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「何の騒ぎだ!」
 突然と現れ一喝したのは、スーツ姿の壮年の男だった。一見するとごく普通の勤め人といった風体だったが、声の出し方が明らかに逸脱している。エリアスを殴った男は格好からも威圧感を出そうとしているが、この壮年の男は逆に威圧感を出来るだけ抑えようとしている。
「あれ? ここって、アンタの会社だったのかよ?」
 彼を見たベアトリスは、まるで友人に接するかのような気の抜けた口調で話し掛ける。すると、まるで見たくもないものを見てしまったかのように、男は眉間に深い皺を寄せ苦々しく口元を歪ませた。
「ベアトリスさんね……もう嗅ぎ付けてきたのかよ。国税が、さながら警察みたいだな」
「別に私が見つけた訳じゃないよ。偶然偶然。ボスに、ここで良からぬ事をやってるから釘刺して来いって言われただけだっての」
「アンタの釘は怖いんだよな……前もそうだった」
 この明らかに三下や小者ではない男とベアトリスは、異様に親しく話している。そして二人の力関係は、ベアトリスの方がずっと上であるように見えた。
「で、何をやったかってのは、まあ見れば分かるな」
 男はじろりと鋭い視線でエリアスを窺う。そのあまりの迫力に、エリアスは思わず肩を震わせた。
「すまなかったな。俺の教育不足だった。後で慰謝料と治療費は届けさせる」
「おい、ちょっと待てって。そういう付け届けでわざと余計に盛って、収賄に持ってく気だろ。その手口は古いしやめろよ」
「ちっ、やっぱり知ってたか」
 壮年の男はいささかおどけた振りで笑ってみせるものの、目の奥には何とも言えない冷たい光があり、エリアスは少しもその笑いには釣られなかった。
 慰謝料がどうとか、それを収賄にする工作とか、エリアスには仕組みなど訳が分からなかったが、どこか二人の間だけで通じる挨拶感覚のような印象はあったものの、ベアトリスは一応そういった危険なものを避けてくれたのは確かだ。ようやく先輩らしい姿を見た、そんな事を思った。
「で……そろそろ本題に移ろうか。どうやら今回は、こっちが下手に出ないといけないようだ」
 壮年の男は溜め息混じりにそう話すが、彼の右手はエリアスを殴った男の襟元を恐ろしいほどしっかりと掴んでいた。彼もその事で酷く怯え切っている。それが何を意味するのかは、本人がはっきり分かっているのだろう。
「大したことじゃねーって。また不法滞在の外国人にやっすい仕事させてんだろ? させてるなら、ちゃんと帳簿見せろって話だ。あと、ロンダリングもな。手数料の収支押さえとくから、併せて提出しろよ」
「何か根拠があって、そんな事を言ってるんだろうな?」
「まあ、無いけど。ただ、組織犯罪対策課なんかに今日のことチクられるのは嫌だろ? 痛くない腹を探られるのも、何も楽しく無いじゃん」
「……本当に見に来ただけなんだろうな?」
「大丈夫だって。前もそうだったろ? そっちが誠意を見せるなら、こっちもきっちり情報は秘匿するから。脱税の他は私らの管轄じゃねーもん。まあ、金の隠し事してたら容赦しないけどな」
 堂々と言い放つベアトリスに、エリアスはいささか困惑を覚えた。確かに脱税の取り締まりが仕事ではあるが、それ以外の犯罪行為を知っていながら検挙に動く所か秘匿すらしてしまうなんて。これではまるで、違法行為の手伝いをしているようだ。そうエリアスは疑問に思う。
「で、社長はいんの?」
「こいつが社長だ」
 そう言って、ガタガタと震えている男を物のように突き出して見せる。ベアトリスは呆れの表情から溜め息を漏らした。
「アンタさ、幾ら肩書きだけだからって、もうちょいマシなのにしとけよ。哀れで釘も刺せねーよ」
「知ってるだろ? どうせ、ヤバくなったらすげ替えるだけの使い捨てだ。それでもアンタらは、摘発の実績が出せる。春の査定はどうだったんだ? 今頃頑張るってことは、芳しくなかったんだろ? ボスが躍起になってるんじゃないか?」
 ベアトリスは痛い所を突かれたらしく、言葉を飲み込んでしまった。
「アンタらが、俺らみたいなのばっかり相手する、鼻つまみ部署だってのは知ってるぜ。だったら、お互い持ちつ持たれつだろ? 再来週まで待ってくれりゃ、お望みの帳簿と主犯を用意してやるよ。そういう訳で、今日は痛み分けといこうや」
「ケッ、胸糞わりーな。絶対遅れるんじゃねーぞ」
 ベアトリスはそう吐き捨てると、くるりと踵を返した。
「エリアス、帰るぞ」
「え? まだ何も……」
「いいんだよ、話はついた。さっさと来い」
 話とは、今交わされた約束の事なのだろうか? それも、まるで癒着のような、そういう約束だったように思えるのだが。
 この株式会社アレクサは、何かしら犯罪を行っている組織であり、それを取り締まるために急遽社長を検挙しに来た。それだけで十分無茶苦茶な話だが、その社長はまるで何かの取引の道具のように扱われている。これまでの自分の常識が一切通じず、それについての説明も一切ない。これは一体何がどう決着したのか、せめてそれだけでも説明をして欲しい。そう思うものの、この短時間でこれだけの目に遭わされたベアトリスには逆らいたくない。
 エリアスは納得のいかない気持ちを抑え、彼らには一礼だけしてベアトリスの後を追った。