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 良かった、生きていた。まずエリックの胸中にはそんな安堵が込み上げて来た。本当に心配しているならすぐにでも様子を窺いに来るべきではあったが、ウォレンが簡単に自決するならとっくの昔にしていると思っていた。けれど、本当はそんな単純な割り切りは出来ていなかったのだと、込み上げて来る安堵感にそう気付かされる。
「エ、エリック……か?」
「そうです、僕です。もう四日も無断欠勤なんて、どうしたんですか? みんな心配していますよ」
「あ、ああ……でも、俺はもう駄目なんだ」
「何が駄目なんですか?」
「駄目なんだよ、本当に。俺はもう……」
 ウォレンとの会話がきちんと出来ていない。と言うより、ウォレンの声がまるで何かに怯えているように聞こえる。ウォレンは怖いもの知らずで、何事にも横柄に振る舞う印象がエリックにはあった。それだけに、この声がウォレンのものだとは俄かには信じ難かった。
「問題があるなら、一緒に解決しましょうよ。とにかく、そこから出て来て下さい」
 エリックはまず閉め切った雨戸を開け、部屋に光を入れる。そしてベッドの上の毛布を掴むと、そのまま無理矢理引き剥がした。
「うわっ!?」
 すると、毛布の中に居たウォレンはまさかと思うほど情けない声をあげ、部屋の隅へと跳んでいき膝を抱きながら小さくなって震え出した。
 まるで、臆病な子供だ。エリックには、今のウォレンの姿がそうとしか思えなかった。先日のディーンの一件で、強いショックを受けた事は分かっている。ただ、それがここまで人を変えてしまうとは、エリック自身も予想していなかった。
「どうしたんですか? 大丈夫ですよ、ここには僕とウォレンさんしか居ません」
「そ、そうじゃないんだよ……。声が、声が聞こえるんだよ。いつもなら、薬を飲めば聞こえなくなるのに。今はどれだけ飲んでも駄目なんだよ……」
 ウォレンが聞こえるという声。それは、ウォレンが戦場で自らの盾にして死なせてしまった、ディーンという男の恨み言だ。その幻聴がウォレンを不安定にする原因なのである。
「大丈夫、死ねとか殺すとか、そういう言葉を使う人間に限って大した行動力はありません。口だけなんですよ。そんな人に負けるほど、ウォレンさんは弱くないじゃないですか。そんなの聞こえたって、気にしなきゃいいんです」
「違う……聞こえるのは、あいつの悲鳴なんだよ……あいつが死ぬ直前の……」
 ガタガタと震えながら訴えるウォレン。エリックはその言葉の内容を想像し、一種背筋が凍りついてしまった。罵声を幾ら浴びせられたところで、虚勢だと分かっていれば何の気にもならない。けれど、同じ無意味なものでも断末魔の悲鳴では、精神的なショックはまるで別物だ。そしてそれが四六時中聞こえるなんて、これ以上は想像すら恐ろしく思う。
「なあ、エリック。もういっそ俺のこと殺してくれ……。自分で死のうとしても怖くてしょうがなくて、今まで出来なかったんだ。何もかもが、もう限界なんだよ。もう生きるのが辛くて辛くてしょうがないんだ……。お前なら恨まないし、本望だからさ。だから頼むよ……」
 エリックは自分でも驚くほど、ウォレンの泣き言を冷静に受け止めていた。以前から、薄々予感はしていたせいなのかも知れない。ウォレンは、死にたがっている。けれど、自分でする度胸はない。だから、普段の生活が刹那的で無謀な事を平気でしたり、わざわざ人から恨まれるような横柄な態度を取る。全て、戦場でディーンにしたことへの罪悪感が始まりなのだ。
「嫌です。殺人なんてやりたくありませんし、自殺の片棒を担ぐのも御免です。そんな事より、もっと前向きな事をしましょう。まず、生活から改めていきます。行動を変えれば、自然と気持ちの持ち様も変わりますよ」
「無理だ……だから、俺はもう無理なんだって。そんな事なんて今更できねえし、そもそもやっていいはずがないだろ……。俺は、そういうことをしちゃいけない人間なんだ」
「していいとかいけないとか、決めるのは自分です。いちいち負い目を感じたからって変える必要はありませんよ。ウォレンさんは、あのディーンという人の事を気にし過ぎなんです」
「ディーンだけじゃねえよ、メイベルだってそうだ。あいつを自殺させたのも俺だし、ディーンの家族もメイベルの家族も、それで滅茶苦茶になった……。全部、俺のせいなんだよ。みんな不幸になって未だ苦しんでるってのに、そんな俺だけ不幸じゃないっておかしいだろ……」
「おかしくありません。世の中、そういうものです。平等論は向上心を奪うから、学校でも笑い種になってるじゃないですか」
 しかし、ウォレンはエリックの言うことに耳を貸すどころか、更に泣き言繰り言を重ねてくる。もはや自分でも何を言っているのか分からないのだろう。ただただ頭に浮かんだ言葉を羅列しているだけに過ぎない。
「本当に、俺はもう無理なんだ……。お前みたいにさ、強くないんだよ。だから、本当にもう放っておいてくれていいから……。今まで本当にごめんな。ろくに仕事も教えられなくてさ、そのうえ面倒事ばっかり押し付けちまって……」
 こんなの、聞きたくない。
 エリックは、ウォレンの言葉に対してはっきりとそう感じた。
 日頃からウォレンは自分に対して感謝の念や最低限の礼儀すらなく、それについて不満ばかり募らせていた。けれど、こんな形で聞きたいとは微塵も思わないのだ。だったらむしろ、あのへらへらした腹の立つ口調で面倒事を押し付けられる方が遥かにましだと断言出来る。
 ウォレンの過剰な罪悪感、それを少しでも取り除いてやらなければ、ウォレンはこのまま潰れてしまう。同僚のそんな最後は絶対に見たくない。
 どうすれば、ウォレンの罪悪感を軽減出来るのか。ディーンの生まれ変わりを主張するエリアスは、絶対に協力などしないだろう。その婚約者だったというメイベルも故人だ。それぞれの家族なら存命だろうが、それを探し出すのはすぐという訳にはいかない。そして、彼らがウォレンを未だ恨んでいるともなれば、協力を拒絶するか、若しくは追い討ちをかけかねない。
 どこかに丁度良い人材はいないのか。ウォレンに対して強い説得力を持って慰めてくれるような誰かは。
 エリックは、かつて無いほどに思考を巡らせた。それは、官吏になるための試験を受けている時に匹敵していたかも知れなかった。そして、見事試験を突破したのと同じように、辛うじてこの難題を解決出来るかも知れない手段を、一つ思いついた。それは、自分の主義には大きく反するものだったが、他に方法が無い以上は四の五のは言っていられなかった。これには、ウォレンの命がかかっているのだ。
「少し出掛けて来ます。絶対にそこに居て、じっとしてて下さい。いいですね!」
 エリックは一方的に強く言い付けると、すぐさま部屋を飛び出していった。ウォレンは今夜を越せないかも知れない。そう思うと、焦りと恐怖が背筋を駆け上がって来る。だから尚更、奮起せざるを得ない。それは正に、死に物狂いという状態だ。