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サンクトゥス国は非常に封建的で階級制度が根強い構造をしている。生まれによりコミュニティがほぼ一生決定付けられ、職業の選択もほとんどが世襲制である。貴族は貴族、平民は平民、これは一生変わることはない。そう決められているのが当たり前の社会なのだ。
そんな社会構造の中で異物とも呼べる英雄セタが現れたのは、隣国ベネディクトゥスとの戦争が長引いた事にある。一進一退の攻防をあまりに長く続けた結果両国共に正規兵を著しく消耗し、やがて部隊を整えるために平民からの徴兵が始まった。ベネディクトゥスは志願兵制だったが、サンクトゥスは徴兵制、それも階級制度の底辺が対象となった。そこに含まれていたのが、孤児として育ったセタだったのである。
当初、セタの活躍は嬉しい誤算と聖騎士団は見ていた。使い捨てできて後腐れのない孤児、それが予想外の戦果を挙げたのである。属していた部隊の指揮官は思わぬ功を得たと喜び、聖騎士団は敗戦の泥を被らずに済んだと胸を撫で下ろす。だが、そこからの国民の動きは予想できていなかった。いつの間にか戦勝の立役者がセタという一兵士であると市井の間で広まってしまったのである。平民とは常々貴族階級に虐げられてきた人々である。その平民の中から英雄が誕生したと知るや否や、熱狂ぶりは凄まじいものとなった。聖騎士団は自分達の戦果を丸々セタ一人に奪われたと憤慨するが、表立って国民の熱狂を否定する事は出来なかった。それは、度重なる戦費の負担を国民に強いてきたため、かつてない程の苛立ちや不満が国民達に渦巻いていたからだ。下手に刺激しようものならたちまち内乱が起こり、すぐさまベネディクトゥスに付け入れられるだろう。そうならないためにも、国王や聖騎士団は、ただの平民であるセタを英雄と祭り上げる事に同調せざるを得なかったのだ。
コウはそこまで書き込んだ所で筆を止め、その小さな羊皮紙をバングルの中へ隠す。これはこの四年間の潜入で得た情報、セタという人間についての最終的な結論である。聖騎士団が戦勝の英雄であるセタを冷遇する一方で、市井の間では英雄として未だに尊敬の念を集めている矛盾。それについて自分なりに下した答えがこれである。
セタと人となりは完璧と言っていいほど調査し把握した。だが、こういった資料はそもそも自分が失敗した時の後任のために残すものである。それがロプトという人間が現れた以上、次も後任も無くなってしまった。ベネディクトゥスはかつての自分が知る国ではなく、そこにセタが迎え入れられたら暗殺など不可能だ。
もはや後生大事に持っていても仕方のない資料だったが、コウは敢えてそのままにした。この行動そのものが、自分をかつてのベネディクトゥス国が放った暗殺者だと自覚させてくれるからだ。
作業を終えたコウは明かりを消し、寝床を誰かが寝ているように工作する。そして自分はフードの付いた皮の外套を着込むと、窓伝いに外へと出た。
姿を隠し外出するのには理由があった。コウは密入国のコーディネーターをこれから探すつもりなのだが、その手っ取り早い方法は実際に行っている現場から入る事だと考えたからだ。四年前の自分の密入国は、要害を越えるではなく身分を偽ってのものだった。その手助けをした組織が、要害に長けている事は聞いている。探り当てた所で協力は期待できないが、何かしら得られる情報はあるはずである。
コウはまず商店街を外れた暗い路地を歩いてみた。特に入り組んだ先は人の気配も薄く、半ば廃墟のような建物までが散見される。ここまで入り込むと昼間でも危険が大きく、聖騎士団としての巡回もセタは流石に避けて通るほどだ。そのため犯罪者が潜伏するには都合が良く、様々な組織が裏の商売をしているという話も少なからず耳にしている。姿を隠しているにしろ、コウのような若者が一人で歩くのは流石に目立つ。声をかけられるのはすぐだと予想していた。それが目的の相手に当たるまで、何度も繰り返すしかない。
程無くして、どこからか現れた人影がコウの脇に並び声をかけてきた。声からして中年の男のようだったが、顔を布で隠しているのかくぐもった声だった。それだけでもまず表の商売をしている人間ではない事が察せられた。
「アンタ、何か用事かい? この辺りは物騒だぜ」
「ベネディクトゥスへ足抜けをしたい。渡し役を知らないか?」
「足抜けねえ……?」
男はとぼけた口調で曖昧に答えた。しかし、突然と距離を一歩詰めてくると、小声でぼそりと囁いてきた。
「このまままっすぐ歩いて行きな」
そして男はその場から足早に去ってしまった。
足抜け。何となく選んだ言葉ではあったが、どうやらいきなり正解を引いたような感触だった。けれど、今の男の反応は妙に穏やかだったように感じた。足抜け自体を生業としていても、それを突然と見ず知らずの一般人が口にした所ですぐ鵜呑みにするとは思えないのだ。
今の男、本当に当たりだったのか、それともこのまま進むと手痛い目に遭わせられるのか。
コウは念の為袖に忍ばせておいたナイフの重さを確認しつつ、周囲に最大限警戒をしながら言われた通りに進んでいく。やがて前方から特段隠す気の無い何者かの気配を感じた。その者はこちらの接近に気付くと、潜めた声で呼びかけてきた。
「おい、今からこっちに着いて来い」