」
「……はい? いえ、その、魔王とはあの?」
「そうです。世界中で戦争を繰り広げたあの魔王です」
魔王の母親。オルランドは、彼女の意外な素性に困惑する。果たして本気で言っているのか。それがまず思い浮かんだ言葉だった。あの魔王に母親がいたとしても、それは大して不思議ではないが、魔王の身内がアルテミジア正教の総本部のお膝元に住んでいる事は少々不自然ではないだろうか。しかし騙りであるなら、大司教がわざわざこんな回りくどい紹介をする理由もない。なら彼女は本当に本物の魔王の母親なのだろうか。
「あの、本当に本物なのですね……?」
「ええ、信じがたいでしょうが、事実です」
「でしたら、どうしてこんな所に住んでいるのですか? アルテミジア正教は、魔王に非難声明を出すような関係ですけれど」
「母親が息子の肩を持つ事がそんなにおかしいでしょうか?」
はっきりと断言するマルガレタ。その迷いのない彼女の眼差しに、オルランドは彼女が嘘偽りを述べていない事をようやく確信する。
「今の時代、親子でも理由があれば殺し合いなんて普通にあります。息子が魔王になるなんて、それは縁を切る理由にはならなかったのですか?」
「最初は流石に驚き悩みました。ですが、あの子の真意が分かってからはひたすら信じる事にしましたから」
「真意?」
「ええ、そうです。あの子はそもそも魔王だなんて呼ばれるような存在ではありません。アルテミジア正教が勝手にそう呼ぶようになっただけです。ですから私は、あの時から新教へ改宗しました」
この街で、正教から新教へ改宗するなど並大抵の事情ではない。つまり彼女は単なる親子の情愛だけでなく、息子である魔王に対して何らかの正当性を感じているのだろうか。