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「あと四時間だ! まだ見つからないか!?」
「まだだ! くそっ、時間がねえ!」
夜の執務室。その日はまだ誰も帰宅しておらず、仕事が未だ続いていた。部屋中に散乱している書類の束は、全てとある運送会社から押収した資料である。過去十年分の出納帳を始めとする、様々な企業間契約の契約書や少額経費の決裁書、福利厚生の費用などなど、とにかくその会社において少しでも金が動いた記録は全て押収したため、この莫大な量なのだ。
何故、四課総出でこんな事をしているのか。そもそも探しているものは何なのか。
発端は、この査察部の二課の案件にある。彼らは今回、ナデカ運送という会社を摘発のための調査を行った。調査は問題無く進み、令状を取って摘発、数多くの資料を押収した。そして予定通り財務省は彼らの集めた資料を元に、ナデカ運送に対して起訴へ踏み切るつもりだった。だが、そこで問題が発生する。この案件の最終目標である会長の起訴にあたり、証拠物が不十分だったのだ。このままでは会社自体の不正経理しか立件出来ず、それについて重い追徴金を科す事は出来るが、会長は逃げ切れてしまうのだ。
会長の主導による不正な経理、それを証明する裏帳簿の存在、起訴する上での前提が覆ってはしまった。当然だが、長いことナデカ運送会長の起訴を願っていた財務省はこの不手際に怒り狂い、何としてでも裏帳簿を見つけ出せと二課は厳命される。そのタイムリミットは、会長の拘留期限を迎える本日の深夜零時。流石に二課だけでは手に負えず、こうして四課も手伝っているのである。
そもそも裏帳簿とは何か。
エリアスはそんな質問をアントンに投げ掛けたが、裏帳簿とは人それぞれの形態があり、一概にどうと言えるものではないとの事だった。それを見つけ出すのは、長年の経験による勘と閃きである。どちらもエリアスには備わっていないものであり、正直なところ自分には見つけられないだろうとエリアスは内心諦めかけていた。
「あー、クソッ。こんなの、見付かる訳ねーよ。それより、会社か自宅探した方がいいんじゃねーの?」
ベアトリスは心底うんざりした様子で、応接スペースのソファに体を投げる。
「会社は二課、自宅は一課が調べている。我々の出る幕ではない」
アントンは、視線は資料の山に向けながら淡々と答える。もう何時間もそのままの姿勢を続けるアントンに、エリアスは感心するより半ば呆れていた。
「三課は何やってんだよ」
「押収物の仕分けだ。よほど慌てているらしく、かなりどうでもいい資料まで持ってきているそうだ」
「なんだよ、またうちが一番面倒な仕事してんじゃねえか」
がっくりとうなだれるベアトリス。エリアスもまた同じ心境だった。裏帳簿を探すにあたってこういった資料を漁るのは、最も地味で可能性の低い作業だ。四課が国税局の中でも地位が低いのは分かっているものの、実際こういった作業をさせられるのはいささか堪えるものがある。
「休憩もそこまでにしろ。作業に戻れ」
「はいはい、分かりましたよ先生」
アントンの淡々とした指示に、ベアトリスは嫌々という素振りを見せながらも従い、捜索作業へと戻る。エリアスも同じく、この捜索作業に執着をし始めた。ないがしろにされてはいるが、ここで裏帳簿を実際見つける事が出来れば、四課の存在感をかなり高める事が出来るはずだ。それを励みに、エリアスは自分なりに精一杯資料へ目を通し不自然な部分はないかと奮闘する。だが、その矢先だった。
「なあ、先生よう。今まで一番特定が難しかった裏帳簿ってどんなのだった?」
ベアトリスが雑談のような軽い口調でアントンへ話し掛ける。明らかにベアトリスはこの作業に飽ききっていた。
「今から十七年前だ。当時人気だった舞台作曲家に不正の容疑がかけられた。それで裏帳簿を探したんだが、最終的には何とか見付ける事が出来た」
「どんなのだったんですか?」
「楽譜だ。舞台用に書き起こした楽譜で、音楽もそれなりにしっかりとしていた。ただ、当時舞台劇のファンが四課にいてな、曲調がこれまでの作風に不自然なほど合っていないという主張をしてきたのがきっかけだった。それで、不自然だという楽譜を詳しく解読していったら当たりだったという訳だ」
「はー、楽譜かあ。そんなので帳簿付けられるもんなんだなあ。少なくともアタシは楽譜なんて読めないし、いいカモフラージュだ」
「満足感したか? いい加減、仕事に集中しろ」
アントンは表情も変えず、相変わらず淡々と捜査を続けている。仕事の片手間であのベアトリスをあしらえるなんて。そうエリアスは密かに感心した。とても自分はあのような態度を取る事など出来ない。
それにしても、まさか楽譜を裏帳簿にしてしまう事があるとは。そんな奇抜な方法で裏帳簿を隠されたら、とても見付けられる気がしない。エリアスは、自分がそんな域に達することにとても自信が持てなかった。