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「君は確か、身寄りは無いんだったね」
「ええ、そうです。あの戦争で……」
「私も似たようなものだよ。元々孤児院の育ちでね。それは君も知っている事だろうけど」
セタが孤児である事は、この国の人間なら皆が知っている事実だ。孤児の出でありながら戦勝の英雄となったこと、それに市井は沸き立ち、貴族王族達は苦々しく思っている。孤児で英雄というそのギャップが、良くも悪くもセタの名を広めてしまったのである。
「さっきの話の続きだけど。君はもしもこの国に居られなくなっても、すぐに出て行く事は出来るよね。独り身なら身軽だろうから」
「そうですけど……一体何を言い出して?」
しかしセタはコウの問いに答えなかった。まるで何か確かめるような言い方だ。
セタの目的が分からない。何かを確かめたら、自分を始末するつもりなのか。セタの思惑が読めないコウはひたすらに恐怖する。
「君が死体と証拠を始末してくれた事だけど、君にはもうそういう危険な事はして欲しくはないんだ。君まで私の事情に巻き込まれる必要はない。けれど、騎士団の人間が本格的に捜査を始めたのなら、もう否応なく巻き込まれた事になるだろうね」
「自分は、そういう事も覚悟の上です。全部勝手にした事ですから、団長は関係ありません」
「だからね、もしも君もこの国に居続ける事が出来ないと思ったのなら。私と一緒に来る覚悟はあるかい?」
「一緒に?」
「ああ。私と妻と、そして君とで国を離れる事さ」
セタは亡命する事に誘っているのだろうか?
コウはロプトが以前言っていた事を思い出した。セタは既にロプトと接触しており、亡命についても了承を得たと。まさかその事を言っているのだろうか。
コウは自分がこの国へ来た目的を改めて思い浮かべる。自分はセタを暗殺するために来たのであり、これまで親交を深めて来たのはセタの人となりを把握し弱点と隙を見つけるためである。亡命の共犯者、それはこれまでにない親密な関係であり、一度も決定的な隙を晒さなかったセタへ更に迫れる好機ではないのか。ロプトと接点を持つリスクもあるが、断る理由は無い申し出である。
「驚かないんだね。亡命だなんて言い出したのに」
「いえ……何ていうか、あまりに突拍子も無くて。団長がそういう冗談は言わない人だって事は知っています。それに、日頃の事を思うと、何ていうかそういう結論になっても無理からぬ事だと思えて」
「それが理由じゃないよ。私はあくまで、妻を守りたいからさ」
「だったら、どうして? あの男、確かに酷い脅しをしかけて来ましたけど、殺すなんて……」
コウの問いにセタは物憂げな表情を浮かべる。仕方がなかった、他に方法が思い浮かばなかった。そんな答えをコウは頭の中で想像する。しかしセタの答えは意外なものだった。
「信じて欲しい、と言うのは押し付けがましいけれど。それでも信じて欲しいんだ。私は彼を殺してなんかいない。無実なんだ」
「殺していない?」
「あの晩、私はあの場所へ呼び出されただけだ。どこかの使用人にそう言伝されて。無視すればきっと更に不興を買うだろうから、仕方なく応じたんだ」
「あの死体は……」
「分からない。着いた時にはもう……」
「それじゃあ、あのナイフは?」
「あれは、私の私物なんだ。数日前にふと無くしてしまったものだと思っていたら、あんな事に使われてしまっていたんだ。どこにでも売っているような安物だけど、手掛かりにならない訳じゃない。いずれ私に繋がって来るだろうと思って、つい持ち去ってしまったんだ。自分でも都合の良い言い訳をしているように聞こえるのは、重々承知している。けれど、全部本当の事なんだ。真実の証拠は何も無いけれど、どうか信じて欲しい」
セタの証言を全て鵜呑みにするならば。セタはつまり、誰かに嵌められた事になる。あれはセタを陥れるための殺人だった。そしてセタ自身も、自分を貶めるためにまさかここまでやるとは思わずすっかり混乱してしまった。だからあの時のセタの様子はおかしく、周りにも注意が向いていなかったのだ。
あくまでセタの証言だけだが、言っている事は筋が通っている。全て真実だとしても問題はないのかも知れない。しかし、幾らセタを陥れるためとは言え、殺人まで犯す者がいるなんて。貴族達にとって同じ貴族は身内ではないのか。それとも、真犯人はあのトマスという騎士に別な恨みがあり、それを晴らすのとついでにセタを利用したのだろうか。
恨みを晴らす。冷静になって考えてみれば、これほどセタに合わない事もない。やはりセタは無実で間違いないのだ。そうなると、今度はセタを陥れようとしている第三者、見えない敵について警戒をしなくてはいけないだろう。少なくとも、セタがこの国を無事に離れる時までは。
「さっきの話ですけど。自分はどこにも身寄りはありませんし、もし団長の力になれるのなら、一緒についていく事に何の不都合もありませんよ。ですから今後は、何かあったら自分にも情報を下さい。まずはお互い、無事にこの国を離れる事を考えましょう」
「そうだね……うん、まずはそこからだ」
ようやく緊張が解けたのか、セタはにこやかに笑みを浮かべながらおもむろに右手を差し出した。それはただの約束よりも重い結束のような意思表明に見え、コウはすかさず自分も手を差し出し固く握った。
これはあくまで、セタの最大の隙を突くための準備である。
そう自らに言い聞かせる一方で、コウはセタとの強い信頼関係を結んだ事に決して小さくはない喜びを感じていた。