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膠着状態に陥るかどうかその寸前の所で、ジョンは何の前触れもなく口火を切った。
ジョンは突然とハンナの方へ向かっていくや否や、黒い剣を大きく振り上げる。その剣は青白く輝き始めると、周囲に青い炎を纏い始める。本物とは違う魔術的な炎なら、過去にヘンリックも何度か目にした事がある。しかしジョンが作り出したそれは、まるで比べ物にならないほど勢いが激しく濃密な炎だ。
青い炎を纏った剣でハンナの体を真っ二つに両断する。しかし、すぐさまジョンは跳び退りハンナとの距離を取った。
「おやおや、御挨拶だね。うん、これはいいじゃないか」
ハンナの体のあちこちに青い炎が燃え移っている。しかし、ハンナはそれを事も無げに見ていた。おもむろに炎の一つを手にし、そのまま質量があるかのようにすくい上げる。それをしばし興味深く眺めると、あろう事かそのまま口の中へ放り込んでしまった。
「いいねえ、いいねえ。お前、前よりも人間臭さが消えてるじゃないか。ほうら、この炎ときたら。魔女のそれと大差無い美味さだよお? お前、何処かの魔女から奪い取ってきたのかい?」
ハンナは炎を次々とすくい取っては口にし、やがてその全てを平らげてしまった。ジョンの作り出した炎は、素人目にも分かるほど、ただの魔術ではないことが分かった。しかし、それほどの火力を普通に平らげ美味だと宣うハンナ。そこは飽食の魔女と呼ばれるだけの事はあるのだろう。
「ああ、そうだ。俺は何人と数え切れないほど魔女を殺して来た。その魂は、俺とアリスにみっしりと染み付いている」
「アリスぅ? ああお前、あれに名前なんて付けたのかい。よしなよしな、食べ物に名前を付けると、いざ食べる時に愛着が湧いて躊躇っちゃうよお?」
「お前と一緒にするな。浅ましい魔女が」
ジョンは再び黒い剣を構える。
いきなりアリスの本体を出さないのは、前回に一度負けてしまっているからだろうとヘンリックは思った。アリスとハンナでは、実力に差がある。それは恐らく、これまでハンナが自分の力の源になるようなものを数え切れないほど食べ尽くして来たからだろう。
しかし、
「お前も似たようなものさ。どうせ、苦しいんだろう? 魔女を前にして魔女の肉が食えない事がねえ」
「知った風な口を」
ジョンの手の黒い剣が、どくんと大きく脈動する。そしてジョンの指示も無く、刀身が爆発的に膨張して獣の両顎を形作る。ジョンは黒い剣をゆっくりとハンナの方へ向け構える。
「魔女は殺す。それ以外にはない」
鋭い表情で断言するジョン。ハンナはさも嬉しそうに、おぞましい笑みを浮かべ舌なめずりをする。そこでふとヘンリックは、ハンナがジョンを標的として見ている事に気が付いた。以前のハンナは、ジョンをあくまでアリスが連れて来た土産程度にしか見ていなかった。ジョンの評価が変わったのは、ハンナにとって食物としての価値が上がった事を意味する。ハンナは、魔女を最高の美食としている。つまり、ジョンは本当に、これまでよりも遥かに魔女に近くなってしまったのだ。
「ああ、そうさ。喰い殺すんだろ?」
「減らず口を!」
ジョンの叫びと共に、黒い剣の両顎が唸りを上げてハンナへ襲い掛かる。ハンナはすかさず目の前に光る壁のようなものを作り出し、その牙を受け止める。
「いいねえ、この餓えた感覚。お前も、魔女が喰いたくて仕方ないんだろ? 私の産んだ子だからねえ!」
ハンナは、今度は喰らいついてくるアリスに向けて語り掛ける。しかしアリスは全く意に介さず、ただハンナへひたすら喰らいつき続ける。それはまるで、ハンナの言葉に対する否定の意思表示のように思えた。
「いつまでも優位に立てると思うな」
そう言ってジョンは、空いた左手を腰溜めに構える。今度は白い竜巻のような光が渦巻き始める。そしてジョンは、その力の奔流を左手ごとハンナへと叩き付ける。すると、光る壁を構えて悠然としていたハンナに、無数の衝撃が何度も繰り返し走った。それは剣で何度も斬りつけたような光景で、何処かの魔女から奪った技、魔術的な剣技のように見えた。
ハンナは、光の壁が切り刻まれると同時に、後ろへ遠く退いて距離を取った。それはおそらく、アリスの両顎の間合いに居る事を嫌がったためだろう。ハンナでも、アリスの魔女すら殺す力は恐ろしいのだ。
「ハハッ、何だい案外やるようになったじゃないか。またどこかで魔女を喰った甲斐があったねえ?」
ハンナは笑いながら両腕を広げる。それは何か注目を集めるような仕草に見えた。
「せっかくの里帰りなんだ、もっと騒ごうじゃないか。もてなしてやるよう」
するとハンナの周囲に、突然大量の肉塊が溢れ出した。それは何度も急激な膨張と分裂を繰り返し、やがて無数の肉の兵隊を作り出した。
「さあ、続けるよう? 疲れたなら、好きなだけそれを喰えばいいさ。魔女ほどではないけど、そこそこいける奴らだからねえ」
それはつまり、魔女に近い実力があるという事か。
ヘンリックはすぐに剣を肉の兵隊に向けて身構える。相変わらずの気色悪い外観だが、このハンナの眷族のような存在には何の知性も感じられなかった。という事は、この肉塊共はジョンやアリスだけでなく、自分にすらも襲い掛かって来るという事だ。