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ヘンリックは、アリスの話が終わってもしばらくの間は押し黙ったままだった。ジョンが村から居なくなってしまった時、大人達はその理由をばらばらに語っていた。それを子供心に、何か子供に話せない後ろめたい理由があるのだと感じ、ジョンは望んで村を出たのではないと信じ続けてきた。けれど、もしもアリスの話が真実なら、事情は大分変わってくる事になる。少なくとも、ジョンは自らの意志で村を出て魔女を殺す旅を始めたのだから。
「ジョンは……もう普通じゃないのか? 元には戻れないのか?」
「普通というのが純粋な人間かどうかという意味であれば、もう普通ではなく、元にも戻れません。死にかけていたジョンを救うのに、私は自分の魂を半分割譲しました。今のジョンは半分魔女の性質を持っています」
ああ、やっぱりそうなのか。
ヘンリックは重苦しい溜め息を一つついた。ジョンが時折人間離れした事をするため、まともな人間ではないとは薄々感づいていた。言われてみれば、確かにジョンは時折魔女のような性質を見せていたのだから、納得せざるを得ない。
「ジョンは、本当に今でも復讐が目的なのか? ジョンは確かにおかしくなった。けれど、それはお前のせいで狂わされてるだけじゃないのか? 単にお前が同族を食べたいから、ジョンの復讐心を煽って利用しているんだろ」
「違います。私は、あの三つのお願い以外をジョンに求めた事はありません。私は、ジョンが望む事を叶えているだけです」
本当にアリスの言う事は事実なのだろうか。感情の読めない無表情のまま淡々と話すアリスを、ヘンリックにはいまいち信用が出来なかった。いや、それは魔女の言葉だから反射的に拒絶しているだけなのだろうか。
「ジョンが復讐を望んでいるから、お前はただそのためだけに力を貸しているのか?」
「はい。ジョンは魔女を殺すことで喜びます。だから私はそうしてあげたい」
「……俺は、信じられない。魔女がどういう連中なのかは、嫌と言うほど骨身に染みている。利己的で傲慢で、人間を意味なく苦しめる事を最高の娯楽だと思ってる糞みたいな存在だ。お前がジョンの復讐を手伝っている事が事実だとしても、裏の目的があるようにしか思えない。本当の目的は何だ? ジョンから何を奪う気なんだ?」
「何も奪うつもりはありません。私の目的は、既にジョンに叶えて貰っています」
そう。アリスがジョンに力を貸す条件として提示した三つの願い事。魔女を殺す程の力を手にするなら、破格の条件と言えなくもない。だが傍から見ればそれは、ほとんど呪いと呼んでもいいものだ。
「何が三つのお願いだ、そんなもの! 何のためにジョンの復讐に荷担する! いい加減、事実を言え!」
「何度問われようとも答えは変わりません。私は、ジョンが望む事を叶えたいだけです」
「何のために!?」
「愛しい男性にもっと愛されたい、そう願うのはそんなにおかしな事でしょうか?」
感情的に声を張り上げるヘンリックに対し、アリスは淡々としながらも良く通る透き通った声で、そうはっきりと明言する。その毅然とすら映るアリスの姿と言葉に、ヘンリックはそれ以上の言葉が続けられなくなり、ただただ奥歯を噛むばかりだった。
アリスは本気だ。本気で言っている。
根拠の無い結論だが、アリスのジョンに対する想いが如何に真剣であるかは痛いほど良く分かってしまった。しかし、その結果が今のジョンである。これが良く知る魔女の所業が理由だったなら、どれだけ楽に咎め立てられただろうか。
その時だった。これまでただの傍観者だったロレンスが、突然会話に入ってきた。
「あ、あの! 魔女のあなた、本当にジョン氏を愛しているんですよね? だったら、彼が望んでいようとも、良くない事は断るのも愛情だと思うんですよ! 私も人の親だから、子供に時には厳しく接するのも愛情だと思うのです!」
これまでの会話の中で、何か彼の思う所に触れるものがあったのだろう。ロレンスは、場の空気に気圧され恐る恐るではあったものの、言いたい事伝えたい事があるという強い意思が感じられた。
すると、そんなロレンスの方をアリスは初めて真っ向から見た。
「自分のモラルを説くのは構いません。復讐を煽るのも自由です。けれど、ジョンの邪魔をする者は殺します」
アリスの視線は、冷たいというよりも単純に乾ききっていた。子供が遊び飽きた玩具へ向ける視線に良く似ている。アリスはジョンに関係しない人間には興味が全く無いのだろう。それはまさに魔女の価値観である。幾ら純粋にジョンを愛していたとしても、所詮は魔女のする事である。やはりヘンリックには、アリスの心情など受け入れることが出来なかった。
「もういい。分かった。お前の事は認めたくはないが、ジョンに対しては悪意が無い事だけは信用する」
「そう言って頂けると幸いです。私は、あなたとは対立したくはありませんでしたから」
対立しない、ではなく、したくはないだけ。アリスの本性や本音の一端が垣間見える言い回しだ。
「これからのジョンの事については、明日話を聞く。この部屋で待っていろ」
「分かりました。お待ちしております。それと、先程の薬をどうか忘れませんよう」
そうアリスに言われ、ヘンリックは貰ったあの小瓶の薬を思い出し手に取る。薬瓶の蓋を開けると、ヘンリックは一旦は嫌悪感に満ちた溜息をつくものの、中身を一気に飲み干した。
「これでいいんだろ?」
「はい。それでは今夜は、このままお休みください。明日には怪我はほぼ完治しているでしょう」
魔女が作る特別な薬だからだろうか。
ヘンリックは、いささか馬鹿にされたか見下されたような気分になった。何故自分が魔女に気を使われ、施しを受けなくてはいけないのか。自分もまた魔女を強く憎んでいる人間だというのに。
アリスに気を許してはならない。何を企んでいるのか分からないのだ。
ヘンリックはそう自分にひたすら言い聞かせた。