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東部地方の海岸に位置する大都市アトノス。そこは経済に特化した都市機能を持つため、通称経済都市と呼ばれていた。日に二十も発着する定期便の始発でやってきたオルランドは、慌ただしく人が行き交う乗船場の光景に困惑していた。押し出されるように待合室の片隅に移動し、しばし息を整えながら周囲の状況を見つめる。早朝の便が混み合うことはさして珍しくない、夜を徹した航行で朝に着く航路はどこにでもあるからだ。けれど、ここ経済都市アトノスが異質なのは、この光景である。早朝だと言うのに、誰もが時間に追われるかのように早足で動いている。次の予定がすぐそこにまで迫っているのだろう。オルランドはあまり経済の事は分からないが、彼らが一分で幾ら稼ぐ事が出来たという概念で動いている事は物の本で読んだことがあり知っていた。けれど、実際にそれを目の当たりにした衝撃は想像以上に大きい。
人の流れが減ってきた所で、恐る恐ると乗船場の待合室を後にする。乗船場の外までは幾つかの通路を通り抜けて行かなければならなかった。アトノスには無数の定期便が発着するため、発着場も幾つかにブロック分けされている。そこに血管のように通路が幾つも枝分かれしながら続いているのだ。オルランドは案内表示を見ながら外を目指す。その姿は勤め人からするとじれったいほど緩慢に映るのだろうと思ったが、そもそも先を急ぐばかりの彼らは案内を見ながら歩く者の姿など眼中に無い。
ようやく外へ出ると、オルランドは更に困惑する。そこにはずらりと馬車が並んでいて、忙しなく人々が乗り降りし常にどこかしらで行き交っていたからだ。オルランドはまたしても隅に移りながら考え込む。この馬車はアトノスで働いている人達が利用するのが大半なのだろうが、あまりに乗降のスピードが早くとてもついて行ける気がしなかった。具体的な目的地のはっきりしない自分など、かえって迷惑ではないかとすら思う。
経済都市アトノス、ここを訪れたのは、この都市がかつて魔王の戦禍に晒された都市であるからだ。人類と魔王との戦いは多数に渡る。その中でアトノスでの戦いは、人類が初めて国家の垣根を超えて団結し魔王の軍勢を退けた戦いである。この都市が機能不全になれば各国がそれだけ経済的な損失を被るから、という理由ではあるにしろ、人類が団結すれば魔王に勝てる事を印象づけた戦いでもある。その歴史の跡を見ようと訪れたのだが、このアトノスの空気はそれどころではない様子である。
さて、どうしたものか。そう頭を捻っていた時だった。
「兄さん、もしかして観光かい?」
突然オルランドに話しかけてきたのは、無精髭を生やした背の低い中年の男だった。
「ええ、まあそんなところです。ただ、この街の馬車は何だか忙しなくて、圧倒されていました」
「そりゃみんな、金勘定で忙しいからねえ。一分一秒でも人より多く仕事したいって人間の集まってるのがこの街さ」
「ちょっとばかり観光には不向きですかね」
「そんな事もないさ。どうだい? 俺の馬車を一日貸切にしてくれたら、面白いところに連れてってやるぜ。あとで安い宿も紹介するぞ」
「本当ですか? それは助かります。是非お願いします。私はオルランドと言います」
「俺っちはベスニルだ。さ、馬車はあっちだ」
ベスニルと名乗った男が案内する先は、馬車が並ぶ広場の一番端だった。乗降客が足を運ばないその周辺には他に止まっている馬車はなく、また順番を待つ乗降客も居なかった。ベスニルの馬車は他に比べて小さく、明らかに古びていた。手入れはされているが、あまり商売っ気を感じない佇まいである。
「さあさあ、乗りなよ。ボロだがね、乗り心地はそんなに悪くはないさ」
早速乗り込むと、思っていたより内装には気を使っているのか、シートの座り心地はかなり上等なそれだった。壁紙も綺麗で汚れがなく、窓には洒落たデザインの棚も付いている。如何にも観光客相手の馬車であり、この経済優先の都市には不似合いな印象を受けた。
馬車がゆっくりと走り始める。速度をあまり出さないためか、道の端の方に位置取りをするが、その脇を先程の馬車乗り場に止まっていた馬車が次々と追い抜いていく。目的地に少しでも早く送り届ける事を競っているのだろうか。そんな事を思う光景だ。
「それで、兄さんはどんな所に行こうと思ってたんだい?」
「実は、ちょっと風変わりなんですけど。ここで昔、連合軍と魔王軍との戦いがありましたよね? それに関係する何かが見られればなあと思っています」
「魔王との? アンタ、なかなか変わってるねえ。けど、運がいいぞ」
「何かご存知なのですか?」
「実は俺っちもな、その戦いに参戦してたんだぜ。下っ端の兵隊だけどよ」
まさかの当事者である。この偶然に思わずオルランドは顔を綻ばせた。
「ええっ!? 是非、戦いの時のお話を聞かせて下さいよ!」
「大した事はねえんだよ。みんなと一緒に魔物一匹相手にひーひー言ってただけだからよ。魔王を一目見られりゃまだ自慢話になったんだがなあ」
「でもこう、実際に従軍してなければ分からない、独特の空気とかあるでしょう?」
「よくさ、そういう兵士の回想録みたいなのあるだろ? ありゃ大抵嘘っぱちだぜ。自分が生きるか死ぬかの瀬戸際に、あんな耳障りの良い言葉なんか出て来ねえよ。ああいうのは、後々なってから美化するために脚色してんのさ。惨めったらしい記憶とか、何かしら悔いが残ってる奴なんかは特にさ」
自分は大した活躍は無いと謙遜するベスニルだったが、まさかここまで食いつかれるとは思わなかったのか、満更でもない表情を浮かべる。アトノスを選択したのは失敗かと一時は思ったが、当事者と会えただけでも十分過ぎる収穫である。