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この区域の地区会館は、古びた雑居ビルの二階にあった。建物は大きいがデザインが今時の物ではなく、かなりの年季を感じさせる。これはおそらく、この辺りの景気が良かった頃に建てられたのだろう。聖都も半世紀単位で何度か不況が起こっているが、その時代の名残のようなものだろう。
「じゃあ、ここからお前が先に行け。別に話さなくていいからな。何なら目も合わせるな。お前みたいなビビリは、目で飲まれるからな」
ベアトリスに指示され、エリアスはビルの正面口前に立った。ドアは施錠されておらず、横の詰め所にも人の姿は無い。この区域に住む者しか使う事が無いため、自由に出入り出来るようにしたところで管理上問題が無いのだろう。また、単に管理するだけの費用がないとも取れる。
「で、では、行きます。後ろから付いて来るんですよね?」
「付いて来るから、さっさと行け。今日はお前一人にやらせられる話じゃねえんだ。早くしろ」
ベアトリスが乱暴な口調でエリアスを前へ突き飛ばす。見た目よりもずっと強い押しの力に蹌踉めき、咄嗟に戸へ手を付くようにしてエリアスはビルの中へと入った。
一階は大きなホールに、吹き抜けの二階へ続く中央階段が真っ先に目につく所にあった。それ以外にも小さな部屋のドアが幾つかあるが、今はどこも使われていないのか、いずれも表札の外した跡があった。
エリアスは恐々としながら階段を登る。そして階段を登り切った真正面に、両開きの大きなドアがあった。その上には、南区第四商店街集会場と記された大きな表札が掲げられている。ここが例の集会場で間違いは無いようだった。
「あ、開けますよ。準備はいいでしょうか?」
「いいって言ってんだろ。さっさと開けろ」
この期に及んでぐずるなと言わんばかりに、ベアトリスはエリアスの尻を蹴り上げる。エリアスは恐々とした仕草でドアノブに手をかけ、そっと片側だけを静かに引いて開いた。
「ああ?」
中は非常に広く作られていたが、内装はほとんど無く、中央に古く大きな円卓が一つ置かれている。その周囲を囲むように着席しているのは、いずれも中年以上の男女だった。突然入って来たエリアスに対し、彼らは一斉に訝しげな視線を送る。その視線にエリアスは耐えられず、直前にベアトリスに注意されていたにも関わらず、真っ先に口を開いてしまった。
「すみません、お忙しい所失礼いたします。こちら、南区第四商店街の集会場で間違いありませんでしょうか?」
「そうだが。あんたら、どこのどなただ?」
そして案の定、余計な事をするなと背後のベアトリスがエリアスを足蹴にして部屋の中へ歩を進めさせる。そしてエリアスの斜め後ろへ出るや否や、普段の怒鳴り声とは違うはっきりと通るような声で話し出した。
「私達は、財務省内局の国税局査察部の者だ。この商店街の関係者が集まるのがこの日だと聞いて、勝手ながら来させて貰った」
国税局。その言葉を聞いた彼らは、すぐさま顔を見合わせ互いに何事かを盛んに囁き合い始めた。内容はここからでは全く分からなかったが、大方予想はついた。国税局の名で顔色を変えるのは、大抵が後ろ暗い物を持っている人間だからだ。
「用件は、まあ大方想像出来るだろう。一同考えている通りだ。昨年度分の追徴は免除する。ただし、今年度からはお目こぼしは無いものと認識するように。脱税は、初犯から実刑もある。この警告を無視して繰り返した場合は、より悪質と見なされる事を理解しておくことだ。以上、質問は?」
ベアトリスの言葉は、やんわりと遠回しに警告する話し方だったが、途中で口を挟ませない言葉の圧があった。この広間のどこにいても一言一句はっきりと聞き取れる声もあるのだろうが、相手が思わず聞いてしまう話し方の技術が一番大きいだろう。エリアスは、それは自分が理想とする話し方である反面決して叶わない技能だと、素直に羨望する。
国税局から警告を受けている。この場の誰もがこちらの意図を把握しているだろう。しかし問題は、これを警告と称した脅迫と曲解する場合だ。
一同は今のベアトリスの言葉に対してどんな反応を示すのか。ざわつきながら顔を見合わす彼らの反応を見ていたエリアスだったが、状況は案の定エリアスにとってなって欲しくない方向へ向かった。
「ふざけるな! こっちだって、好きでやってるんじゃないんだぞ!」
「一体国民を何だと思ってる! 景気対策もしないで、税ばかり払わせようとしやがって!」
まず、いかにも血の気の多そうな中年男が二人、怒りをあらわにして向かってきた。すかさずエリアスはベアトリスとの間に入ると、二人はぶつかる寸前の所で止まった。まだそのくらいの冷静さはある、だがそれは自ら墓穴を掘らないようごねる事が出来る厄介な要素だ。
一旦後ろのベアトリスを見ると、やはり彼女は涼しい顔をしていた。エリアスを盾に構えているため気楽なのだろう。だが、詰め寄る二人を筆頭に一同は次々と非難の言葉を浴びせてくる。中には関係のない誹謗中傷や罵詈雑言まで出て来る始末で、とてもまともに話し合いなど出来る状況ではなかった。
ベアトリスは彼らを宥めようとする様子が無い。むしろ、更に煽ってくるのではないか。そんな危惧をした時だった。
「財務省の使いっ走りに話す事なんかねえぞ! ちゃんと払わせたかったら財務相呼んで来い!」
それは、数々の罵詈雑言が飛び交う中の一つに過ぎない、誰かの言葉だった。だが次の瞬間、ベアトリスの表情は見て分かる程に一変した。
そして、
「黙れ、てめえら!」
ベアトリスはエリアスを脇へ突き飛ばすや否や、一人でこの人数の罵声を掻き消す程の怒鳴り声をあげた。
「今、財務省のこと言った奴は誰だ!? 出て来い!」
「な、なにを急に偉そうに」
「勝手に無駄口叩いてんじゃねえ! 人が優しくしてりゃつけあがりやがって! お前ら全員、このまま留置場まで直行するか!? こっちは逮捕起訴出来るだけ証拠揃えてんだぞ!」
明らかなベアトリスの喧嘩腰に、エリアスは唖然とする。だがすぐに思考を元へ戻し、この凶行を止めるべく再び一同とベアトリスの間に割って入る。だが今度のベアトリスは、エリアスを反対側の脇へ蹴り飛ばしてしまった。