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コウは、はっきりと自分が任務と感情の間で揺れている事を自覚していた。この四年、例えどれだけセタに親切にされようと、ただの一度も思考が暗殺から離れた事は無かった。けれど、今はそうではなくなってしまった。セタを殺す事で何が起きるのか。まず最初にそれを考えてしまうように、思考がそうなってしまったのだ。
その晩、コウは夜の見回りの仕事を行っていた。場所はまた例の新興の墓地で、出没する墓泥棒への対策としての事である。前回と違ってただの一人で夜の墓地を見回るのは薄気味が悪いが、逆に言えば何をしていようが目撃される事はなく、考え事をするにも最適だった。多少の独り言も気を使う必要がない。
夜の墓地を歩きながら、コウはひたすら自分の行動について考え込んでいた。今週はロプトの方が優先される週ではあるが、元々セタへの警戒や観察はこれまで通り続けるつもりでいた。それすらしていないのは、完全にその迷いから来るものだった。果たしてこのままでいいのか。そもそも自分は、セタの暗殺を本当に成し遂げられるのか。迷いや不安が募れば募るほど、コウの行動の指針をぶれさせる。
幾ら考えても何一つ定まらない。そんなコウがさ迷うように墓地を巡回している時だった。ふと墓地の正面口の方から、何者かの気配を感じた。すぐさま右手を真新しい剣にかけ、左手のカンテラを気配のする方へ向ける。その気配の主は、自分の存在をまるで隠そうとはしていなかった。足音はそのまま聞こえる上に、堂々とカンテラの灯りも掲げている。単にここへ用があるといった雰囲気だが、それはこの時間にしてはとても異様な事だ。
「誰だ!? 聖騎士団だ! 墓泥棒なら、この場で斬って捨てていいと言われている!」
コウは警告の言葉をぶつける。するとその気配の主は、待って、違う、と緊張感のない返事をする。そしてコウは、その声に聞き覚えがあった。
「お前……まさかロプト?」
「そうそう。墓泥棒じゃないから、斬るのは勘弁してよ。ちょっと君と人目を避けて話したいんだ」
カンテラの灯りで良く顔を確かめると、それは間違いなくロプトだった。しかし、こんな時間にこんな所を訪ねてくるなんて。コウは驚くよりも向こうの出方に警戒を強めた。
「なんだ、話って」
「まあ、ちょっと込み入った話だよ。ここは都合がいいね。他に誰も聞かれる心配が無いし」
そう言ってロプトはわざとらしく周囲を見渡す。コウは苦味走った顔でその様を見ていた。
「そっちは順調かな?」
「探りを入れに来たのか? 出す情報は無い」
「焦ってる感じだね。それとも迷ってるのかな? 返答に余裕が無いね」
図星を当てられ、コウは思わず口ごもる。ロプトの言い方は卑怯だとコウは思ったが、それを口には出来なかった。
「そこまで悩むくらいだったら、もう暗殺なんて止めなよ。元々、君のガラじゃあないんだろ? 別に暗殺者の訓練なんてした訳でもないでしょうに。無茶な事をして、人生滅茶苦茶になるなんて馬鹿らしいよ。こんな事止めて、もっと自分らしい自由な人生を生きてみたら? 何だったら、君もこのままベネディクトゥス国へ来てみなよ。セタの部下としてなら、カラティン王も細かいことは口出ししないはずさ」
「それは俺に王を、上王を裏切れという事か?」
「半端な誤魔化しを口にはしたくないから、はっきりと言うね。いい加減、あれは見限ってしまうべきだ。上王はベネディクトゥスを貧しく疲弊させただけで何も出来ない、為政者として不適格な男だ。そんな男が私情で君を暗殺者として送り込む事自体がおかしいんだよ」
「お前っ……!」
コウは腰の剣を一気に抜き放ち、ロプトの喉元へ突き付ける。だがロプトは微動だにせず、暗闇の中で薄ら笑みを浮かべているようにすら見える余裕の構えだ。その余裕に満ちた態度が、一層コウの怒りを煮えたぎらせる。
「君が上王に育てられた恩があるのは知ってるよ。貶されて腹が立った事も理解できる。けど、それは君を不幸にする。恩義なら正しい事で返すべきだ。上王の意図にそぐわぬ形でも」
「俺に、仇で返せと?」
「違う違う。誰にでも胸を張れる事をしようって意味さ。上王のしている事は、ただの私怨だ。誰も喜ばないし、ためにもならない。それくらい分からない君じゃないはずだよ」
言っている事は結局同じことである。自分にとって大事なのは、王にどれだけ忠節を尽くせるかだ。それが世にとって正しいかは問題ではない。世間が王をどう見て評価しているのか、それも同様である。けれどその一方で、恩人である王を貶められた位である上王で呼ぶ事に、驚くほど抵抗が無かった。それは王に対して自分の心が離れているからなのか、そんな危惧をえる。
「さて、そろそろ御暇させて貰う前に一つだけ」
「何だ?」
「セタは了承したよ。奥さんと一緒に、ベネディクトゥス国へ渡る事を」
ロプトの口にした意外な言葉に、コウは思わず息を飲んだ。それは、先を越されたという敗北感よりも、まさかあのセタに限って、という落胆の思いの方が強かった。
「それが事実だとして……何故俺に言う? 俺が公表して騒ぎ立て、全部台無しにすると思わないのか?」
「思わないね。君はセタに対して個人的な想いがある。これまで世話になったという恩なのか、もっと別の同情心みたいなものか、その辺は分からないけどね。とにかく、君はセタが不幸になる事は望んでいないのは確かだよ」