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古びたその砦の周りには、数えきれないほどの死体が溢れていた。その装具から、転がっている死体達は敵味方に分かれた兵士である事が見て取れた。いずれも死に様は目の前の砦に向いており、彼らがの目的が砦の防衛、若しくは奪取だったの事が見て取れる。苦悶、あるいは無念に彩られた死に顔の群れは、まさに地獄とでも言うべき光景である。
「うううう……ああああ……」
そんな惨状の中を、ふらふらと一人の人影が彷徨い歩いていた。
男は、天を仰ぎ大粒の涙を流しながら、ひたすらむせび泣いていた。肩の肉に刺さった矢もそのままに、鞘を無くし剥き身のままの剣を引きずり、全身血と泥にまみれながら、男はひたすら泣き続けていた。
男は覚束ない足取りで、嗚咽の他に人の名を幾つか呼んでいた。それは、かつて男と共に戦って砦を落とし、今日まで防衛してきた戦友達の名前だった。男の呼びかけに答える者はいない。男は、この場に生き残っているのが自分一人である事に気付いていた。しかし全ての戦友達が死んでしまった現実が受け入れられず、こうしてむせび泣きながら繰り返し戦友達の名を呼んでは彷徨っているのだ。
男もまた、体のあちこちに決して軽くはない怪我を負っている。あまりに長く続いた戦いで疲労もピークに達している。そんな満身創痍の体でいつまでも歩き続けられるはずもなく、やがて男は自らの意思とは関係なしに膝から崩れ落ちた。疲労と絶望感で心身共に衰弱しきっており、男はこれ以上物事を考える事も出来なくなっていた。両国にとって重要な拠点であるこの砦、自分一人が最後に生き残ったという事はとてつもなく大きな手柄を独占出来るという事である。けれど男にとっては、手柄の独占よりも戦友達の死がずっと重かった。彼にこの勝利の味はあまりに苦い。
地面に両膝をつき、両手のひらで地面から体を何とか支え、まるで差し出すようにがっくりと首をうなだれている。男は未だにむせび泣き戦友達の名を繰り返し呼び続けていた。全く生気の感じないその姿、まさに心も体も半分以上は死んでいると言っても過言ではないだろう。
時と共に、日が傾くに連れて、男の嗚咽も聞こえなくなっていく。このままいずれは男の体は地面に崩れ、本物の死人となるのだろう。
そんな時だった。
「おい、見えたぞ! あそこだ!」
付近から突然聞こえて来た歓喜の叫び声。男はゆっくり顔を上げてその方を見る。そこには何人かの兵士の姿があった。この激戦に参加せず、後詰めとして寄越された小隊なのだろう。
男の目はみるみる内に大きく見開かれていき、ぎりっと歯を強く噛んだ。それは、現れた後詰めの部隊、彼らの装備が明らかに敵国のものだったからだ。男は満身創痍の体に力を漲らせ、ゆらりと幽鬼のような仕草で立ち上がる。だらりと垂れ下がった右手にはしっかりと剣を携え、敵達を鋭い眼光で睨み付けた。そこには、戦友達の死を受け入れられずむせび泣いていた男はいなくなっていた。今の彼は、戦友達が文字通り命と引き換えに獲得したこの砦を守りきる不退転の覚悟を決めた戦士だった。
「なんだ? おい、誰か居るぞ」
「味方か? 生き残りがいたのかよ」
「いや、違う。あの鎧はサンクトゥスの奴だ!」
男の姿と所属を認識したその部隊は、俄かに殺気立った。誰が言うまでもなく、自然と各々が得物を構え相対する。
「けっ、どうせ相手は一人だ。臆する事はねえ」
「見ろよ、あれ。ぼろぼろで今にも死にそうだぜ」
「なんだ、大したことないじゃないか。よし、さっさと終わらせるぞ」
誰一人として、男を警戒しなかった。男は唯の一人で他に味方は無し、武器はおびただしく刃こぼれした剣一つ、そして何よりも男の姿が満身創痍そのものである。負けるイメージが湧かないのは無理からぬ事である。
「ほら、どけよ! サンクトゥスの負け犬!」
一人の若い男が、剣を片手に調子づいた様子で彼に襲い掛かる。少し撫でればそれだけで片が付く、彼の様相からそう軽視している態度だった。しかし、
「……えっ?」
辺りに鈍い音が響いた直後、若い男は信じられない物を見たような顔で、斜め前につんのめるように倒れた。頭からは大量の血が吹き出していて、体がびくびくと細かく痙攣を始める。その姿は誰の目にももう助からないように映った。
「てめえ!」
異変に気付き、一斉に殺気立ち怒りを彼へとぶつけてくる。彼は、今若い男の頭蓋を叩き割った剣を振り下ろした姿勢で、激しく肩で息をしていた。だが、既に敵達は怒りをあらわに襲い掛かって来ている。彼には休む暇など無かった。
「……ここは、絶対に渡さない」
深く低い声で、まるでそうあるようにと自分に言い聞かせるかのように呟き、彼はゆっくりと頭を上げ振り下ろした剣を再び構え直した。
「死んでも俺は! ここはお前達に渡さない!」