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その週末、仕事を終えたエリックは、自宅ではなく更に一時間程離れた実家へと向かった。父親が夕食会を開くという事で集合をかけたためである。
久し振りの実家は、以前と何ら変わらぬ懐かしい匂いを漂わせている。エリックは、この古木に似た匂いが何となく好きだった。幼少を思い出しながら入った食堂には既に親類縁者一同が集まっていて、食前酒を楽しみながら雑談をしている。エリックが一番遅い到着だった。
「随分遅かったな、エリック。仕事が忙しかったのか?」
「いえ、今日は大したことありませんよ」
エリックの父は、大抵の人が厳めしいと評する風貌で、そんな会話だけでも不機嫌そうに見えた。エリックは慣れてはいるものの、実際に不機嫌な時と見た目があまり変わらないため、会話で使う言葉に慎重なのは生まれた時からの習慣となっている。
「まあ、エリック君は一族の中で一番の秀才だからねえ。官庁の役人だったっけ? そりゃ仕事も忙しいだろうさ」
そう笑うのはエリックの叔父であるジョーンズだった。父親とは違い、非常に表情豊かで愛嬌があり、エリックは幼少の頃より叔父の方が取っ付きやすいと思っていた。
一族という言い方は仰々しくて、エリックはやや恥ずかしいように思った。実際の所名家でも何でもなく、ただ単に信憑性のある古い家系図がたまたま残っているだけの事である。それを代々新たな子孫を書き足していったり、こうして一族を集めて一体感を演出したりしているだけなのだ。こういった富豪の真似事は止めて欲しい、いつもエリックはそれを言い出せずにいる。
夕食会が始まっても、雑談はそのまま引き続いた。話はいつも親戚間の身の上話で、エリックとその従兄弟にしてみれば聞き飽きてうんざりするほどだった。本当は食事会には出席などしたくないのだけれど、親達がそれを許さず、実際はどうにもならない。
「ところで、エリック君はどこの官吏になったんだっけ? 確か、目指してたのは財務省だったよね」
夕食会も佳境に差し掛かった頃、不意に叔父のジョーンズがそんな事を訊ねて来た。
「特務監察室という組織です。少人数ですが、首相の勅命で仕事を行う場所ですよ」
「ああ、そうそう。そういう何か聞き慣れない所だったね。どんな仕事をしてるの?」
「すみません、僕らの仕事は機密事項が多くて。内容については、例え家族でも一切話してはならない決まりになっているんです」
「国家機密って奴か。凄いなあ。何だか大変そうな仕事だね」
そう関心する叔父や他の親戚一同に、エリックは内心苦い思いをしながら作り笑いを浮かべていた。その特務監察室は、普段はひたすら執務室でダラダラと暇を持て余し、たまに仕事があるかと思えば、それは幽霊がどうとか呪いがどうとか別の意味で人に話せない内容なのだ。機密を盾に出来るのは本当にありがたい、そうエリックは思う。
「財務省に入れなかったのは残念だが、むしろエリックは誰でも入れぬような所に呼ばれたのだから喜ばしい事だろう。今後もしっかりと励むのだぞ」
そう誇らしげに肯く父親に、エリックは顔が引きつりそうになる。自分が特務監察室へ入った理由は、ただの書類ミスなどと口が割けても言えるものではない。
これ以上、自分の仕事の事を話題にして欲しくない。そう思っていたエリックだったが、更にその話題を繋げて来たのは従兄弟のパトリシアだった。
「ねえ、エリック君。警察庁辺りに知り合いとかいない?」
「知り合い? うーん、警察官とかじゃなくて」
「そう。いないかなあ」
「何か困ってるの?」
「ちょっとねえ」
警察官ではどうにもならない問題を抱えているのか。そう心配する反面、パトリシアの様子がさほど深刻そうに見えないのが気になった。
「今ね、ちょっと言い寄られてる男がいてさ。パトリツィオって言うんだけど、私と名前が似てるからとか言ってさ。まあ、見た目も性格もそんなに悪くないの。嘘もつかないし。ただ趣味っていうかセンスがちょっと合わなくて」
「センス? どんな?」
「成金なのよ。それも露骨に成金趣味でさ、おっさんみたいなの」
ああ、なるほど。エリックは納得の溜め息をついた。そういう生理的な嫌悪感は良くある事である。
「それで実は、降霊会をするから来ないかって誘われちゃってて。そんなみっともないこと、行きたくないじゃない」
降霊会、最近もそんな単語を耳にしたばかりだ。流行っているのは知っていたが、実際こんな身近で耳にするとは。
「嫌なら断ればいいでしょう?」
「もう二回も断ってるから、断り難いのよ。性格悪くて最低な奴ならいいんだけど、他はそうでもないから、邪険にすると角が立ちそうで。難しいところなの」
嫌がる相手をしきりに誘ってる時点で、さして性格は良くないのではないだろうか。もしくは、相手に変に気を持たせるような事をしているパトリシアに問題があるのか。
そんな事を思っていた時だった。
「ならばエリック、お前が一緒に行ってやればいい」
エリックの父親がそう言い、なるほどと皆が頷いた。
「え、僕がですか?」
「断り切れないのなら仕方ないが、そんな馬鹿げた遊びをしている連中の元へ若い娘一人放り込む事はないだろう。お前が護衛として付いてやるのだ」
「それなら嬉しいです! ほら、特務監察室でしょ? いざとなったらそれで大人しくさせられそうじゃない」
「そうだ。何なら、牢屋にぶち込んでしまえ。そんないかがわしい輩など、その方が社会のためになる」
みんな、特務監察室を何だと思っているのか。
そんな反論をしようとしたものの、期せずしてだがあながち特務監察室の対象外という訳でもなく、エリックはついつい口を閉じてしまった。