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再び食堂の中へ入ったヘンリックは、まず周囲を見回し先ほどの影を確認する。しかし、ざっと見た程度では見つけられず、きっちり調べ尽くさなければならないのかとヘンリックは溜息をついた。
先ほどの影、本当に一瞬しか見えなかったが、人影にしては随分と小さかった。人間ではなく何か魔物の類である可能性もある。魔女の棲家に居るのだから、魔女の眷属か若しくは使役している道具だろう。
魔女に偵察されているのか。そう思いながら注意深くテーブルの下を覗いてみる。
「あっ!」
またしても何か小さな影が、ヘンリックが覗いたのとは反対側の方から飛び出して行くのが見える。すぐさまヘンリックはその後を追ったが、影はあっという間にキッチンの方へ消えてしまった。
先程よりは随分はっきりとその影を見ることが出来た。けれどヘンリックは一層困惑した。魔物の類かと思っていたが、あれはまるで子供のように見えたからだ。
こんな辺境の魔女の棲家に子供が居るはずはない。なら、子供の姿をした何かだろう。擬態に注意しなければ。
引き続き警戒しつつ、ヘンリックはキッチンへと慎重に入る。やはりキッチンではざっと見渡した限りであの影は見当たらず、何処かに潜んでいるか、若しくは既に別の部屋へ移動しているように見える。ヘンリックは再び奇襲に警戒をしつつ、物陰を探り始めた。そうやって調べて程無く、ヘンリックは足元の棚の一つが半開きになっているのを見つけた。その中へ隠れたものの、きちんと閉める事が出来なかったのだろうか。一体何のためにそんな事をするのか、という疑問はあったものの、とりあえず半開きになった戸へ手をかけてみる。だがその次の瞬間、丁度斜向かいの棚の戸が中から開くと、飛び出した影が外へ駆けて行ってしまった。どうやら半開きの戸はただの囮だったようである。
一体これはどういった状況なのだろうか。
ヘンリックは改めて人影の不自然さに首を傾げた。今ははっきりと見えたが、あの人影は間違いなく子供の影だった。それも見た限りではごく普通の人間の子供である。こんな場所に普通の子供が居るはずは無いとして、では一体何を目的にしているのか。こちらを攻撃するでも無く、何かしら情報収集のための偵察をしているようにも見えない。場所が場所でなければ、これはまるで子供の隠れんぼである。
意図の見えない存在に溜息を重ねるヘンリックだったが、その時ふと自分自身の幼い頃の事を思い出した。
幼少の頃、ヘンリックはよく仕事を終えたジョンに遊んで貰っていた。遊びの内容はその時々で違っていたが、一番多かったのは隠れんぼと追いかけっこを混ぜた遊びだったように思う。そしてジョンの家でそれをやっていた時、自分は今のようにキッチンの棚に隠れていた。それがジョンに通用しなくなってきた時、今度は囮を交えて逃げる方法を思いついた。まさに今、あの子供がやって見せたのと同じ方法である。
あの子供は、一体何だ。
ヘンリックの胸中に、突然と強く子供の正体を暴きたい欲求が込み上げて来た。子供の頃は特別な戦法だと思ってはいたが、大人になった今ではさほど珍しいものとは思っていない。だが、あの子供と幼少時の自分がどうしても重なって仕方がなかった。理屈は分からないのだが、とにかくはっきりさせなければ衝動が収まりそうになかった。
ヘンリックは急ぎキッチンを抜けエントランスへと出る。そして子供の姿を探そうとしたが、その子供は今度は隠れるでなく堂々と正面に立っていた。遂に何か仕掛けてくるのかとヘンリックは剣に手を伸ばし構える。だがその子供は、少し照れ臭そうな表情をしながらこちらにはにかんできた。
「もう隠れられそうなところ、無くなっちゃったよ」
これまで隠れんぼでもしていたつもりだったのか。自分との温度差に困惑しつつ、注意深く子供の出方と周囲の気配に気を配る。
「ねえ、今度は鬼を交代してやろうよ?」
「何の話だ。お前、魔女の手下なのか?」
「魔女? 魔女じゃないよ。今度は鬼だよ」
会話が噛み合っていない。子供はあくまで遊びのつもりであり、そしてこちらを遊び相手だと思っている。
これは魔女の攻撃なのだろうか。
困惑を深めるヘンリックに対し、子供は更に言葉を投げかける。
「だってさ、いつもジョンが鬼じゃない。たまにはジョンも隠れる方、やってみてよ」
「ジョン?」
「ほら、早くってば。でも、高い所は登れないから隠れちゃダメだよ」
子供にジョンと呼ばれ、ヘンリックは表情をしかめる。自分がジョンだと思われている。何故ジョンの名前を知っているのか。そもそもジョンという名前はありふれているが、子供の言うジョンとはあのジョンを差すのか。そんな疑問に頭を悩ませるが、不意にヘンリックはまたしても幼少時の自分を思い出した。
「そうだ、お前……」
「どうしたの? 早くってば」
あまりに突拍子もなく現実味が無くて、こんな事にすぐ気付けなかった。今、この目の前に居る子供。見覚えのある服、そして顔付き。それは正に、幼少時の自分をそのものではないか。
「お前、もしかしてヘンリック……なのか?」
「そうだよ? どうしたの、ジョン?」
あまりに馬鹿馬鹿しい問いにあっさりと答える子供。ヘンリックは動揺のあまり呼吸が荒れ始め、咄嗟に口元を押さえた。
過去の自分が目の前に現れるなんて、そんな事があるのだろうか?
いや、これは逆に魔女の攻撃だと確信するべきだ。こうやって精神的な動揺を誘う攻撃だと。
相手のペースに乗ってはいけない。そう自らに忠告するヘンリック。しかし、自分でも驚くほどにヘンリックは自らの動揺を抑え切れなかった。ただ目の前に、過去の自分らしいものがあるだけのはず。それの一体何を恐れるのか、自分でも訳が分からなかった。
「ジョンはさ、いつも遊んでくれるけど、本当は楽しいって思ってないんじゃない? どうして子供の遊びに付き合ってくれるの? 近所付き合いとか、いざという時のために恩を売っておくため?」
「ち、違う……。待て、止めろ。俺の顔でそういう事を言うな」
「全く違わないって言わないけどさ、でも実際は無駄だったんじゃないかなあ。だって、結局村のみんなは助けてくれなかったでしょ? 流石にみんな、魔女ばっかりは怖くて仕方なかったのかな」
村のみんな。その言葉に真っ先に思い浮かんだのは、自分の両親だった。今まで散々世話になっていたはずのジョンを急に厄介者呼ばわりしたあの時の事は、ヘンリックにとって生涯忘れられないほど衝撃的な出来事だ。
「あの時、助けてやれなかった。まだ子供だったから。でも、それを負い目に感じていたから、こんな事をしているんでしょ?」