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 物影に隠れながら桟橋へ接近を試みる二人。船は程なく桟橋に止まると、すぐに船内から人影がぞろぞろと現れ始めた。
「あれ……一体何でしょうか?」
「密入国だろ。こういうのをな、仲介したり代行したりする業者があるんだよ。もちろん、真っ当な商売じゃねえがな」
 密入国を手引きするような闇業者の話は、エリアス自身も聞き覚えはあった。時折新聞や週刊誌などに出て来る単語で、決まって年に一度は特集記事が掲載される。セディアランドは非常に国力の強い国であるため、違法な出稼ぎで密入国する新興国の人間が後を絶たないのだ。密入国はセディアランド人にとって身近な社会問題の一つでもある。
「大方、ラングリス辺りの奴らだろ。最近特に多いって聞くしな」
「どうします? 捕まえますか? あの人数ですと、こっちの頭数では厳しそうですが」
「別に密入国の取り締まりなんざ、私らの仕事じゃねーよ。もう少し人が減るまで待ってろ」
「待ってどうするんですか?」
「業者の奴を捕まえんだよ。幾ら儲けてんのか、ちゃんと具体的な数字を吐かせねえとな」
 不敵な笑みを浮かべるベアトリス。エリアスはその仕草を見て、とても脱税の取り締まりには思えないと、改めて思った。まるでベアトリスは、あの業者を恐喝しようとしているようにしか見えない。そもそもこんなやり方は、査察部の仕事ではないはずだ。入国管理局や外務省の内局辺りがやるべき事である。
 船から降りた人影達は、いずれも無言のままであっという間にこの場を去って行く。姿が目立たない早朝にしたのも、このように姿がすぐ闇に紛れてしまうからだろう。そして何よりエリアスが驚いたのは、彼らの中には幼い子供連れが居た事だった。不法移民にはもっと犯罪めいた人間のイメージを持っていただけに、子供を連れた普通の家族のような密入国者がいるのはあまりに意外で衝撃的だったのだ。
「よし、そろそろ行くぞ。出来るだけ気付かれないように近付くからな。逃げようとしたら、すぐ取り押さえろ。多少怪我させてもいいからよ、絶対に逃がすな」
 船から出て来る人影も減り始めた頃、ベアトリスは更に桟橋への接近を始めた。反社会的な生業をする人間を取り押さえる。エリアスはその事を思うだけで緊張で呼吸が荒くなっていたが、出来る限り躊躇わぬよう自らを鼓舞してベアトリスの後を追う。ベアトリスは、気付かれないようにと厳命しておきながら、自分は実に堂々と桟橋を船の方へ向かって歩いていた。エリアスはなるべく目立たないようにと軽く屈んで小走りに接近を試みてみるものの、体格上目立つ事は避けられないという自覚があった。そのため、とにかく少しでも早く船に近付かなければと焦った。
「よう、景気良さそうだな?」
 どうにか船まで辿り着けた。エリアスがそう安堵したのも束の間の事だった。ベアトリスは、普段の調子で桟橋に残っている三人組に話し掛けた。三人の男達は怪訝な様子でベアトリスを見、その光景を目にしたエリアスは驚きで言葉を失っていた。
 一体何故、そんな気安く彼らに話し掛けているのか。
 だがその三人は、ベアトリスが取り押さえろと指示した標的である。とにかく、多少乱暴になっても取り押さえなければ。エリアスは、思考を道場で組み手を行う時の状態へ切り替え、出来るだけ近付きつつ動向を窺った。
「なんだ? 訳のわからねーこと言ってないで、さっさと消えろ。サツに捕まっても知らねーぞ」
「そんな事よりさ。これの売り上げ、どうしてんの? 上納するにしたって、何か帳簿あるんだろ? 見せて貰えるかな。ちゃんと届け出してれば、こっちも見逃してやるからさ」
 そんな汚い金、申告などしているはずがない。そして、そんな聞き方をするのが一般人であるはずもない。そもそもこんな時間にこんな場所へ一般人はやって来ない。当然三人はベアトリスに対して警戒心を露わにした。
「お前、まさかサツなのか!?」
「違う違う。国税局よ、国税。脱税してないか調べに来ただけ」
「はあ!? このアマ、ふざけやがって!」
 ベアトリスの平然とした口調が癇に障ったのか、一人が拳を振り上げながらベアトリスへ襲い掛かった。だが、ベアトリスはそれをあっさりとかわすと、胸倉を掴むと同時に膝を腹へ叩き込み、その勢いのまま男を桟橋から海へ放り投げてしまった。一連の動作の見事さよりも、その躊躇いの無さに目を奪われてしまった。
 エリアスは、またしても思わぬ事態に動揺する。あの三人を全員取り押さえるとして、今海の中へ落ちた男はどうするべきなのか。他二人を見張ったままでは、落ちた男を拾いに行く事が出来ないのだ。
 とにかく、ここは少しでもベアトリスの指示を守らなくては。
 エリアスは意を決すると、今の出来事に唖然としている男二人に向かって突進していった。
「な、なんだ!?」
 見たこともないほどの驚愕の表情を浮かべる男二人。エリアスはそれに構わず、自分に近い方の男の服を掴むと力任せに引き寄せ、肩と首を同時に絞め上げた。