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 早朝の食堂は、既に多くの冒険者達がひしめいていた。探索に出る冒険者達は大半が早朝に出発する。そのため、朝早くに朝食を取り、商人達から手配していた装備を受け取るのだ。鴉の宿り木亭が一日の中で最も活気付く時間帯である。
 熱気渦巻く食堂の片隅の席に、ジョンとヘンリックが目立たないよう向い合って座っていた。ジョンはその名があまりに知れ渡っているため、ヘンリックが他の冒険者達と余計に関わらせないよう配慮したためである。ジョンは基本的に自分の評判といった世俗の事には無関心で、自分の目的にしか興味を持たない。その振る舞い方は時に思わぬトラブルを引き起こす事もあり、ヘンリックがそうならぬよう世話を焼いているのだ。
「ジョン、今日向かう所は東の草原だ。途中では岩ばかりの峡谷を越えるんだけれど、草原に近付くに連れて魔物も多く棲んでいる。それに草原でも、見晴らしの良さがかえって魔物を集めやすいから注意が必要だ」
「その草原に魔女が居るんだな?」
「ああ。気圏の魔女アゼイリアって名前だ。東の草原は、周囲を岩山に囲まれた地形の関係上、常に強い風が吹き込んで来る。アゼイリアはその風を自在に操るようだ。噂では、国が編成した正規兵の討伐隊を、一団まとめて四方八方へ吹き飛ばしてしまったらしい。本当なら嵐どころじゃない」
「問題は無い。風であろうと何であろうと、俺には関係が無いからな」
 ジョンは淡々と答えながらじっとヘンリックを見る。その感情の篭もらない表情を見たヘンリックは、ただ小さく頷き返した。
 ヘンリックはいつも魔女の情報を出来るだけ多く仕入れ、特徴についてジョンに伝え注意喚起している。けれど、実際にジョンが警戒した事はない。事実ジョンは、これまで対峙してきた全ての魔女において、何をされようがまるで歯牙にもかけなかったのだ。
「今食事を済ませるから、そうしたら出発しよう。昨日揃えた装備の具合はどう?」
「サイズは合う。特に不都合は無いさ」
「商人ががっかりしてたよ。こんなつまらない装備で良いのかって」
「それで、何と答えたんだ?」
「ジョンは装備に拘りがない、って言っておいたよ。それで良いんだろ?」
「ああ、そうだ」
 ヘンリックが食事を済ませると、二人は荷物を持って静かに席を立った。その様子を何人かの冒険者達は見ていたが、遠巻きに眺めるだけで決して声をかけたりはしなかった。ジョンが本物であるかどうかの疑いと、ジョンにまつわる噂で不気味がっているためである。ヘンリックにしても、変に絡まれないのは都合が良かった。周りからは、ジョンは得体の知れない不気味な存在ぐらいに思われていた方が、何かと都合が良いだろう。
 玄関の方までやって来ると、朝から仕事に追われているサラに呼び止められた。
「ジョンさん、ヘンリックさん、これから出発されるのですか?」
「あ、サラちゃん。そうだよ。戻りは多分、四日後ぐらいになる」
「分かりました。では、宿帳にはそう記録しておきますね。お気をつけて」
 サラに見送られ、二人は鴉の宿り木亭を後にする。
 宿を出て歩き始めると、程なく道は途切れ人の気配が消え失せる。この地域は多くの魔女が集まっているため、そもそも人が移住することがないためだ。鴉の宿り木亭は、経営者であるロレンスが例外的な変わり者という事である。もっとも、彼のおかげでこうして冒険者達が安定した探索が出来るようになったのも事実である。
「あの子供とは親しいのか?」
 普段なら黙々と歩くはずのジョンが、珍しくそんな事を訊ねて来た。
「親しいというか、サラちゃんは誰にでもああだよ。常に宿泊客の事を気にかけていてくれて、みんながちゃんと探索が出来るようにしてくれているんだ。何せ、あの父親だからね。宿の仕事はほとんどサラちゃんがこなしている」
「お前が子供に好かれやすいのかと思ったよ」
「そんな事は無いさ。それに、好かれやすいのはジョンの方だったじゃないか」
「昔の話だ、そんなもの」
 ヘンリックは、少しだけ昔のジョンの事を思い出した。あの頃のジョンは、今のような人当たりの悪く何事にも無関心な人間ではなかった。むしろ、今とは正反対だろう。あの頃のジョンは子供だけでなく、老若男女みんなから好かれるような純朴で朗らかな人間だった。
 そんなジョンをこう変えてしまったのは、間違いなく魔女のせいである。
 ジョンが魔女を憎み狩り回るように、ヘンリックもまたジョン同様に魔女を憎んでいる。ヘンリックがジョンに同行するのは、ジョンの世話を焼くためだけではない。ヘンリックもまた、ジョンとは違う理由で魔女を憎んでいるからだ。