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 守り神。パトリツィオに死の脅迫をして来たのだから悪いイメージを持っていたエリックは、まるで正反対のその言葉に疑問を抱いた。
「守り神って、この家に居るって事ですか?」
「そうよー。いわゆる民間信仰で土着神の一種とも言われてる、まあ昔からあるマイナーな宗教に近いかなー。ただ、ちゃんとしてれば、ちゃんと家人を守ってくれたりするんですよー。普通は引越の時に連れて行くもんだけど、忘れてったのかなあ」
 宗教と実際に機能する守り神がどうしてもエリックの中では繋がらなかったが、とにかくそれはそういうものだと認識する他ない。そして次の疑問をエリックは口にする。
「じゃあこの家の守り神というのは、パトリツィオを守ってくれてないんでしょうか? 悪霊とかをみすみす野放しにしている感じで」
「ちょっと違うかなー。霊応盤にメッセージ出したの、多分その守り神だと思うよ?」
「え? 守り神が死ねとか言うんですか?」
 家人を不幸に追いやろうとするのに、何故守り神なのだろうか。読んで字の如くの存在なら、むしろそういった災厄から守ろうとするのではないだろうか。
 ルーシーは、布を剥がして露わになった壁を指した。
「ほら、ここ見て。多分ここら辺に、元々守り神を奉る何かあったと思うのよ。前の住人が作ったやつ。この部屋って、守り神のための部屋だったのよ。方角的にもそういうのに向いてるし。ところが、新しい住人は奉るどころかこんなアホみたいなことやってるでしょ? そりゃ嫌がらせの一つもしたくなるわよ」
「つまり、あのメッセージは守り神からのパトリツィオに対する嫌がらせ? そんな事するんですか?」
「そりゃするわよ。自分を大切にしない家人なんて、バンバン追い出しにかかるもん。こんなの、まだまだ優しい方でしょ。実際に命狙ってる訳じゃないんだし。凄いのだと、いきなり無言で頭の上に刃物落として来るわよー」
 確かに、自分を邪険にする相手には嫌がらせの一つもしたくなるのが普通だ。けれど、それはあくまで人間的な感覚での話である。そういった感情論は守り神とやらにも当てはまるなど、到底イメージと合わない。いや、それがそもそも人間の勝手な思い込みなのだろうか。
「えっと……ルーシーさんでしたよね。これはつまり、この部屋の内装を戻して、ちゃんとお奉りするようにすれば大丈夫という事でしょうか?」
「そういうこと。キミもね、これに懲りて少しは信心を大事にしなさいよー」
 パトリツィオの表情にたちまち明るさが戻っていくのが、目に見えて分かった。あの奇怪な出来事が守り神云々の仕業かどうかはさておき、事態が良い所に着地させられたとエリックは安堵する。何事も気の持ち様であり、パトリツィオの心境を平素に回復させられたのは非常に大きな事である。結局の所は、物事の捉え方次第で如何様にも解釈できる分野なのだ。ルーシーの諭し方は合理的で簡素である。実に理想的な収束の仕方だろう。
「では、詳しい設計の内容について監修をお願い出来ないでしょうか? 今日中に設計図を起こして業者に直させたいので」
「しょうがないですねー。でも、思い立ったら即実行の心掛けは良いですよ」
 パトリツィオはいつになく満足げなルーシーを連れて部屋を後にする。この部屋の内装は、早速今日にでも改修工事が行われるようである。原因が判明し別に死ぬことは無いと分かったのだから急ぐ必要など無いのではないか、そうエリックは思ったが、やはり死ぬなどと直接的な言葉を投げかけられた者にとっては相当な苦痛なのかも知れない。金に余裕があるなら、早急に解決したくなるのだろう。
「あー、くっだらねえ話だぜ、まったく。バカに振り回されるのは、いい迷惑だ」
 そして、今回は終始悪態をついていたウォレンが、再び露骨な言葉を吐き捨てる。二人が居なくなった途端に発散したといった様相だ。
「なんか、今日のウォレンさん。いつもと違って変じゃないですか? 何かあったんですか?」
「どうもしねーよ。この屋敷が居心地悪いだけだ」
 そう吐き捨てるウォレンだが、それは如何にもこの屋敷に原因があると言わんばかりの態度である。しかし、それ以上の事はエリックには分からなかった。この屋敷とウォレンにどんな接点があるのか、推測しようにも情報が無さ過ぎる。
「おう、俺は馬車で待ってるからな。お前らも、さっさとあのバカのこと終わらせて来いよ」
 そう一方的に言って、ウォレンはわざとらしい足音を立てながら部屋を後にした。咄嗟に制止しかけたエリックだったが、ウォレンが妙に声をかけ難い表情をしているため、それは躊躇われた。もしかすると、またウォレンの過去に関わる事ではないか、そう思うとどうしても自分の言葉が薄っぺらに感じてしまう。
 ともかく、自分はルーシーの所へ行こう。そう思い、部屋を後にしようとしたその時だった。踵を返した直後、エリックの背後から小さな物音がはっきりと聞こえた。
「……あれ?」
 今は自分以外にこの部屋には誰もいない。いないはずなのだが、今確かにはっきり物音が聞こえた。
 ルーシーが布を無理やり引き剥がしたせいだろうか。そんな事を思いながら、念のため部屋をもう一度見渡す。だがやはり部屋の中には自分しかいない。今の物音は気のせいだったのだろうか。だがそう思い直すや否や、再び同じ物音が聞こえる。それは、目の前にあるテーブルの方から聞こえてきたような気がした。
 エリックは、テーブルの前に立って付近を注意深く見回す。しかし、あるのは悪趣味な燭台と霊応盤だけであり、自然に物音を発するような物は存在しない。やはり気のせいだったのか、そう結論付けようとした直後、三度その物音は鳴った。そしてそれは、テーブルの上の霊応盤、その更に上に乗っているプランシェットから発せられたものだ。
 何が起こったのか。よくよくそれを注視したエリックは、プランシェットの位置に気付いた。いつの間にかプランシェットが、入り口の文字を指し示しているのだ。ウォレン辺りが触ったのだろうか。そう思うや否や、プランシェットは突然意思があるかのように自ら動き始めた。
 あまりに突然の出来事に、エリックは思わずプランシェットの動きに目を奪われてしまう。そこに驚きは無く、自らそうしようと思うまでもなく自然とプランシェットの指し示す文字を注視し記憶した。まるで初めからそうなることを予測していたかのような、エリック自身にもよく分からない不思議な反応だった。
 そして、一通りの文面を示し終わったプランシェットは、出口の方へと自ら移動すると、そこでぱたりと動きを止めてしまった。エリックはしばらくその様子を監視していたが、プランシェットが再び動き出す事はなかった。
 一体、今の出来事は何だったのだろうか。指一本触れていないというのに、勝手に動き出したプランシェット。それは、エリックの知る自動書記のからくりとは完全に異なる挙動だ。
 そして、自ら目で追っていたプランシェットの示した文面を声に出して確認する。とても今起こったばかりの出来事を、素直に受け入れる事が俄には出来そうになかった。
「『ウォレンを助けて』……?」