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 聖都から少し離れた海岸沿い、その一画に十年前に始まった再開発地域がある。そこはウィンドヒルと呼ばれ、富裕層向けの別荘が集中的に建てられた、一般にはあまり馴染みが無い地域だ。エリアスもまたウィンドヒルは名前だけを知る限りで、自分とは一生縁のない所だと思っていた。
 その日、エリアスはアントンとベアトリスと共にこのウィンドヒルを訪れていた。目的は、この地域に済むジェルヴェーズという実業家の元を訪れる事だ。例によって査察四課の業務の一環であり、今回は裁判所からの令状も携えている。あくまで捜査に協力して貰い自白を促す事を建前としているが、それに素直に応じなかった場合は強制執行へ移るためだ。それ自体はエリアスも承知しているが、問題はその強制捜査となった場合に自分達の頭数が三人だけという状況だ。責任者であるアントンは問題ないとしているから実際問題ないのだろうが、エリアスは悪い想像ばかりが繰り返し脳裏を過って仕方がなかった。
 移動中の馬車で、エリアスは今日訪問するジェルヴェーズについての調査資料を入念に見返していた。
 実業家ジェルヴェーズは、生まれも育ちも聖都ではあるが両親は共に幼少期に事故で他界、児童福祉施設を出た後も職を何度も変えているため住所も職歴も点々としている。彼が実業家として確立されたのは、かつて大陸を突如襲った異例の寒波による凶作の年だ。ジェルヴェーズは何故か先物相場に手を出しており、この凶作により多額の資金を手にする。そしてこの資金を元にジェルヴェーズは実業を幾つも始め、やがて現在のような実業家という地位を得た。
 そんな彼の元を査察四課が扱うという事は、当然彼には濃厚な脱税の疑いがあること、そして他の部課が扱いたがらないような難点を抱えているという事だ。
「おい、エリアス。お前、いつまでそんなもん読んでんだよ。シャキッとしろよ、シャキッと」
「いえ、今日は大物を相手にするのですから、色々と下調べなどは重要かと思って」
「いいんだよ、そういうのはよ。どうせ最後にやるのは、食うか食われるかだろ。力づくで法律に従わせるんだよ」
「そういうものですか……」
 ベアトリスの言っている事は、特に荒れる事が予想される相手を対象にした強制捜査の時の理屈である。ベアトリスは決して考え方が短絡的という訳ではないが、公務を執行する自分に逆らう事は法律違反であり、違反者には多少手荒な扱いをしても許されると考えている節がある。とても官吏とは思えない発想だが、査察四課のようにまともではない人間や組織を相手にする部課は、自然とそういう考え方を持つようになるのかも知れない。自分でさえ、ここに配属されるまでは一般人に手を上げるなど想像すらしていなかったのだから。
 ウィンドヒルに入ると、途端に視界が明るくなったように感じた。それは、ウィンドヒル自体が白い石材を中心に整備されているためだ。舗道だけでなく全ての建物の外壁も白を基調としており、それ以外の公共物や街路樹でさえも白樺が使われている徹底ぶりだ。白は汚れが目立つため景観を目的に使うのは非効率的であるが、その非効率的な景観こそが逆にこの地域に済む者達のステータスにもなる。エリアスには理解し難いだけでなく落ち着かない景観だったが、富裕層にはこういった需要があるものなのかも知れない。
 目的地であるジェルヴェーズの邸宅は、最も海側に近い一画にあった。そこはこのウィンドヒルでも特に地価が高く、特にウィンドヒルのステータスを気にする者は必ず海側の区画を購入すると言う。ジェルヴェーズもそれと同じタイプなのだろう。大きな正門、そこから続く広い庭の先には全面余すことなく白い壁材を用いた五階建ての豪邸が建っていた。外壁には汚れが一つも見当たらず、こうも潮風が当たる立地でありながら傷みも見当たらない。住居の維持には普段から相当気を使っているのだろう。
 正門の前には、ラフな格好をした一人の若い男が立っていた。こちらの馬車の様子に気付くと、あまり出来た態度ではない作法で一礼する。少なくとも、訪ねてくるこちらを追い返すために用意された人間には見えなかった。本気でやる場合は、体格に優れた男達を並べるか、総員に武器を所持させる。
 馬車を降りて正門に近付くと、男はやけに馴れ馴れしく構えて話しかけてきた。
「あの、国税局の人達ですよね? 自分、社長から出迎えるように言い使ってまして」
 やや不遜な男に対し、アントンは普段通りの無表情と淡々とした口調で答えた。
「出迎えか。ジェルヴェーズ氏は御在宅か?」
「ええ、いますけど。どういった用事でしょうか?」
「出迎えるように言い使っておきながら、用件を訊ねるのか?」
「そういう契約ですから。申し訳ないですねえ」
 いささかこちらを小馬鹿にしているような男の態度。自分は下っ端だから何も知らないとでも言いたげな顔をしているが、明らかに国税局とジェルヴェーズの関係と状況を理解している口振りだ。強制捜査の時は露骨に脅し文句をぶつけられるのが常だったが、こういった静かに拒絶の意思や侮られた態度を示されるのは、それはそれであまり良い気分ではなかった。
「応じないというなら、こちらも構わない。どうせ令状がある。強制捜査、そういう形で良いのだな」
「ええ、どうぞどうぞ。勝手に入ってって下さい」
 男は悪ふざけをしているとしか思えない態度で肩をすくめながら、自分の後ろにある正門から退く。入りたければ自分で開けて勝手に入れ。つまりそういう事なのだ。