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その日ヘンリックは、昨夜に半端な時間に二度寝をしたこともあって、昼近くまで寝坊をしてしまった。慌てて起きて部屋を飛び出し一階の食堂まで駆け降りる。
昼の食堂はいつも人がまばらで朝のような喧騒は無い。冒険者達は大抵早朝に出発するため、食堂に居るのは主に休養中や待ち合わせの者だけだからだ。
ヘンリックはジョンの姿を求めて食堂を見回す。ジョンはいつも二人が座る端の席に着いていて、あっさりと見付ける事が出来た。しかし、その向かいの席には別の男の姿があった。
「あれは……牧師か」
その独特の服装から、彼が神職である事は一目瞭然だった。
こういった冒険者達が集まる宿や盛り場において、出張して来る牧師は意外と珍しい存在ではない。冒険中の不慮の事故で亡くした仲間の弔い、表立っては言えないような行為の懺悔、何処を探索すれば道が開けるかという託宣等々。冒険者には信心深い者は多いため、牧師の需要は必ずと言って良いほどあるのだ。
しかし今のジョンは、信心にまるで縁が無いはず。となると、これは牧師の方からジョンに布教をかけているのか。ヘンリックは言い知れぬ不安を覚え、足早に二人の元へ向かった。すると牧師はヘンリックに気付き、丁寧に一礼する。
「あなたが、魔女喰いの相棒ですか?」
「ああ、そうだ。何か用か? 俺達は、何も信仰してはいないぞ」
「いいえ、私は改宗を求めに来たのではありませんよ」
そう言って牧師は、再びジョンの方へ向き直った。
「私は様々な冒険者達の集まる宿を巡って来ました。そこでは、魔女喰いと呼ばれるあなたの噂も良く耳にします。あなたは魔女という魔女を手当たり次第殺めて回っているそうですが、それは復讐心からなのでしょうか?」
牧師のあまりに歯に衣着せぬ言葉に、ヘンリックは思わず不快さで表情を歪めた。牧師という人間は基本的に話し方こそ丁寧ではあるが、その内容は往々にして横柄で見下すようなものだ。信徒に限らず人間を愚かなものだと決め付け、あまつさえ自分がそれを正そうと思い上がってすらいる。この牧師も御多分に漏れず、そういった無礼で不愉快な連中の仲間だ。ヘンリックは内心唾を吐き捨てたい気分だった。
「そうだ。俺は魔女に対する復讐をしている。お前達の神が言うような天罰なんて待ってはいられないからな」
「私はこれまでに、そういった理由で戦う者を何人も見てきました。今のあなたも、彼らと同じ目をしています。復讐者の末路も幾つか見てきましたが、いずれも悲惨なものです。あなたもそうなる前に、復讐など止めてしまうべきです。人は自らの幸福へ繋げるよう勤しみましょう」
「そういう無責任な説教は聞き飽きている。止めるつもりはない」
かつてジョンに似たような説教をした牧師は何人もいる。そしてジョンはいずれの言葉にも動かされる事は無く、決まって冷たくあしらった。ジョンは自らの行動について、強い信念と目的意識がある。部外者が今更どうこう論じた所で、ジョンが揺らぐ事は決して無い。
「神は人に復讐という行為を禁じ、復讐は唯一我が物であると仰いました。人には復讐の権利はあってもそれを正しく行使する事が出来ず、やがて更なる災禍を招くからです。あなたは、正しく復讐の権利を行使できていますか? 人の身でそれを行うのは非常に困難なのです。だからこそ、あなたを憤らせる者らへの裁きは、今一度神に委ねなさい」
「天罰だけを期待して、余生を生き長らえるのが幸せなのか? あまりに惨めで卑屈だ。俺は、自分がされたことをやり返してるだけだ」
「あなたは気付いていないだけです。復讐の猛毒は、既にあなたを蝕んでいます。その毒は、あなたを変えますよ。おぞましい存在へ」
「俺は、人である事にこだわっていない」
やはりジョンは揺るがない。魔女という魔女に対し憎しみを抱き、それを殺し尽くす事がジョンの目的である。牧師のように無責任な自重を促す説教で揺らぐなど決して有り得ないのだ。
牧師は、そうですか、と残念そうな言葉を漏らすと、ジョンの向かいの席からそっと立ち上がりこの場を去った。去り際の表情を盗み見たヘンリックは、この牧師はまたジョンへ要らぬ説教をするのではないかと少しだけ危惧をした。それは、去り際の牧師の表情が何かしら使命感に目覚めたそれに見えたからだ。
「ジョン、大丈夫か?」
「何がだ。俺はいちいち蟻の言葉など聞き入れない」
瞬き一つせず言い切るジョンに、ヘンリックはそれ以上何も言う事が出来なかった。
ジョンが何らかの要因で変貌してしまった事は、誰よりもヘンリックが知っている。それは牧師の言うところの猛毒のようなものなのだろう。
牧師の説教を蟻の言葉と言ったジョン。自分の言葉は果たしてどのように聞こえているのか。
ジョンが変貌してしまった事は知っている。けれど、今以上に変貌しない保証も無い。ジョンの変貌はどこまで進むのか。ヘンリックにはそれが気がかりでならなかった。