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その晩、エリックはウォレンに酒に付き合わされた。普段なら面倒事のように感じる所だったが、今日ばかりは話したい事や聞きたい事もあって、気持ちは割合素直だった。
いつものバーの片隅で、二人並んでグラスを傾ける。ウォレンは普段の調子で、飲みたいのか飲むことが目的なのか分からないようなペースで次々と飲み干していく。ただその姿は、何となく普段とは違うような感じがして、エリックはウォレンの心境に何かがあるのだと察した。
「今日来た、あいつら。あれ、警察庁の人間じゃねえぞ。気付いてたか?」
しばらく飲んだ後、ウォレンは唐突にそんな事を口にした。
「え? じゃあ、どこの人だったんですか?」
「大方、特務調査室辺りだな。バレバレなんだよ、あいつら。振る舞いがわざとらし過ぎて、分かる奴ならそれだけで分かる。室長があんなキレてたのも、そうだって気付いてたからだぜ」
特務調査室とは、首相直属の組織で主に情報収集を仕事とする。警察とはまた違った独自の組織で、事件の捜査などは管轄外である。特務監察室と同じ首相直轄組織ではあるものの、接点は皆無だ。
「ウォレンさんは、もしかして首相に目を付けられてるんでしょうか?」
「それはねえだろうなあ。俺、あいつとは知り合いだし。まだ大臣やってて、世間からは七光りのぼんくら呼ばわりされてた頃からの飲み友達なんだよ。あの頃はまだ、この店にも時々来てたのさ。割と気軽な身分だったらしいからな」
「え、首相と面識があるんですか?」
「一応な。奴は俺の身の上も知ってる。だから、あいつらは勝手にやってるだけだろうさ」
ウォレンが首相と面識があると聞いて、エリックは耳を疑わずにはいられなかった。現首相ジェレマイアは、これまで数々の汚職に関わってきた人間を一斉に政財界から追い出し、その実績とリーダーシップを持って就任した人物である。それまでは、親の七光りで財務相に据えられただけのお飾りだと思われていただけに、あの唐突な政治劇は今でも憶えている。だからこそ、ウォレンのような政治と縁の遠い人間との繋がりが想像出来ない。
「ああ、今日の分がまだだったな」
ふとそんな事を呟いたウォレンは、内ポケットから薬を取り出し、それを酒と一緒に流し込む。以前もそうだったが、普通は薬を酒で飲むなんて事は非常識であって躊躇うものだ。だからエリックは、ウォレンがどうも厭世的で破滅願望があるような気がして、心配をしてしまうのだ。
「いい加減、お酒で飲むのは止めましょうよ。それ、本当に何の薬なんですか?」
「うっせーな。だから、前に言っただろ。頭の薬だって」
「またそれですか。まあ、別にいいですよ。とにかく、飲んでる薬があるなら、もう少しお酒は控えて下さい」
「けっ、お前は俺のお袋かよ」
そしてウォレンは再び酒を飲み始める。エリックの言う事など聞きそうになく、エリックもまた聞き入れて貰えるなどと期待はしていない。出来る事は、せいぜい明日に響かない所で酒を止めさせる程度だ。
「そうだ。あの警察庁……じゃなくて、特務調査室の人達でしたか。あの人達が言ってた事って、本当なんでしょうか?」
「ま、薬で痛みに鈍くなる事は十分有り得るだろうな」
「でも、傷が塞がるとかは普通じゃないですよね」
「ああいう素人が、いざゴロ巻きの場に来ると、大抵気が動転してまともに見られなくなるもんだ。そういう場でも冷静で居られるよう訓練してるのが軍人だが、それでも駄目な奴は駄目だ。書類仕事しかしてねえような奴らに、状況が正しく把握出来るかよ」
「なるほど。確かそれは一理ありますが」
けれど、幾ら気が動転していたからと言って、本当にそんな見間違いをするだろうか。彼らは情報を扱うプロである。その集団が、一人二人の見間違い、それも現実では考えられないような事を安易に信じるとはとても思えないのだ。彼らには、少なからず根拠となるものがあるのかも知れない。
「本当はな、知ってんだ。俺は」
またしても唐突に、ウォレンはそんな事を口走った。声のトーンは下がり、舌が重そうな喋り方である。酒が回り過ぎたのか、そうエリックは感じた。
「知ってるって、何がですか?」
「ジェイクの野郎がああなった理由さ」
「え? ちょ、ちょっと待って下さい。ウォレンさんは、何も知らないってあの人達に言ってたじゃないですか」
「嘘に決まってんだろ。軍部だぞ。特に前線で起こった事はな、人にゃ話せない事ばっかだ」
ならば、その前線で起こった何かが、ジェイクを連続強盗犯にした上に異様な体に変えてしまったのか。エリックはウォレンの話の続きに集中する。
「前線の兵士ってのはな、時折支給されんだよ。いわゆる昂揚剤って奴だ。無論、判断力がぐちゃぐちゃになったら意味はねーし、ちょっと怖さが紛れる程度だけどさ。でもたまにな、妙にハマっちまう奴がいる。そういう奴に声が掛かるんだ。新薬の実験に協力してくれないか? ってな」
「新薬の実験って、製薬会社の事じゃないですよね?」
「さあな。どっかしら軍部と噛んでるとこもあるだろうし、無いかもしんねえ。ともかく、俺らみたいな使い捨ての下っ端には計り知れねー所さ」
新薬の実験と前線の兵士。その繋がりは、あまり愉快な想像をさせなかった。むしろ露骨過ぎる組み合わせで、現実味が薄いようにすら思える。新薬の治験は、人間に投薬する段階ではほぼ安全性が確立されている。わざわざ前線の兵士に協力を求めなければならない理由など無いのだ。
「ま、大抵は何もならねえさ。当然だ。認可一歩手前の新薬だ。単に代謝のデータを集めたいだけだ。けどな、本当はそれだけじゃねえ。中には、懲罰的なもんだってある」
「懲罰的って、治験がですか? なんか、人体実験って聞こえるんですけど」
「そうさ。で、見返りに軍法会議で便宜が図って貰える」
軍法会議。最近その言葉を耳にしたような気がする。そう思いエリックは、しばし記憶を探った。そして、ウォレンの戦友だったというあのジェイクの事を思い出した。