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 夜も更けてきた繁華街は、昼間と比べ一層の賑わいを見せている。週末という事もあるのだろうが、この時間にこれだけの人出があるというのはいつ見ても妙な心配を抱かせた。みんな、明日は大丈夫なのだろうか。そんな老婆心である。
「さて、何を食うかなあ。やっぱり肉か? おう、お前は何が好物なんだ?」
「特にこれと言ってはありませんけど、牡蠣はシーズンに入ったら必ず食べますね」
「あー、牡蠣なあ。俺、あの見た目がどうも受け付けねえんだよな。あれ見て、食欲湧くか?」
「見た目が奇っ怪なものほど美味しいんですよ」
 ウォレンは牡蠣の姿でも想像したのか、苦笑いを浮かべて見せる。ウォレンと出掛ける時はいつもウォレンが決める店に行っているが、今度は自分が勧められる店に連れて行こう。エリックはそんな事を思った。
 ウォレンの晴れ晴れとした表情と軽口は、普段エリックが振り回される時のそれと全く同じだった。ウォレンはかつて戦場でした自分の行いを許せず、ずっと思い悩み気を病んでいた。今のウォレンはそこから解放され、自分をある程度許せるようになっただろう。けれど、人間の考え方というものはそう簡単に変えられるものではない。いつかある時、ふとこれまでのような気病みを思い出し幻聴が戻るかも知れない。そういう時は、また支えになる存在が必要だろう。けれど、これまで程に酷くはならないだろうし、自力で立ち直れるかも知れない。ウォレンはもう大丈夫だ。エリックは、以前にパトリツィオの家で見たプランシェットの示す奇妙なメッセージを思い出しながら、そう確信する。あれは、メイベルの家だった頃の守り神からなのか、それともメイベル自身からなのか。確かめる術は無いが、そこに意味は無く、大事なのはそれがヒントとなってウォレンを救えたという事だけだ。あの出来事は、あのままに受け止めるだけで良いのだ。
 ウォレンに繰り返し食事の事をまくし立てられ、エリックもまた空腹感が顕著になり出した時だった。不意にウォレンはいつになく真剣な表情となり、おもむろにエリックへ問い掛けて来た。
「なあ、エリック。あれの事なんだがな、別に疑う訳じゃないんだが、あれは本当にメイベルだったのか? お前のでっち上げじゃないのか?」
 あまりに鋭いウォレンの眼差しは、一切の嘘偽りを許さない、そんな迫力に満ちていた。しかしエリックは、それを前にしても表情をぴくりとも変えずに見返した。
「違いますよ。僕はそんな下らない事をしません。どうしてわざわざ幽霊の真似事なんてしなくちゃいけないんですか。僕が、そういう胡散臭いオカルトが嫌いな事を、ウォレンさんが今更知らないはずはないでしょう?」
 ウォレンは、エリックがそこまで堂々と返答すると思っていなかったのだろう、はきはきとした物言いに思わずたじろいだ。
「そ、それはだな……お前が俺に気遣ってとか色々だよ。だから、別に疑ってる訳じゃないんだって。ただ、ちょっと都合が良過ぎないかって思っただけだ」
「そうですか。では仮に、あれが僕からの気遣いだとしたなら。僕がオカルトが嫌いなのは、無いものを在るがように嘘をつき、人を騙して得意がる事が嫌いだからです。セディアランド人なら、別に珍しくもない理由ですよね。にも関わらず、そんな事をせざるを得なかった、その意味を想像してみて下さい。僕は、嘘をついていません。ですが大方の理由は、その意味と同じはずですよ」
 そこでウォレンは黙り込み、何事かを考え始めた。その表情はまるで叱られた子供のようで、エリックの言葉を何度も反芻しながら必死で正答を探している。そして、おずおずと控え目にウォレンは返答では無く問い掛けをして来た。
「ここで……今ここで、やっぱり生きたくないなんて言ったら、お前怒るよな?」
「当然です。ウォレンさんをそういう死なせ方をしないと決めたんですから、絶対にさせません。そもそも、人の苦労を簡単に無にしてしまうなんて、人として少しは申し訳ないとか思わないんですか? 後輩にこういうつまらない説教をさせないで下さいよ」
「お前……本当に言う時は言うよな。しかも遠慮無しでキツい。勝手に死ぬなとか、俺の事なのに、俺の自由意思は無視なのか?」
「これまで、散々自由気ままに生きてきたんでしょう? 一つくらい自由にならない事を増やした所で、何だって言うんです。別に反発するのは自由ですよ。ただ、すればするほど苦しむだけです。それは今日の一件で骨身に染みたはずですよね?」
「この期に及んで、まだ鞭打つ気かよ。おっかねえ。従わなきゃ苦しむとか、まるで魔女の呪いだな」
「いい表現ですね、それ。せいぜい呪われた一生を過ごして下さい。僕の顔色を窺いながら」
 エリックの言い草がよほどおかしかったのか、ウォレンは腹を抱えながら大声で笑った。それに釣られ、エリックもまた大声で笑い出す。そんな二人を行き交う人々が奇妙そうに一瞥する。けれど、繁華街でその程度は奇行の内にも入らないのだろう、それ以上の興味を向ける者は一人もいなかった。
 やがて一頻り笑い倒した後、ウォレンはまた真剣な表情を見せた。それは先程とは違い、人を試すような迫を帯びない真摯な表情だった。
「エリック、俺は今度の事を一生恩に着る。だから、この先何があろうとお前の味方になるし、お前に害をなそうとする奴が居れば必ず殺してやる。俺はお前に、一生かけてでもこの恩に報いる」
 その言葉には嘘偽りは一切無い。そんなウォレンの一念の籠もった真剣な言葉だった。けれどエリックは、露骨な呆れ顔を浮かべ溜め息をついて見せた。
「何にも分かってませんね。誰がそんなもの必要だって言いましたか。恩に着てくれるのは嬉しいです。ですが、代わりに犠牲になって報いようとか、そういう野蛮な発想は止めて下さい。あなたは報いるとか難しい事を考える前に、生活を人並みに正して下さい。もっと先にやれる事があるでしょう? 後輩に面倒事を押し付けないとか」
 そんなエリックの拒絶とも取れる返答が予想外だったのだろう、ウォレンは表情が固まってしまうほどに驚愕と落胆の入り混じった心情で困惑する。
「お前……前から思ってたけどな、時々先輩を本当に先輩だと思わない言動をするよな。ルーシーの方が可愛く見えるくらいに。いや、実際かなり俺の事見下してるだろ!?」
「僕だって、たまには態度に出ますよ。申し訳ないとは思います。でも、事実は事実ですし」
「そこは否定しろよ、人並みに!」
 そして、ウォレンは苦笑いをしながら脱力する。自分一人が変に気を張っていただけだという事に気付き、これ以上の奮起は逆に無意味だと悟ったのだ。
「お前さ、将来は特務監査室の室長になれよ。俺なんか飛び越してさ」
「嫌ですよ。僕はこの部署に長居するつもりありませんから」
「そう言うなって。お前、絶対この仕事向いてるって。なんて言うか、お前には強さがある。強いのはいい事だけどさ、でもそれは多分、他の部署だとうざがられる強さだぞ」
「酷いこと言いますね。先輩という立場からの発言とは思えない」
「でも、お前を認めてるのは本当だ。俺がもしも女だったら、確実にお前に惚れてるぞ。それくらい本当に本気だ」
「そういう気味悪い例えは止めて下さいよ。他人に聞かれて誤解されたらどうするんですか」
 気味悪がるエリックの顔を見て、ウォレンはしてやったりと言った表情を浮かべる。その直後突然と思い出したように、何の脈絡も無い誘いを持ち掛けて来た。
「お、そうだ。飯食ったらさ、女買いに行こうぜ。なんか俺、急に気分が乗ってきたぞ。この辺りは俺も顔が利くからな、好みの女探してやるよ」
「結構です。興味ないんで」
「え、何で? サービスのいい巨乳の奴とか色々知ってんだぞ」
 エリックは心底冷たい目でウォレンを見る。しかしウォレンは何かに気付いたのか、今度はわざとらしく悪戯小僧のような意地の悪い笑みを浮かべて続けた。
「あ、お前もしかして、まだ童貞なの?」
「別におかしい事じゃないでしょう。僕はまだ未婚なんですから」
「だから駄目なんだって。女遊びも甲斐性だぞ。そんなんじゃ、一生結婚出来ねえぞ」
「ウォレンさんが言っても、まるで説得力ありませんよ」
 そんなじゃれ合うような会話をしながら、エリックとウォレンはやがて人混みの中へ消えていった。生まれも育ちもまるで異なる二人だったが、それはまるで仲の良い兄弟のようだった。表面上では反発し合い険悪そうに映るが、いざという時はお互いが速やかに支え合う、そういった信頼が結ぶ関係である。
 家族間ですら争う事の珍しくない時代に、これだけ信頼を寄せられる相手に恵まれるのはどれだけ幸運な事か。二人の心底にはそんな同じ思いがあった。