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夕刻になり、業務を終えたコウは商店街へ足を運んだ。これからセタの自宅を訪問し、セタの妻が懐妊した事への祝いの品を届けるためである。だがそれは訪問するための名目であり、実際はセタの行動の監視、決定的なチャンスがあれば暗殺を実行する事が本命だ。そのためコウは、あらかじめ薄く研ぎ澄ました暗殺用のナイフを服の中へ忍ばせていた。
無難にお茶と果実を購入し、そのままコウはセタの自宅へと向かった。セタの自宅は商店街から少し離れた住宅街の一画にある。セタの家は、家主がそうと知っていなければとても救国の英雄が住まうようには見えないありきたりで質素なものだった。騎士団の団長を務めながらも地味な中古の一戸建てに住まうのは、他の騎士団団長が盛大に散財するに比べたら随分と倹約しているようにも見える。けれどセタがそうしている理由は、単純に派手な生活をする事で悪目立ちする事を避けているためだ。セタ自身が派手な振る舞いが苦手という事もあるが、意図して貴族騎士達に目をつけられないようにしていると本人の口から聞いたことがあった。
コウは早速セタの家のドアをノックする。まず最初に中から聞こえてきた返事は女性のものだった。おそらくセタの妻マリーの声だろう。しかしドアの方へ近づいて来るのは、明らかに女性のものではない歩幅の人物だった。こちらがセタだろう。
「おや? 急にどうしたんだい?」
ドアを開けて顔を覗かせたのはやはりセタだった。業務を終え私服のセタは、口調も幾分軽く砕けたものになっていた。
「突然失礼します。今朝団長が仰っていた奥様の事で。ささやかですが、お祝いの品を」
「ああ、そんな。気を使わなくてもいいのに。取り敢えず中に入って」
セタはやや気恥ずかしそうな表情を浮かべながら、コウを家の中へと招き入れた。
思ったよりもあっさり入る事ができた。そう内心喜ぶのも束の間、コウはセタがやけに外を気にしながらドアを閉めるのを見た。まるで外から自宅を監視されているのか、若しくはコウが何者かに後をつけられたような警戒ぶりである。
「団長? 外がどうしましたか?」
「え? ああ、いや、別に。ちょっと建付けがね」
セタは分かりやすい誤魔化しをしながら笑みで取り繕う。やはり様子がおかしい。何か気掛かりな事があるのだろうが、振る舞いからするとこちらには知られたくないようである。一旦は気付いていない振りをするべきか。
セタに連れられ居間へとやってくるコウ。そこにはソファに体を預けるようにして座るマリーの姿があった。以前に会った時とは違い、目に見えて大きくなった腹を抱えている。セタの言った通り、妊娠後期の様子だ。
「あら、コウ君だったかしら。随分と久し振りね。こんなでごめんなさいね」
「いえ、そのままで結構ですよ。もう動くのも大変なのでしょう?」
「大丈夫、これでも家事くらいはいつも通りやっているのよ」
マリーが座ったまま挨拶を交わし、コウはセタと向かい合うように椅子へ着いた。
「これ、些細なものですが」
「本当あまり気を使わなくていいんだよ」
「今日は皆さんからも戴きましたものね」
「他って、騎士団の団員ですか?」
「そう。昼休みの間に急遽用意してくれていたみたいで」
セタの第十三騎士団は、他の騎士団に居られなくなった訳ありの団員ばかりが集められた組織である。けれどそんな彼らでもセタに大しては一定の敬意を払っている。こういった時にすぐさまお祝いを用意するのも、セタに対する日頃の感謝の念なのだろう。
マリーに淹れたお茶を飲みながら、コウは二人と談笑を交わす。何の変哲もない世話話ばかりで、これといって気に掛かるような点も無かった。しかし肝心のセタの様子だが、にこやかに振る舞ってはいたものの、はっきりと分かるほど警戒心を全身から滲み出させていた。それはコウに対して向けられたものではなかった。漠然とだが、セタは自宅周辺に対して警戒をしている、そんな風に感じた。
コウはセタのそんな様子が気になって仕方なかったが、それを直接口にするのは流石にはばかられた。自然な振りの出来る話題も無い以上、あまり長居も出来ない。詳細は不明だがこんな警戒をむき出しにしたセタを相手にする事は不可能である。これはもう今日は諦めるしかない。
コウは席を立って暇を告げようとする。しかし、その時だった。
「えっ?」
何気なく見た窓の外、そこに人影があった。それはたまたまた通りかかったというものではなく、明らかにセタの自宅の敷地内へ入りはっきりと家の中を覗き込んでいた。
「どうした?」
「い、いえ、そこ。今誰か覗いていて……」
するとセタはすぐさま席を立ってコウが指差した窓へ駆け寄る。そしてセタは外を念入りに確認し始めた。
「今か!? 今、ここに居たのか!?」
「え、ええ。こっちと一瞬目が合って。それからすぐどっかへ行ってしまいましたが……」
セタは再度周囲を確認すると、念入りに戸締まりをする。そして心配そうに見上げるマリーの髪を安心させるようにそっと撫ぜた。
「今の何でしょうか? 変質者?」
「分からない……。ただ、ここのところずっとなんだ。俺かマリーかこの家か、今のところ何するまでも無いがずっと監視しているようなんだ」
「ずっとって、何時からです?」
「もう一年近い」
それはつまり、マリーの妊娠が分かる前からである。
これがセタがマリーの妊娠を誰にも打ち明けなかった理由なのだろうか? もしかしてセタは、犯人は貴族の手の者だと思い、下手に騒ぎ立てたくないと考えているのかも知れない。
しかし、一体あの者はどういう目的で監視していたのだろうか。それがもしもセタを狙っての事であるならば。セタに手を出せずにいる自分とどうにか協力し合えないだろうか。