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深夜の繁華街、その大通りを馬車で堂々と行くのは、とても気の休まらない状況だった。コウは、終始カーテンのかかった窓から外の様子を念入りに見張り続ける。意味の無い行動と分かってはいたが、そういう事でもしなければとても落ち着けなかった。
「コウ、あまり外を見るな。逆にこちらの顔に気付かれるかも知れない」
「すみません、どうしても落ち着かなくて」
セタに注意され、コウはカーテンをきちんと隅まで閉め直した。しかしコウは、まず巡回している騎士団の連中には見つかる事はないだろうと考えていた。元々こういった盛り場の巡回は第十三騎士団ばかりが受け持っていたが、貴族達は基本的にこういった場所へ近寄りたがらない。第十三騎士団の団員ならそうでもないのだろうが、彼らはセタの事情を知っているため、この指名手配の件を聞かされても真に受ける事はないだろう。
「奥様は大丈夫ですか? 港までは大分かかりますが」
「ええ、大丈夫です。私も今日まで覚悟を決めて参りましたから、いざこうなってみると案外平気なものです」
「それはそれは。流石、セタ殿の奥様だ」
ロランに気遣われたマリーは、気丈に微笑みを浮かべて返して見せた。けれどコウは、内心それを強がりだと思っていた。すぐに治療しなければならないほど体調を崩している訳ではないだろうが、精神的にはかなり消耗しているはずである。その事で周りの足を引っ張らぬよう、無理をしているのだ。
これまであまり意識をしていなかったが、ふと夫婦二人の様子を見ていると、何とも理想的な間柄だと思った。今は所帯の事なんて考えられないが、将来持つことになったのなら、この二人のようになりたいとさえ思う。だからこそ、二人の幸福だけは何としても守らなければならない。
やはり、セタの暗殺など思い留まって良かった。それは紛れもない本心である。
しばらく進んでいると、俄かに馬車が速度を落として走り始めた。
「あれ? どうかしたんでしょうか」
すぐにロランは御者に状況を確かめる。すると御者の答えにロランはいささか渋い表情を浮かべた。
「酔っ払い達が道端に多くて、あまり速度を出せないそうです。まあいつもの事ですから仕方ないですし、万が一事故でも起こせば大事になってしまいますからね。ここは、じっと我慢して慎重に行きましょう」
この国の首都で最も大きな繁華街だけあり、ここは夜通しで飲むような人間が多く集まる。そのため自然と酒場や馬車といった仕事も宵っ張りで営業するようになり、益々人が集まって来る。長く続いた戦争の反動やら風紀の悪化などと言われているが、結局のところ供給がされるから歯止めが利かなくなっているだけだろうと、コウは斜に構えた持論を持っている。もっとも、そのおかげで人に紛れて夜間堂々と移動が出来るのだから、今回だけはありがたいものではあるが。
速度の落ちた馬車に、コウは一層の焦燥感を味わわされていた。おそらくそれは車内の誰もが同じだろう。急ぎたいが、急ぐほど目立ち見つかりやすくなるこの状況、もはや我慢比べに等しいだろう。
一分一分を何十倍にも長く感じながらひたすら耐え続ける。気が遠くなるような思いだった路程だが、やがて馬車はようやく繁華街を抜ける事が出来、そして速度が元に戻った。車内に誰からとなく安堵の溜め息が響いた。
「面倒な所は抜けたようですね。このまま街の外へ急ぎましょう」
そうロランは微笑みながらゆっくり大きく頷く。それはこの亡命が成功すると確信に満ちた様子だった。コウもまた、ここまで来れば問題なく船に乗り継げるだろうと、特に根拠も無かったがそんな確信を持てた。
だが、先の事を意識した時、今まで考える余裕が無かったせいか、ふとコウは結論の出ていなかったある事を思い出した。
コウは思った。このままセタとマリーがベネディクトゥスへ渡ったとして、カラティン王は二人を歓迎するだろうし、二人の今後の生活も保障されるだろう。けれど、同時にこのサンクトゥスでのセタの評判は、このまま地に落ちる。少なくとも、セタは何人かの殺人の容疑をかけられ、ベネディクトゥスへ逃亡した卑怯者として喧伝される。そこには全く根も葉もない誹謗中傷が付けられる事も目に見えている。ロプトはまずそのように動くだろう。彼の目的は、カラティン王の勢力拡大に利用出来ぬようセタの英雄としての箔を傷物にする事なのだ。これまで国のために体を張って尽くし、戦後もどのような扱いを受けようと文句一つ言わず仕事に励んできたセタ。強さ、優しさ、忠誠心、どれを取っても間違い無くサンクトゥス随一の人間であるはずなのに、これではあまりに報われなさすぎる。権力者や支配階級の都合とは言え、こんな理不尽が許されるべきではない。
コウは、ロプトと決着をつける事にこだわってはいなかった。けれどセタとマリーの亡命が成功しようとしている今、今後のセタの事を考えられるようになり、このままセタに汚名を着せ続けるのは後味が悪く後悔が残りそうだと思えるのだ。
セタにこれ以上の汚名を着せないためには。やはり、やる事はこれしかないだろう。コウは袖の中に隠した暗殺剣の感触を確かめ、自分に出来ることを何度も何度も思い浮かべながらそれでも結論が変わらない事を確かめる。
そしてコウは、一つの決心をする。それは、自分はこれからこの馬車を降り、セタを貶める暴挙を止めるためロプトを始末しに行く事だ。