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その一帯には、常夜の荒野という呼び名が付けられていた。昼夜を問わず不自然に薄暗い事で、冒険者達の間でそう呼ばれるようになったのが由来している。常夜とは言いつつ実際に夜のように暗い訳ではないが、この一帯だけは常に不自然なほど厚い雷雲に覆われているため太陽の光が一切射さない。そのため植物が一切育たず、荒野となっている。
ジョンとヘンリックは、朝早くにこの地帯へ足を踏み入れた。ヘンリックは常夜の荒野の異様さを耳にしていたが、この不自然な空模様を目にし背筋が寒くなるような思いだった。ヘンリックはジョンとは違い魔女の気配を認識する事は出来ない。しかし何度も魔女の縄張りを経験しているため、特有の不自然さから察する事は出来る。そして、いつになってもこの不自然さが放つ恐ろしさに慣れる事はなかった。
「ジョン、魔女は居るか?」
「ああ、近い。どうやら今度のは既に気付いてるぞ。悠長なヤツではないようだ」
ジョンの言葉に、ヘンリックは反射的に剣の柄に手をかけた。
これまで対峙してきた魔女は全て、縄張りに侵入して来る者に対して不快感は見せても無警戒だった。ただ目障りだから取り除く、人間が家屋に入り込んだ羽虫に抱く感情と同じである。だから、今回の魔女はこれまでと比べ異質なのだ。
頭上を覆う雷雲が、まるで猛獣の唸り声のように鳴り響いている。それがただの自然現象ではなく魔女の魔力によるものだと考えると、全く隙を作る事が出来ないと改めて痛感する。敵は何時でも死角である頭上からこちらを攻撃する事が出来る。そしてヘンリックは、落雷よりも速く動くことは出来ない。つまり、今回はただ覚悟をするしかないのだ。次の瞬間には雷に打たれ絶命しているような状況を。
雷音が更に激しさを増し、しきりに稲光を繰り返す。雨もなく、ただひたすら雷だけが轟く不自然な天候。これは魔女が現れる前兆なのか。ヘンリックは淡々と前へ進んでいくジョンにただ付いて行くだけだったが、やがてこの緊張感に耐え切れず、携えた剣を抜き放った。魔女に剣はあまり有効ではない事を知ってはいたが、戦う構えをしていなければとても平静では居られないのだ。
「来たぞ」
その時、ジョンが唐突にそんな事を口にする。直後、周囲には眩むような稲光が連続で走ったかと思うと、幾つもの雷が一斉に落ちた。
はっきりと視認出来る落雷、それが同時に幾つも、この一帯だけに集中して落ちるなんて。雷を操る魔法は知っているが、これとは力の質が圧倒的に比べ物にならない。やはりここの魔女は、その気になれば簡単にこちらを殺せる。今の落雷は警告なのだ。ヘンリックの緊張と不安は一気に膨れ上がり、俄に手が震え始めた。
「つまらない真似はやめろ。来るならさっさと来い、魔女め」
ジョンが空に向かって挑発の言葉を投げる。その方向に魔女がいる。ヘンリックはすぐに空を見上げた。
「うっ!?」
瞬間、紫色の雷光がヘンリックの視界を塞ぐ。そして鼓膜を破らんばかりの轟音が四方八方に降り注いだ。目と耳が雷に眩み、体がぐらりと揺れて吐き気が込み上げる。ヘンリックは必死で歯を食いしばりながら姿勢を支え、ひたすら体の変調が戻るまで耐える。やがて最初に回復した視界が捉えたのは、自分の少し前方に立つジョンの姿だった。だがそのジョンの足元は、何か強い衝撃を受けたかのように大きく陥没している。そして良く見るとジョンの体は、いたるところから僅かに黒煙を上げていた。
「ジョン!」
未だ耳が良く聞こえないが、ヘンリックは咄嗟に悲鳴のような声を上げた。その状況は明らかにジョンが魔女の雷に打たれたものだからだ。
雷で打たれた人間は生きていられない。最悪の事態が脳裏を過る。けれどジョンは、ただ小さく息をつき大丈夫だと言わんばかりに左手を少し上げて見せた。その左手を自分の頭へ伸ばすと、そのままわしわしと何度か掻く。そして今度は胸元へ移し、完全に炭化してしまった装具を果物の皮を剥くように剥がした。その下から現れたのは、何一つ傷のない素肌。魔女の雷に打たれ装備は燃やされたが、自分自身は何ともない、そうとしか思えない状態だった。
「お前……人間じゃないのかい?」
どこからともなく、困惑しきった女の声が聞こえて来る。それはおそらく今回の標的、この常夜の荒野を縄張りとする霹靂の魔女レアの声だろう。
「ヘンリック、今回は少し分が悪い。お前はそこを動くな」
ジョンの声が未だ鼓膜の痺れる耳に微かに届く。ヘンリックはそのせいで普段よりも声を張り上げながら答えた。
「しかし、あんな雷は俺にはどうしようもない!」
「大丈夫だ。俺に任せればいい」
ジョンは黒い剣を抜き放つ。剣の刀身は爆発的に膨れ上がり、またあのおぞましい獣の顎の姿へ変わった。
突然ジョンの前方に再び紫色の雷光が迸る。しかし今度は落雷の轟音は鳴り響かず、代わりに一人の女の姿が現れた。
「霹靂の魔女レアだな。お前を殺す」
ジョンは黒い剣を無造作にレアへ向ける。
「アタシの雷を受けて生きていられるお前……やはり普通じゃないね」
「やはり?」
「アタシは知っているのさ。最近この大陸で、魔女ばかりわざわざ狙って殺しているヤツが居るって噂をね」
レアはジョンに対して明らかに警戒心を見せている。やはり今回の魔女は非常に慎重で、ジョンに対し少しも油断をしていない。これまでの魔女は皆、ジョンに剣を向けられてもそれが自分に通用するとは微塵も思わない者ばかりだったのだ。これだけでレアは他とは違うという事が察せられる。
しかし、
「だから何だ。お前が死ぬ結末に変わりは無い」
ジョンの表情は一つとして揺るがない。いつものように淡々と宣言し、剣を構えその名を呼ぶだけだ。
「喰らい尽くせ、アリス」