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言葉数少ないベアトリスに連れられて辿り着いた先は、大通りから一つ路地に入った所に建つ雑居ビルだった。幾つか会社の事務所が構えられているようだったが、ベアトリスはその内の一つに迷わず入っていった。
「あの、先輩。ここは何処なんですか?」
「お前、配属されて一番最初に行ったところ憶えてるか? 株式会社アレクサ。あそこの連中が、今はここに移転してんだよ。事業登録も変えてな。こっちはそれを黙認する代わりに、居所は必ず連絡させてんだよ」
懐かしい社名だ、そうエリアスは思い出す。今にしてみれば、あそこでの出来事が今の非日常的な世界での仕事の始まりである。そして未だにそれは、今となっては良かったとなるような思い出にはなっていない。
そこはドアから入ってすぐ事務机が並ぶ、質素で狭苦しい一室だった。そこには書類の束と、明らかに一般人には見えない男達がずらりと並んでいる。そして、突然挨拶もなく入ってきたこちらに対し、露骨に敵意を向けてきた。
「おい、ボスはいるか? 社長じゃねえぞ。お前らのボスだ」
「いきなり何言ってんだ、姉ちゃん? どっかと間違えてねえか」
「三下に用はねえよ。さっさとボスを呼んでこい」
一回りも体格の違う男に詰め寄られるも、ベアトリスは普段の調子で一蹴する。そのあまりに不遜な態度に、男の表情は見る間に変わっていく。
「てめえ……少し悪ふざけが過ぎてんな」
男の方は分からないが、ベアトリスはこういう時には平然と手を出す。あまり拗れぬように、エリアスは二人の間に割って入る。すると今度はエリアスの方へ苛立ちをぶつけてきたが、エリアスは平然を装って毅然とした態度を保った。
その時だった。
「おい、やめろ! そいつら、国税の奴らだ!」
誰かが悲鳴にも似た声で制止する。
「本当だ! 俺は前にも一度そいつらの顔を見てる! 間違いない!」
その指摘に、男は苦虫を噛み潰したような表情で渋々下がった。
自分達を国税局の人間と知っている者がいた。過去に摘発や査察といった事で、顔が知られる機会は幾つもある。それ以外にも、ベアトリスと後ろ暗い取引をした場合もある。彼らもまた、そんな手合いなのだろう。エリアスは、そういった出来事はあまりに多過ぎて、もはやいちいち記憶には留めてなかった。
「確か……ベアトリスって言ったな。あんた、前にも時々ボスのところ来てただろ」
「なんだ、知ってる奴がいるなら話が早いじゃん。ボスはどこ?」
「それなんだが……ちょっと事情が変わった」
「変わった? 何が、どう?」
「今のボスは俺だ。あんたの言うボスは、もう死んだよ」
死んだ。その言葉には驚きよりもまず、目当ての人間に会って欲しい情報が得られないのではないか、そういう落胆の方を強く感じた。彼らが身を置くのはそういった世界であり、それは決して珍しい事ではないからだ。
「なに? 引き継ぎも無しで?」
「突然の事だったんでな……」
ベアトリスは半分冗談のつもりで言ったのだが、彼の表情は青ざめているようにすら見えるほど深刻だった。よほど恐ろしい出来事だったのだろう。
「ふうん。まあ、社会に迷惑かけて生きていたんだから、ろくな死に方じゃないんだろうけど。ちなみに、どうやって死んだの?」
「多分、プロの仕業だ。真っ昼間の街中を歩いてて、いきなりすれ違い様にザックリだ。気が付いた時はもう手遅れ、そいつの姿も見当たらなかった」
それは、もしかして。
あの事件と同じではないか、何か繋がりがあるのではないか。そう口にしかけ、慌てて言葉を飲み込む。無闇にこちらの情報を分け与える必要はないからだ。そして、こちらも立場は対等であると、間違っても錯覚させてはならない。
「やられる心当たりはあんのかよ?」
「こんな稼業だからな。心当たりは山ほどある。だが多分、指示したのは見当がついてる」
「何処の誰よ?」
「去年辺りから、うちのシマの事で揉めてた連中がいる。ボスの顔も知られてるし、間違いないはずだ」
「要するに、同業者ってこと」
「連中に比べたら、俺らは可愛いもんさ。俺達にとって殺しは、本当に最後の手段だ。だが奴らは違う。安く上がりそうなら、それだけで殺しだ」
「結局は同じ穴のムジナだろが、お高く止まりやがって。で、そいつらの情報は?」
ベアトリスの催促を聞くや否や、その場がどよめいた。
「あんた……あいつらとやりあうつもりか? 国税の仕事じゃねえだろ」
「別にお前らクズ共なんかどうでもいいよ。目的はそれじゃなくて、そいつらとつるんでる身内のクソ野郎だ。ほら、こっちもここまで打ち明けたんだ、さっさと吐けよ。それとも、痛い目見てからじゃねえと頭回らないか?」
「いや……。俺らに奴らを庇い立てする理由はねえさ。知ってることは教えてやる。その代わり、貸しにしておいてくれよ」
「セコいシノギだけならな」
果たしてベアトリスはどこまで確約するのか。今までの傾向からすれば、その辺りは本当に時と場合による所が大きい。彼らと対等な取引をするつもりは無いが、白札を切らさせているような約束事にはいささか罪悪感を覚える。