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 ジェイコブの邸宅は、中心街から北に外れたやや趣の寂しい区画に構えられていた。しかし、セディアランドの運送業を牛耳る人物の邸宅だけに、その外観からして並大抵の富豪とは違うと一目で理解が出来た。それはまるで伝統的な王室の居城のようであったり、極めて現代的な合理性を兼ねてあったりと、成金にありがちな既存の模倣とは一線を画したものだった。大きさ以外でここまで存在感を放つ建物がある。エリックにとってそれが何よりの驚きだった。
 屋敷の正面には、高い鉄格子の門と大勢の門番の姿があった。三人はそこで馬車を降り、彼らへ身分証であるあのバッジを見せる。すると、彼らはすぐにこちらを理解し、無言のまま中へ通した。ただ通したのではなく、特務監査室と明らかに区別している。警察でもその意味する所を知るのは少ない、この身分証を見分けられる辺り、末端の警備員からしてレイモンド一族は違う。そうエリックは感心する。
 門から玄関まで、中庭を突っ切る一本道。しかし前方に玄関が見えるにもかかわらず、その距離はやたらと長く感じた。実際中庭は広く、様々な植物が生い茂っている。いずれもよく手入れがされていて、まるで人工の植物園を通っているような気にさせられた。
 ようやく玄関まで辿り着くと、そこには一人の執事の姿があった。
「ようこそ、特務監査室の皆様。お待ちしておりました。私は当館の執事を勤めさせて頂きます、ロバートと申します」
 ロバートと名乗るその執事は、年齢は中年に差し掛かろうかというほどだが、妙に年季を感じさせる落ち着きと威厳があった。名家の執事ともなれば、それなりの気品も兼ね備えるものなのだろう。
「中へどうぞ。旦那様がお待ちでございます」
 ロバートは恭しく玄関を開けて中へと招く。エリック達は促されるまま屋敷の中へと入った。
「おー、流石に凄いですねー。なんか美術館みたい」
 玄関ホールをルーシーは、ぐるりと見渡しながら感嘆の声をあげた。エリックは、そこまで露骨に見渡しはしなかったものの、心境はほぼ一緒だった。これまでも何度か所謂富豪の屋敷に入った事はあったが、この屋敷はそれらとまるで次元が異なっている。さりげなく飾る美術品の一つ一つにこだわりが感じられ、それはまさにテーマやジャンルごとに区分けして展示する美術館のようだった。造詣の浅いエリックですら感ずるものがあるのだから、分かる人間にはこのこだわり様ははっきりと分かるだろう。
 ロバートの案内で屋敷の奥へと進んでいく。階層を二つ上がり幾つかの廊下を経て、ようやく辿り着いたその部屋。扉の細工や材質の違いからして単なる客室の類ではないと、直感的にそう思った。
「旦那様、特務監査室の皆様がお出でになられました」
 ロバートが部屋の扉をそっと開けて中へと促す。エリック達はそれに従ってぞろぞろと揃って中へ入る。
 その部屋の内装には、三人ともこれまでとは違う印象を同時に感じた。そこはやはり様々な美術品こそ並んでいるが彫刻や陶器の類が一切無く、飾られている絵も風景画がほとんどである。そして、部屋でこちらを待っていた男、その傍らにいる幼児の姿を見て、ここはこの子供ための部屋なのだという事を直感的に理解した。
「御足労戴き、感謝しております。私は当館の主、ジェイコブ・レイモンド。そしてこちらが、息子のエリアスです」
 その子供エリアスは、きちんと父親の話を理解出来ているらしく、紹介直後のタイミングで恭しく一礼した。かつて自分があの位の年頃だった時、どこまで大人の話を理解出来ていたのか。年に似つかわぬ毅然とした振る舞いと会話の理解力に感心しながら、そんな事をエリックは思った。
 簡単な自己紹介を済ませた後、一同は部屋の奥にある応対用のスペースへと移動する。レイモンド親子と特務監査室がテーブルを挟んで向かい合う形で座る。ジェイコブ氏は思っていたよりも若く、経歴なりの威厳さからは遠い人物だった。反対に息子のエリアスは子供らしからぬ落ち着きを見せていて、如何にも非凡な子供だと思わせるものがあった。同年代の子供はもっと落ち着きがなく、大人の集まりになど微塵の興味も示さない。
「概要はこちらでも確認しています。では、こちらのエリアス君が?」
「ええ、そうです。一番初めに気付いたのは、かれこれ半年ほど前になります。その時はまだ、単なる戯れ言だと思っていたのですが……」
 エリアスは、ある日突然何者かについて語り始めた。それはただの子供の空想にしてはあまりに具体的過ぎて、異様なリアリティがあった。まさかとは思い、話の内容について幾つか調査してみたところ、それらは全て事実であると確証が得られてしまった。まだ幼く外界の情報も制限して育てていたはずのエリアスが、そんな事を話せるはずがない。それで、この特務監査室へ依頼がやって来たのだ。
「最近は何か話をされましたか?」
「いいえ、実は妻が心労で寝込んでおりまして。その事を気に病んでいるのでしょう、とんと話さなくなりました」
 自分の話は、周囲を騒がせてしまう。それくらいの事は、幾ら子供でも分かるのだろう。だが、これは長引かせれば良くない傾向でもある。話し方を覚える時期にそれを遠慮していては、話し方が未熟なまま年を取ってしまうからだ。
 口にしてはいけない話。まずはその分別をつけなければならないのだろうが、それは特務監査室の仕事ではない。目的は、この現象がどういったものなのか特定する事である。となると、やはりまずはエリアスに接触する存在の有無を捜査する事だろうか。そんな段取りを考えていた時だった。
「ウォレン」
 唐突に、エリアスはウォレンの方を見ながら名前を呼んだ。先ほどの自己紹介で覚えた名前を面白半分に口にしているだけだろう、子供ならよくやる遊びだ、そう思っていたが、エリアスには子供っぽい無邪気さが顔に現れていなかった。むしろ、そこに居るのがウォレンだから呼び止めた、そんな風にすら思える。
 ウォレンは無言のままだが、困惑の表情を浮かべている。やはり当の本人が、今明らかに名指しをされたと感じたのだろう。大人が子供に名指しで呼ばれる。それに困惑を覚えるのは普通の事である。ただ、それは大概育ちの悪い子供のする事だ。
 どう受け止めるべきか。それを悩んでいる内に、エリアスはまた新たな言葉をウォレンに向けて言い放った。
「相変わらず、お酒は弱いまま?」