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真夜中、ヘンリックはまたも目が覚めてしまった。鴉の宿り木亭に戻った晩は、大抵が疲れ果てていて日の落ちない内に眠ってしまうため、中途半端な時間に起きてしまう事が多いのだ。
明日は休養日で、これといって予定もない。ヘンリックは部屋を出ると、気晴らしに食堂へ酒を飲みに降りていった。
いつものように食堂の端の席へつき、酒を少しずつ飲みながら時折つまみを口にする。頭は冴えてはいたが、体は未だだるく疲れが残っている。そのせいか、酒を飲めば飲むほどぼんやりと視点が定まらなくなり、その一方で思考だけはぐるぐるとあれこれ取り留めない事を次々と考えながら巡っていった。こうして無為に時間を過ごすのが唯一の楽しみになっているように思う。自ら望んでしている事とは言え、ジョンのために身の代を随分と投げ打っている。
「なあ、ここにあの魔女喰いが居るって本当か?」
少し離れた席に座っている団体の中の一人から、そんな何の気なしの質問が挙がる。彼らの内半分ほどはまだ鴉の宿り木亭に到着したばかりのようで、その辺りの事情には詳しくなさそうだった。
「ああ、本当だぜ。俺、ちゃんとこの目で見たんだ。やっぱ、こう貫禄というか雰囲気あるよなあ。あの魔女を殺して回ってるって言うんだから、立ち振る舞いからして普通とは違うぜ」
ジョンについての噂話だ。あまりジョンについて無責任な評判を立てては欲しくないのだが、ジョンも何も語らない以上は好奇心の的にされるのも仕方のない事だろう。気にする事はない。そう自分に言い聞かせつつ、つい好奇心が彼らの会話に聞き耳を立てさせた。
「なあ、ところで誰が魔女喰いって言い出したんだ? 自分で名乗ったのか?」
「さあ、どうだろうな。そういう自己主張強いタイプには見えなかったけど。でも、そんなに変なあだ名じゃないだろ」
「いや、さ。普通は魔女を倒して回ってるなら魔女喰いって呼ばれないだろ? 魔女狩りとか、魔女殺しとか、そっちのがまず思い浮かばないか?」
その素朴な疑問に、ヘンリックは思わず額にシワを寄せる。
ジョンは自分でも、自分が魔女喰いと呼ばれている事を知っているが、それは誰かに付けられた徒名だ。ジョンは自らそう名乗った事はない。そもそもジョンは、そういった自己顕示欲とは全く無縁なのだ。
「別に、名付けた奴のセンスじゃねーの? 狩りとか殺しとかじゃ、ありきたり過ぎて面白くねーってさ」
「だとしたら、そいつもセンス悪いよなー。なんで魔女を喰うみたいな名前なんだよ。大蛇か蟒蛇でもあるまいし、ゲテモノ食いみてーじゃん」
そして、一同は大きな声で一斉に笑う。
魔女喰いという異名は、今でこそ多くの冒険者に知られているが、実際のところ普通とは違う妙な響きである。人間にとって自然災害のような存在である魔女。それを家畜のように食べるという意味合いで付けられたのだろうが、響きの異様さが先行し過ぎているようにヘンリックは思う。秀逸ではあるのかも知れない。しかしヘンリックは、別の意味でジョンが魔女喰いと呼ばれそうだとは思っている。それは、ヘンリック以外誰も知らないジョンの秘密だ。
「いや……俺、知ってる」
ぽつりと小さな声でつぶやいたのは、一人の男だった。普通なら聞き逃しそうなほどのか細い声ではあったが、和やかな場の雰囲気にあまりに不釣り合いだったため殊更目立ったのだろう。
「なんだよ急に辛気臭い。知ってるって、何が?」
「見たんだよ、あいつのこと。多分、魔女喰いって名付けた奴も同じのを見たんだろ絶対に」
その男のあまりに神妙な様子に、周囲が少しずつ訝しみ始める。男の声は僅かに震えていた。それが何か尋常では無いものを彼が見たのだと思わせるのに十分な説得力があった。
「俺さ、ここに来る前に一度、魔女喰いの奴を見かけたんだよ。そしたらそいつ、丁度魔女と戦いに出掛ける所でさ。俺、こっそり後をつけてったんだよ。まあ当然だろ? 魔女喰いの噂が本当なら、魔女の住処へ行く事になる。そんなヤバイ場所はみんな手付かずのままだ。うまいこと魔女を倒してくれりゃ、掘り出し物をゆっくり見つけて独り占め出来るからな」
ヘンリックは、一応そういった輩には普段から注意して行動している。ジョンに絡まれる面倒を防ぐのもそうだが、主にジョンの秘密を知られないようにするためだ。
「魔女喰いは凄かったよ。魔女は当然とんでもなく強くて、俺なんかが見ても何されてるのかすら分からねえ。けれど魔女喰いは、そんな奴を前にしても平然としててさ。例の黒い剣であっという間に蹴散らしちまったんだ。魔女は悲鳴を上げながら吹っ飛んで、肉片が少し残ったくらいさ。これで魔女が死んだなら、心置き無く魔女の住処を探索できる。俺は興奮しまくってさ、慎重にじっと身を潜めて魔女喰いが居なくなるのを待ってたんだ。そしたらよ……魔女喰いのやつ、とんでもねえことしやがったんだ」
その言葉に、ヘンリックは思わず椅子から飛び上がりそうになった。今の話の流れ、それは間違いなくヘンリックが世間に隠し通しておきたかったジョンの秘密そのものだからだ。
「お、おい……それで、何をしたんだよ?」
「手掴みだ。魔女喰いの野郎、突然屈み込んだかと思ったら、そこら辺に落ちてる魔女の肉片かき集め始めてさ。それを手掴みでむさぼり食いやがったんだ」
流石に予想外過ぎる事だったのだろう。半笑いで聞いていた者達も含め、その場にいた誰もが表情を凍りつかせた。
「本当かよ、それ……。おいおい、冗談にしたらたちが悪過ぎるぜ?」
「嘘じゃねえよ! 俺は、本当にそれを見たんだ。あいつが出鱈目に強いのは、ああやって魔女の肉を食ってるからに決まってる! 何なんだよ、あの魔女喰いってのは。確かに魔女を簡単に殺せるほど強いけどよ、絶対あいつはおかしいぜ。普通はそんなこと出来ねえだろ……完全にイカれてる」
「単に……そういう変なものを食べたくなる性癖ってだけじゃねえの? たまに金持ちの間になんか、そういうのあるぜ。長生きのためとか若返りのためとか」
「だからって、普通魔女なんか食べるか……? あいつ、本当は人間じゃ無えんじゃねえのか。あんなの、人間のやることじゃねえ。いや、やっちゃいけねえことだ……」
冗談としか思えない事を迫真の表情で話す男。一同はそんな彼の様子に、この荒唐無稽な話を信じざるを得なかった。魔女喰いの噂の大半は信憑性の欠片もないでっち上げで、冒険者達も与太話としか認識していない。けれど、身内の人間が真剣に話す事に関しては別だ。それだけで話の内容が真実味を帯びてしまうのだ。
「そう言えば……俺、結構ここには長く居るんだけどさ。魔女喰いって、外に出ない時はほとんど部屋に閉じ籠もってるな」
「人と会いたくないだけだろ? 魔女喰いって名前だけで、遊び半分で突っかかってくる馬鹿だっているんだし」
「それはそれでいいけどさ。あいつ、食事はどうしてんだ? 少なくとも俺は、あいつが何かしら飲み食いしてるところは一度も見たことないぜ。食い物なんかここにしかないっていうのに」
まさか、そんな。
単なる見落としだ。
部屋で食べているだけだ。
一人二人がそうだからと言って、必ずしもそうだとは限らない。
そんな否定的な意見がやんわりと場を包み込む。けれど、誰も本心でそう思っている者はいなかった。魔女喰いが常軌を逸した人間であるという認識が、一般論を許さないのだ。それと同時に、非常に強い警戒にも似た意見が彼らを占める。
魔女喰いは、本当に人間ではないのだろうか?