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その会社は、クワストと言う輸入代行を営む貿易会社だ。その名の通り、西方のクワストラ国との交易を中心とする会社で、近年になって起こされた。西方の途上国クワストラは、様々な鉱物、特に貴金属が採掘される国である。それが長年鉱脈が絶えて経済的にも逼迫し情勢も不穏なものになっていたそうだが、近年になって新たに大きな鉱脈が見つかり再開発ブームが始まったそうだ。この会社も、それに便乗し一儲けしようという趣旨なのだと、一見しただけではそう見える。だが実際は、クワストラ情勢に便乗した違法な品物のやり取りが行われている。そして、直接取引に関わった人間が一人、最近に身柄を拘束されているそうだった。それは、以前に強制捜査の最中で得た別件の情報と引き換えに得たものだそうだ。
アントンからそんな説明を受けたのが今朝の事。そして昼前にはベアトリスも同伴した上で、件の会社クワストへ向かう事となった。当然裁判所からの令状など無く、あくまで任意の事情聴取である。しかし、エリアスは不安しかなかった。これまで任意と言っておきながら、思うようにならなければすぐにベアトリスが相手を恐喝し始める事が何度もあったからである。
クワストの事務所は、北部の港の近くにある雑居ビルの一室に構えられていた。建物の佇まいや取り巻く空気からして、これまでの経験則から確実に良くない事が起こるとエリアスは確信していた。国税局に反抗的でベアトリスが嫌うタイプの人間が居る場所というのは、どういう訳か似通った場所に居るのである。
ベアトリスもアントンの手前で暴力沙汰を起こすとは思えないが、アントンもアントンで時折そういった事を許容するため、あまり安心は出来ない。とにかく、騒ぎを起こさせないよう場をコントロールするしかない。そうエリアスは決心する。
「よし、お前から行け」
事務所のドアの前まで来ると、案の定ベアトリスがエリアスに斬り込みの指示を出した。そうなる事は承知の上であるエリアスは、特に動揺もする事なく事務所のドアを開けて中へ踏み入った。ドアを開けた先には、まるでバリケード代わりのような横長の受け付け窓口が設置されていた。横長のテーブルの向こう側には係員らしい女性が一人居るだけだった。事務所機能の部分はその奥にあるようだが、この受け付けを通して貰うか乗り越えるかしなければ辿り着くのは難しいようだ。
「いらっしゃいませ。本日はどのような―――」
「国税局査察部です。責任者にお話を伺いたい」
「そ、そう申されましても……」
女性がしどろもどろになる態度を見て、彼女がこういった対処に慣れていないとエリアスは踏む。そして更に攻勢をかけた。
「早急に連絡を取って頂きたい。こちらとしても、公式の体裁を取るのは税金の無駄ですので」
公式の体裁。その言葉に彼女は、更に青ざめて絶句してしまった。我ながら都合の良い言葉を思い付いたものだと、エリアスは内心ほくそ笑んだ。具体的な何かを指す言葉ではないが、言い方一つでそれが不思議と令状を連想させるからだ。
「し、少々お待ち下さい。すぐに責任者に確認をして参ります」
そして彼女は、何とかその言葉だけを絞り出して奥へ駆け込んでいった。取りあえずはうまくいった。エリアスは一息つく。
「ほう、うまくなったものだな」
「へっ、そりゃアタシが指導しましたから」
感心するアントンに、得意気なベアトリス。ここに配属されたばかりの頃に比べたら、随分と反応が変わったものである。この程度のことでもいちいちあたふたしていた過去の自分を思い出し、しみじみそう思う。
「お待たせしました」
やがて奥から現れたのは、背の高いスーツ姿の青年だった。一見すると新進気鋭の事業家といった風貌だが、その目つきだけは明らかに単なる一般人ではなかった。最近ではエリアスも、そういった些細な部分から見分けがつくようになっていた。
「表は閉めて下さい。国税局の皆様は、こちらへどうぞ」
青年は先程の女性に閉店の指示をし、三人に中へ促して来る。話を聞く意思があると判断し、早速彼の招きへ応じた。
三人が通されたのは、あのカウンターを越えた先にある商談スペース、その更に奥にある個室だった。室内はそれなりに内装を整えており、特に上得意を相手に使われる部屋なのだと思われた。
「初めまして。当社の社長を務めております、エリックと申します」
「国税局査察部のエリアスです。こちらはアントン、ベアトリスです」
エリックと名乗った青年は、態度こそ礼儀正しかったものの名刺を差し出さない事に、どことなく査察部とは距離を取りたがっているように感じた。警戒というよりも、拒絶の意思を伝えようとしているのだろう。
「本日はどういった御用件でしょうか? 当社は税金について、きちんと税理士の監督指導の元、適切に処理を行っておりますが」
「存じております。今回はそれとは別件です」
「別件? まあ、我々としましても社会貢献に繋がる事でしたら協力もやぶさかではありませんが」
この堂々とした態度、クワストラ国との違法取引について追及される事などあり得ないと確信しているかのようだった。普段あまり人の好みなど気にしないエリアスだったが、この男ばかりはどうにも態度が鼻に付き好ましくは思えなかった。
ふとエリアスは、唐突に嫌なことを思い出した。
元々自分は、この国税局査察部には書類のミスで配属された。そして本来自分が配属されるはずだった耳慣れない部署には、ここへ来るべきだった人物が替わりに行ってしまっている。それでベアトリスから配属初日に、その彼と間違われて名前を呼ばれた。
自分と間違われた人物の名、それもまたエリックという名前である。