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その日の朝、ヘンリックは鍛冶職人に頼んでいた剣を受け取りに来た。探索へ出掛ける冒険者達は大方出掛けた後で、職人達の店はいずれも比較的空いている。今日一日は休養に当てる予定であるため、ヘンリックはのんびりやってきた所だ。
「ほら、出来上がってるぜ。最高の仕事だ」
筋骨隆々とした男から、昨日預けた自分の剣を受け取る。ヘンリックは早速その仕上がり具合を入念に確認し始めた。剣を始めとする装備品は、冒険者にとって命の次に大事なものである。だから手入れは入念に行い決して怠らず、鍛冶師に預ける時も必ず信頼の置ける者を厳選するのだ。
「ああ、ばっちりだ。元よりも良くなってるよ」
「そりゃ当然よ。次もまたウチに預けてくれよな。しっかり確実な仕事をするぜ」
少しばかり言葉を交わした後、ヘンリックは食堂へ戻った。ジョンの待つ席へ向かうと、そこにはジョン以外にもう一人、別の誰かの姿があった。その男はしきりにジョンに向かって話し掛けているようだった。
「なあなあ、アンタが噂の魔女喰いのジョン?」
「ああ、そうだ」
「本当に本人?」
「そうだ」
男は如何にも興味本位で話し掛けている風だったが、ジョンはあまり相手にはしていないようだった。それでもしつこく食い下がって来るのは、やはりジョンが本物であるとどこか確信しているからだろう。
これまでもそうだったが、冒険者の集まる宿においてこういった好奇心旺盛な手合いは珍しくはなかった。自然災害と同列に数えられるような魔女を狩り回っている者、それが同じ宿に居ると知ればすぐに噂の真偽を確かめたがるのだ。ここ鴉の宿り木亭では、冒険者達はほとんど遠巻きに見るだけで、あまり接触はして来ない。むしろその方が珍しいと言えるだろう。
「おい、お前。見世物じゃないぞ。向こうへ行け」
すぐさまヘンリックはジョンとその男の間に割って入り、ジョンから遠ざけようとする。しかし男は強引に近付こうとしてきた。こういった手合いを追い払うのはヘンリックの役目だった。ジョンはこの手の人間をまともに相手にはしないが、そういった態度を快く思わず逆恨みする連中も時折居るからだ。
「まあまあ、ちょっとだけだって。なあ、ジョン。アンタの剣って、何か特別だって話だぜ? 噂で聞いたんだが、確かその剣には女の名前がついてるんだよな? 何でまた?」
ジョンは答えない。むしろ興味すら持っていないのだ。だが男はそれを知りつつも更に食い下がってくる。
「なあ、ほんの少しでいいから、アンタの剣を触らせてくれよ。仲間に自慢したいんだ」
「お前、いい加減にしろよ。図々しいにも程があるぞ」
「ちょっとだけだって! 少し触らせてくれりゃ、すぐ消えるからさ」
「だから、何を勝手な事を……あ、おい!」
男はヘンリックの不意を突いて脇から器用にすり抜けると、椅子の横に立てかけてある黒い剣へ手を伸ばす。
「へへっ、これが魔女喰いの剣か」
男の手が黒い剣の柄に触れる。その直後だった、
「おわっ!?」
男は驚愕の声を上げると、まるで腰が抜けたかのようにその場にがっくりと両膝をついた。自らの意思とは無関係に膝が崩れたらしく、本人も何故自分が跪いているのか理解出来ていない顔をしている。
黒い剣が床へ転がる。それをジョンは無造作に拾い上げた。
「触るのは止めた方がいい。喰われるぞ」
「あ、ああ……」
ジョンの言い回しは曖昧で、男がこうなった理由がはっきり伝わって来ないものだった。けれど、当事者である男にはどういう意味なのか感じ取れるものがあったらしく、男は唖然としながらもジョンに何度も頷き返した。
「……ほら、肩を貸してやるから立て。しばらくはおとなしく休むんだな」
ヘンリックは自力では立てそうにない男に肩を貸しながら立ち上がらせる。迷惑な人間だが、ここに捨て置いては目立って仕方がないのだ。
「へへっ、流石は魔女喰いだ。あれ、魔剣だろ? それも、これまでお目にかかった事のねえ珍しい奴だ。どこの遺跡で見つけたんだ?」
男はヘンリックに肩を貸されてやっと歩けるような状態だが、男は相変わらずの口振りだった。
「教える訳ないだろ。どの道、触っただけでこうなる冒険者に探索なんて無理な場所だ」
「そうかもな。大したもんだぜ、魔女喰いってのは。あんな恐ろしい魔剣を涼しい顔で扱ってんだから」
男を部屋まで送り届け、ヘンリックは再びジョンの元へ戻った。ジョンは相変わらずそのままの姿勢で席にいた。今起こった出来事など既に忘れてしまっているのではないかと思うほど、あまりに感情の起伏が感じられない仕草だ。
「剣の方は大丈夫だったか?」
「アリスは人間にどうこう出来るものじゃない」
アリス。それがこの剣の名前らしく、ジョンはそう呼んでいる。
実のところヘンリックは、この黒い剣の出処を知らなかった。たださっきの男が言っていたように、ジョンが何処かの古い遺跡を探索して見つけた魔剣なのだろうと勝手に思っている。だが、本当に魔剣なのかすらも分からない。何故なら、以前に何気なく訊ねてみたところ、ジョンは明らかに答えをはぐらかしたからだ。剣の出処について、自分にすらも話したくない理由があるのだ。
ジョンがアリスと呼ぶこの剣。一体何なのだろうか。
一つだけ、繋がりがあるのかどうかは分からないが、関係しているかも知れない事はある。それは、昔ジョンが飼っていた犬、その名前もまたアリスだったという事だ。