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およそ半月ぶりになる聖都中央拘置所。その面会室は以前と何ら変わらぬ殺風景なところだった。
ベアトリスは相変わらず服装に制限は無く、手足も自由のままである。ただし、随伴する警備員は一人になっていた。それはおそらく、ベアトリスがこのまま証拠不十分による不起訴となる見通しが濃厚だからだろう。
「よう、久し振りだな」
「すみません、あまり顔出せなくて」
「いいんだよ、別に。お前がそれだけ、ちゃんと仕事やってたって事なんだから」
そう微笑むベアトリスは、口調こそ普段の粗雑なものだったが、随分穏やかで機嫌の良さそうな印象を受けた。自分の処分の事についてと、その背景で大方ある程度察しているからだろう。
「で、成果はどうなんだ?」
「はい。先輩は三日以内に釈放される予定だそうです。証拠が不十分である事と、どうも一課が捏造していた事を認めたらしくて。今はそっちの方で局内が騒がしくなってます」
「そっちじゃねえよ。オリヴァーの奴だ。しとめたんだろ?」
「まだ分かりません。オリヴァーとマフィアの会合の現場は押さえられたのですが、自分は脅迫されていただけだと突っぱねていまして。ただ、一課の件はオリヴァーの指示だと自供が出ていますので、少なくとも統括官の職は解かれます。処分は上の判断次第でしょう。一応、査察四課の手柄として伝わってはいますので、こちらの主張はほぼ通るはずです」
「じゃあ勝ちみてえなもんだろ。傷物になったベテランなんざ、組織再編じゃ真っ先に飛ばされるんだよ。これから風当たり悪くなるだろうし、居辛さに耐えかねて勝手に辞職するだろうさ」
「ではこれで……外局になっても四課のメンバーは残れるのでしょうか?」
「花形のはずの一課がクズと付き合うような体たらくなんだ、大丈夫だろうさ」
ベアトリスはさも愉快そうに笑った。
その時エリアスは、言い知れぬ強い思いが胸にこみ上げてきた。今までエリアスは、ベアトリスには散々振り回され過酷な現場に何度も放り込まれてきた。優しい言葉をかけられた覚えなどなく、むしろ罵詈雑言の方が多い。だから、何度も国税局を辞する事を考えた。今回の騒動は、そんな中で一時の強い感情に突き動かされただけの事でしかない。それなのに、何故か今エリアスはかつて味わった事のない達成感で一杯だった。そこまでされてきていても、実は自分はベアトリスに認められたかったのか。そんな困惑すら覚えてしまう。
「おい、まさかお前、泣いてるのか? なっさけねーな」
「い、いえ! なんでもありません!」
エリアスはベアトリスに指摘され、初めて自分が涙ぐんでいる事に気がついた。慌てて目元を拭うと、詰まった喉を開き声の調子を整える。
「それで、お前オリヴァー押さえるのに、どこの誰と連んだ?」
「あの、大声では言えないのですが……青の翼という組織です。今後、個人的には彼らの中央進出を手伝わないといけなくなります。形式的には、彼らの構成員となった訳で……」
オリヴァーの件で情報提供などを協力して貰った、青の翼。その見返りは、夜の影の縄張りを奪い取る手助けをする事である。そして、この約束を遵守するために、エリアスは彼らの構成員となったのである。
「やはりまずいですよね……捜査官がマフィアの一員になるのは。ですから自分も、職を辞するべきだと思いまして」
「必要ねーだろ、そんなの。いいじゃねーか。新しい情報源が出来たって事だろ?」
渾身の思いで打ち明けた事だったが、ベアトリスはあっけらかんと答えた。
「え……そんな認識でいいのでしょうか?」
「いいだろ。アタシや先生だって、そんくらいのツテは持ってるしな。綺麗事じゃ何も進まねえ仕事だって、とっくに分かり切ってるだろ? どうせ向こうもこっちの事を使いたがってんだ。こっちはこっちで、都合良く使ってやりゃいいだろ」
「確かにそうですが……」
「一人前になった証だって思っとけよ。お前もようやく、アタシの手から離れたって事さ。いやあ、感慨深いねえ」
こんな犯罪行為に手を染める真似、普通ならば怒られて当然の出来事のはずなのだが。やはり査察四課は考え方がおかしい。いや、だからこそ質の悪い未納者を取り締まる事が出来るのか。それがそもそも査察四課という組織なのかも知れない。そう割り切り、安堵と疲労の入り混じった溜め息をついた。
「時間だ」
丁度会話に一区切りがついた頃、警備員がそれを見計らって声をかける。前回の面会に比べ気を使っているような印象を受けた。
「なんだ、もうそんな時間か。ま、大体近況は聞けたし、それで良しとするか」
「釈放の日はこちらから迎えに行きますので」
「おう、そうしてくれ。それと、お前。さっき言ったの、青の翼だっけか? アタシからも挨拶行くから、お前案内しろよな」
突然そんな事を言い出し、エリアスは思わず息を呑んだ。
「え? 挨拶? い、いや、駄目ですよそんなの! 向こうにだって都合が」
「不法移民の都合なんざ知るかよ。アタシが出向くって言ってんだ。出向くんだよ」
ベアトリスはそう語気を強め、エリアスの胸を一度殴った。その衝撃で思わずむせてしまい、反論するタイミングを無くしてしまう。
「じゃあな。ボスや先生によろしく言っといてくれ」
警備員と共にベアトリスは面会室を去っていった。
まずい事になった。そうエリアスは顔を青ざめさせる。ベアトリスの挨拶、それがそのままの意味であるはずが無いのだ。確実に何かの揉め事を起こしてしまい、下手をすれば対立構造となって新たな火種になりかねない。それこそベアトリス自身が言ったはずの、都合良く使う関係などあっという間に消えてしまうだろう。
今回の案件、ベアトリスがいない事に不安を覚えなかった日はない。けれどそれは、ただの錯覚だったのだろう。そうエリアスは自身の考え方を改めた。