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素性の知れない男の後を慎重に着いて行くコウ。男はすぐ側にあった汚いバーの中へ入ると、バーテンダーに何やら耳打ちをする。するとコウはカウンター席の奥へと座らされ、男はすぐ隣に座る。バーテンダーは変わらず仕事を続けるが、こちらに対して気を向けている事ははっきりと分かった。
「で、さっきの話。もう少し詳しく聞こうか」
男はコウへ先程の話の続きを始めた。コウはこの話の切り出し方に驚いた。男はコウが簡単に逃げられないような位置に座っているが、仮にも密入国の話をカウンターでされるとは思ってもみなかったからだ。隠し部屋とまで凝る事は無くとも、せめて立ち聞きは出来ないような部屋を選ぶものではないだろうか。
これは何かの試験なのか。おかしな返答をすれば痛めつけるつもりでいるのか。男の真意が分からず、コウは困惑した表情を見せながら口をつぐんだ。男はそんなコウの様子を見て事情を察したのか、苦笑いしながら答える。
「なんだ、驚いたか? どこでここの事を聞いたか知らねーが、最近はどこもこんなもんだぜ?」
「どこも?」
「ああ、そうだ。ちょっと世の中見えてる奴は、みんなベネディクトゥスへ行きたがるからな。お前もそのクチだろ?」
サンクトゥス国内では、政情や経済格差など様々な不満が渦巻いている事は知っている。しかし、ベネディクトゥス国と比較するほどの情報がこの国には入って来ていないはずである。少なくとも自分は、つい最近まで国王が変わったことすら知らなかったのだ。それとも、単にこういった情報の流入はどうやっても止められないものなのか。
コウはあまり事情を知らないが、この場は男の論調に話を合わせる事にする。
「まあ、そんな所だ」
「多いんだよ、特に最近は。だからこっちも昔ほど慎重にはやらねえのさ。数さばかねえと、とても追いつかねえ。幾ら向こうに行ったからと言って必ず良くなる保証はないがな、冒険するなら若い内の方がいいわな。で、渡りたいのは何人だ? お前の家族もか?」
「いや……俺は戦災孤児だから、家族はいない」
「そうか……酷ぇ戦争だったからな」
戦災孤児と言えば大体同情を買える。この国では大体そういった傾向にある。こちらの素性への深入りを避けさせるのに都合の良い話題だ。
しかし、今最も知りたいのは家族でも渡れるような手段である。そのため話を変えなければならない。
「でも、俺以外にも一緒に渡りたい人がいる」
「だったら、一度ここへ連れて来てくれねえとな。一応信用第一だからな、この商売は」
「そ、それは無理だ」
「なんでだ? 俺は顔を合わせられない奴の繋ぎはやらねえぞ」
「どうしても無理なんだ。その……俺の女なんだが、腹に子供がいる。だから無理が出来ない」
「はあ、子供ねえ。だったら産まれた後でもいいだろ?」
「こっちもそれまで生活が持たないんだ。だから頼む、一日でも早く向こうへ渡して欲しい。それでちゃんと子供が産めるように稼ぎたいんだ」
流石に子供が居るというのは嘘臭過ぎただろうか。そうコウは不安に思ったが、意外にも男はさほど厳しい顔はしなかった。
「しょうがねえな。あんた、運がいいぜ。実は他にも身重の女を一緒に渡してくれって頼まれてる件があるのさ。こっちはまだ日取りは決まってねえんだが、それと一緒だったら受けてやってもいいぜ」
「ほ、本当か!? 助かる」
「その代わり、誰にも言うなよ。繰り返すが、信用第一で俺はやってんだからな」
「いや、十分だ。後はあんたの言う通りにする」
それにしても、まさかこのサンクトゥス国からベネディクトゥス国への密入国者がそれほど急増しているなんて。サンクトゥス国の階級社会に閉塞感を覚えて嫌気が差したのか、ベネディクトゥス国にそれほどの夢を見ているのか。自分がベネディクトゥス国に居たのは四年も前だが、社会情勢に覚えた印象はサンクトゥス国とさほど変わりは無かった。やはりカラティンに国王が変わってから、それほど国情が一転したという事なのだろうか。
「同行して貰う相手とは、まあ当日まで顔は合わせないだろうが、ちゃんと仲良くやってくれよ? 揉め事起こすようなら、どうなろうと知らねえからな」
「向こうも事情は同じなんだろ? だったら多少の事は譲歩するさ」
「体調の方も気をつけておけよ。途中で産気付かれても、医者なんて呼べねえからな」
相手も身重の女を同行させる。その事でふとコウは、自分から出任せを言ったにも関わらず、唐突に今になってその事情はセタと同じである事に気が付いた。同行する事になるというその身重の女とは、まさかセタの妻マリーではないだろうか?
ところで、その同行者はどこの誰だ?
コウは心底そんな質問をぶつけたかったが、流石に飲み込んだ。こんな質問をした所で素直に答えるとは到底思えず、その上不興を買いそうだからだ。