BACK

「そんな! 話が違うぞ!」
 突然、店内に響き渡る男の声。それは、先ほど店に飛び込んできたあの男のものだった。
「先週と明らかに値段が違うだろ! 倍近いじゃないか!」
「そうは申されましても。骨董は値段の流動も激しいので、そういう事もあるかと」
 今にもカウンターを乗り越えそうな勢いで噛みつく男に対し、店員は至極慣れたように落ち着いた態度で淡々と説明する。価格についていちゃもんを付けられる事など、この商売では日常茶飯事だからなのだろうか。
「け、けど、俺はそんな値段だって一言も聞いてなくて……!」
「何処の何方からお聞きしたのかは存じませんが、現在の価格はこのようになっておりますので。それで、お買い上げになるのですか? ならないのですか?」
「くっ、くそ!」
 まるで動じない店員にこれ以上は無駄だと察したのか、男は腹立ち紛れにカウンターを一度蹴ると、そのまま店の外へと飛び出していった。店員は最後までその様子を淡々と眺めていたが、その表情は冷静と言うよりも冷徹に近い印象を受ける。
 直後、ベアトリスはエリアスに肘で密やかに合図を送った。
「今のアイツ、追うぞ」
 小声の指示に対し、エリアスは小さく頷く。
 そして、今の男を追うと店員に勘付かれぬよう平素の様子を保ちながら店を出、すかさず男の後を追って走り出す。男は勢い良く飛び出した割に未だ通りの隅をのろのろと歩いており、二人はあっさりとその背中を見つける事が出来た。まずエリアスが前に回り込み、それからベアトリスが後ろから声をかける。人に声をかける時は女性の方が良い。それはベアトリスでも同じ鉄則である。
「すいませーん、ちょっと話聞かせて貰えるかな?」
「な、何ですか急に」
「あなた、もしかしてお金に困ってるんじゃないかなあと思ってね。あ、闇金とかそういうアレじゃないから。警戒しないでね」
 朗らかに話すベアトリスに対し、男はやはり警戒心を解かなかった。むしろ訝しんでいるようにすら見える。いきなり見ず知らずの他人に懐事情の話をされても、男のこの反応は致し方無いと言えるだろう。
「我々はとある政府機関の者です。あなたに、是非お話をお伺いしたい」
 次にエリアスが普段の調子で慇懃にそう説明する。男は政府機関という言葉とエリアスの固い態度にある程度の信憑性を持ったのか、表情から若干疑いの色が消えた。
「あ、あんたら、もしかして憲兵か? それとも、国家安全委員会とか……」
「この場所では、いささか具合が悪いので。一度あちらに移動して戴けますか?」
 エリアスに促され、三人は通り沿いから路地裏の方へと移動する。そこは付近の建物の裏口が並ぶ人気のない場所で、他人に聞かれたくない話をするには好都合だった。
「アタシらは、国税局のモンだ」
 ベアトリスの唐突な自己紹介に、男の顔が引きつる。その表情は、エリアスも最早見慣れたものだった。収入報告に後ろ暗いものがある人間は、不思議と国税局の名を聞くと同じ表情を浮かべるのだ。
「ま、待ってくれ! 今、金は無いんだ! 本当だ! 確かに副業はしていたけど、採算取れてなけりゃ申告は要らないはずだろ!」
「別にそんなのはいらねーって。アタシらが興味あるのは、その副業の全体像だ。アンタみたいな小者をしょっぴくほど暇じゃねーんだよ」
「なっ……誰が小者だ! おい、君! 彼女は本当に国税局の人間なのか!?」
 ベアトリスの態度に憤慨し、エリアスの方へ詰め寄ってくる。エリアスはベアトリスとは対照的に、落ち着き払って受け答えた。
「私の先輩に当たります。それより、あなたの事をお聞かせ下さい。何やら先程の古物商店で揉めていたようですが」
「……別に。欲しかった物が、聞いてた話より高かっただけだ」
「へえ? あんな訳の分からないがらくたがねえ。それで頭に来たって?」
「そうだ! 別におかしくはないだろ!」
 男の態度は、明らかに子細を隠そうとしている。だがそれは逆に、二人にとって幸運だった。この男は、欲しがっている物証に繋がる手掛かりを持っている、そう言っているも同然の態度だからだ。
「そうですか。我々は、とある脱税容疑の捜査を行っています。もしもあなたが容疑者の関係者だったなら、と思っていたのですが。違うのであれば失礼しました。今回は、関係者は一斉に摘発する方針のため、少々早まってしまいました」
「一斉に……摘発?」
「ええ、そうです。かなり悪質な手口ですから、再発防止の意味でも見せしめ的な摘発になるでしょうね。ああ、あなたの副業はそれとは無関係ですよね? でしたら、もう行って戴いて構いませんよ。あなたは無関係との事ですし」
 男の顔色が幾分か変わる。表情には迷いが現れていた。惚けるか、降参し打ち明けるか。その境で揺れているのだ。
「い、いや、もしかすると、利用されてるかも……多分ですけどね」
「関係者なのですか? でしたら、起訴以外はあり得ませんよ。これは決定事項ですから」
「おい、エリアス。お前、また忘れてるな? 関係者でも、協力者は別だってあれほど言っただろ」
「すみません、先輩。すっかり失念していました。という事なのですが、如何しますか?」
 明らかに、事前に仕込んでいたようなやり取り。けれど男は、元々余裕も無かった事もあってか、見る間に態度を急変させていった。