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オルランドは、メルクシスで随一の資産家の三男として生を受けた。実家は多角的な事業を行っているが、取り分け規模が大きいのは軍事製品の製造である。一般兵の兵装から、火薬の精製、大砲や軍艦といった大型兵器の製造と幅広く取り扱っており、顧客は世界各国に持っている。
裕福な家庭で、歳の離れた末子という事もあり、オルランドは家族からは比較的甘やかされて育った。生来好奇心の強かったオルランドは幼少の頃から家業には興味を持ち、何でも見たがり何でも知りたがった。オルランドには寛容な親族達はそれを将来が頼もしいなどと喜び、たびたび会社の執務室や製造現場へオルランドを入れていた。そしてオルランドはそれを良いことに、あらゆる現場を子供なりに見学し体験して憶えていった。
事件が起こったのは、オルランドが十歳になった直後だった。物心もついたオルランドではあったが、相変わらず家業への好奇心は強く、半ば見習いのように製造工場を回っていた。その日はメルクシスから少し離れた港町にある軍艦の製造工場へ泊まり込みで来ていた。工場には海洋業の責任者である叔父がいて、オルランドは叔父と共に現場を見て回っていた。当時は既に人類軍と魔王軍の戦争は激化しており、それに伴って軍艦の注文も非常に多く入っていた。平時ではほとんど行われない軍艦の建造が盛んになっているとあっては、オルランドの好奇心は非常に高まっていた。
完成の近い軍艦の内装工事を見学し、近くのレストランで叔父と共に昼食を取って工場へ戻ろうとした時に事件は起こる。突如港の製造工場から爆炎が上がった。それは失火による炎という比ではなく、爆発以外に表現のしようが無い勢いだった。これを見た町中の人間は、事故ともう一つの可能性を連想する。それは、今まさに交戦中である魔王軍の襲撃だ。
叔父はオルランドにホテルへ戻るようにきつく言い渡すと、自分は血相を変えて港の工場へ向かっていった。事故であろうと魔王であろうと、工場の機能が止まる事は莫大な損失を産むからである。当時のオルランドはそういった金銭的な事は理解しておらず、更には大人達の目を盗んで単身港へと向かってしまった。幼い故に事故や炎の恐ろしさを理解できない事と、生来の強い好奇心がこの非常事態へ強く惹き付けられたからだ。
子供の足ではいささか距離はあったが、オルランドが工場へ到着した頃は未だ炎は黒煙と共に上がり続けていた。付近には命からがらで逃げ延びた工員達の姿があり、いずれも一刻も早くこの場から逃げようとしている。その一方で、留まろうとする者や消火活動を行おうとする者が一切いない事にオルランドは気付かなかった。
オルランドは大人達に見つかれば町へ連れ戻されるため、物陰に隠れながら工場で起こっている事がただの火事だと思いながら眺め続けていた。だが次第に、この火事をもっと間近で見たいと思うようになった。火が危険である事は知っているが、工場全てが燃えている訳は無く燃えていない所ならまだ安全であり、いざとなれば急いで出れば大丈夫である。そんな浅い認識でオルランドは工場へ近付いていった。
燃え盛る炎は工場の中心辺りから出ているようだったが、まだ出入り口付近までは火が回っていない。そこでオルランドは、火元に近付けるだけ近付いてみようと中へ足を踏み入れた。オルランドは自分が来た道が燃えていない事を注意深く気にしながら中へ進んでいく。背後を気にするのは、いざという時の退路の確保であると自分では考えていた。それは火の周り方を理解していない子供の浅知恵でもあった。
午前中に散々見て回った工場だったが、火事の現場となると新鮮な光景に見えた。物が燃えて変質するのが子供心に面白かったのだ。子供であるため火を扱わせて貰えない事も、火に対する好奇心に拍車をかける。オルランドは夢中になって火元へと進んでいき、自分の退路は既に火が回って失われた事にすら気付いていなかった。そして煙が充満して視界や呼吸が制限され、辺りの熱気が肌を刺すほど強くなってきたと思った時、オルランドは自分が非常に危険な状況下にある事を自覚した。
このままでは命が危ない。そう思った途端、オルランドはパニックを起こした。もはや自分がどこに居るのかも分からない状況のため、ただひたすら火の少なそうな方向へひた走る。いつしか両親や叔父を呼びながら泣き喚き始めた。そしてようやく自分が取り返しのつかない愚かな事をしたと理解する。誰かの助けは期待出来ない。出口どころか安全な場所すら見つからない。そんな中をひたすら泣きながら走るオルランド。その時、まるで追い討ちをかけるかのようにオルランドの背後から爆発が起こり、その爆風を受けたオルランドは大きく吹き飛ばされた。塗装に使う揮発性の高い薬品が詰まったドラム缶の側を、運悪く通りかかってしまったせいだった。オルランドの幼い体は軽々と浮き、そして煤と木片が散らばる固い床へ擦り付けられる。熱さと痛みで呼吸すら苦しいと思ったのは生まれて初めての事だった。全身を覆う激痛に思考も麻痺し涙すら出なくなっていた。ただ漠然と、このまま死ぬのかと、半ば諦めかけてすらいた。
その時だった。痛みで動かない体で顔だけ起こしたオルランドは、頬に潮風が当たるのに気が付いた。前方を見ると、いつの間にかオルランドは、進水式を行うドッグまで辿り着いていたのだ。ドッグには三隻の完成した軍艦が碇泊しているが、いずれも激しい炎に包まれていた。そしてそのすぐ側に、三つの人影を見た。三つの内二つは、人に近いが明らかに魔物と分かる姿をしていた。しかし間に挟まれているのは、明らかに人間、それもまだ若い少年の姿だった。
少年はオルランドに気付くと、微笑を浮かべながら歩み寄った。そして起き上がれないでいるオルランドの前で屈むと、そっと右手をオルランドへ差し伸べる。この少年が一体何者なのか、オルランドは何も分からない。けれど、あまりに屈託のない少年の笑顔が警戒心を解かせた。オルランドは自らの意思で、少年の差し伸べた右手を取った。