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「ねー、知ってる?」
特に仕事もなく弛んだ空気の執務室、ルーシーが主語のない問い掛けを投げるのはいつもの事だった。
「何だよ、うるせーな。こっちは、週末の予想で忙しいんだよ」
「どうせ当たらないんだから一緒でしょー」
そもそも執務室で、それも業務時間中に賭け事の算段などやって欲しくは無いのだが。今に始まった事ではなく、どうせ言った所で改善される見込みもない。
「で、ルーシーさん。何かありました?」
「最近ね、また流行り出したんだって。降霊会。話をする方じゃなくて、実際にその場へ降ろす方ね」
「降霊会ですか? 確か、死者の魂を呼び寄せてアドバイスやら予言やらを戴くっていう、言うまでもなく怪しげな会合ですよね」
エリックもすぐに詳細が出て来るほど、この降霊会というものはセディアランドでは比較的有名なオカルトである。夜中に四角いテーブルを四人で囲み、テーブルの上に予め用意した魔法陣の上に死者の魂を呼び出す。大筋はそういった所だ。現実主義が国民性のセディアランド人でも、非合理的なものを好む文化は僅かだが存在する。これもそういったものの一つだ。
「新興企業の成金とか、露骨なセレブアピールでそういうアホな道楽をしてるんだって。まあ昔からの資産階級からしたらそんなの、カラスが白鳥の羽つけてるようなものだし失笑モンでしょうけど」
本当に霊魂が降りて来ると信じ込んではいない分幾らか健全だろう、とエリックは思った。非合理的なものを妄信する輩は、必ずと言っていいほどろくな事を起こさない。これまで特務監察室の案件の大半がそうだったのだから、間違いは無い。
「実際の所はどうなんですか? そんな娯楽感覚でやっても、危険性は無いんですか?」
「オカルトって意味ではほぼゼロね。特定の霊魂を確実に呼び出す方法って、実はどこの宗派や外法にも存在しないのよ。最近の降霊会に至っては、方法以前に発想自体デタラメ。まあ何も呼び出しゃしないわ。ただ、危険性はそこそこ高いのよねー」
「え? デタラメなのに危険なんですか?」
「シチュエーションがまずいのよ。こう複数人が一点に集中するっていう。そういうのってね、集団ヒステリーを起こしやすい状況なの。集団ヒステリーは怖いわよ。自分以外の誰かが何かが居るって騒げば、不思議と居るはずもないものが本当に居るように思えちゃうの。やり方によっては変なお香も焚くらしいし、理性のたががぶっ飛んじゃうのよね」
「確か昔、集団ヒステリーが原因で、かなり大人数の死傷者を出した事件もあったらしいですね」
「そう、そういうの。危険性ってのは、ほぼそういう状況での事よ。素人がたち悪いものを呼び寄せてしまった気になって、対処しようとした挙げ句にかえって大勢の死傷者を出してしまう。ま、実際にヤバイのが来ても危ない事に変わりはないんだけどねー」
やはり、結局一番怖いのは人間、まさにこの一言に尽きる。悪霊だの悪魔だのなんてものは存在などしないのだ。
死者の霊を呼び出す旅芸人は珍しくないが、流石に悪霊だとか悪魔などと聞いては信憑性も何もあったものではない。死んだ人間が魂という曖昧な形で存在したとして、悪霊や悪魔だというのはそもそも発生からしてあやふやだ。宗教書には頻繁に出て来る言葉ではあるが、これはいわゆる人間の悪い部分を比喩的に表したものである。本当にああいった物が存在する訳ではない。
夕方近くになり、ウォレンは通院のため早退していった。この事を除けば、平素のウォレンは落ち着いているように思う。けれど、実際のところウォレンは辛うじて通常の生活を送れている、という状態だ。エリックは何かしてやりたいとは思うものの、具体的にどう支援してやればいいのか見当もつかない。そもそも、何かあるのであればルーシーや室長もとっくに対応しているだろう。おそらく現状が既に可能な限界なのだ。
定時を過ぎた所で、エリックはルーシーと共に執務室を後にする。それぞれの帰路で別れ、そのまま真っすぐ自宅へと向かうエリック。途中夕食の材料を購入する。一人暮らしをしているエリックは、自宅アパートで自炊をする事が多い。寮に入る事も検討はしていたのだが、寮は禁則事項が多くせっかくの一人暮らしなのだから自由にしたいという事で、この選択にしたのだ。
夕食を作りつつ、エリックは改めてウォレンの事を思う。どうすれば、もっと前向きで健全な生活が送れるようになるのか。そういった事だ。
時折酒に誘われる事があるが、無茶な飲み方をしたりトラブルを起こさぬよう、出来るだけ付き合うようにしている。また昼食時も、出来るだけ栄養が偏らぬようにあれこれ口を挟んでいる。だが、そんな事だけではウォレンは治らない。精神についた深い傷が、どうしようもなく深刻なのだ。それを治す方法があればいいのだが、医者ですら簡単に治せないのだから、自分がどうこう口を挟んでも無理なのだろう。
ウォレンは、ちゃんと食事を取っているのだろうか。今頃酒を飲み過ぎてはいないだろうか。睡眠も出来るだけきちんと取って貰いたい。
そういつしか考えている事が保護者じみてきたことに気付き、エリックは一人苦笑いをした。