BACK
執務室へ戻ると、ウォレンは憮然としたまま自席へと着き新聞の賭博欄を広げる。普段なら何かしら咎める事もあるが、今ばかりはそれも躊躇われた。ウォレンは記事を読んでいるように見せて、その実は視線が別の所へ向いている事が見て取れるからだ。
ウォレンが苛立っている。それは分かるのだが、一体何に苛立っているのかまでは話してはくれていない。おそらくセドリック関係の事とは思うが、それをわざわざ口を噤むと言うことは、そこに何か別の理由が絡んでいるのだろう。
こういう時のウォレンは放っておくに限る。そう思っていたエリックだったが、ルーシーはいつもの調子で話し掛けた。
「それで、先輩。どうするんですか? あれ、絶対やってますよ」
「ん……だろうな。でも、何か根拠なるものを押さえねえとな……」
セドリックと対峙した時とは別人のように、まるで覇気のない口調のウォレン。そのあまりの弱々しさにエリックは、ウォレンがふざけているのではとすら思えた。
「それで、どうして大人しく引き下がったんです?」
「俺らを利用しようって魂胆が見えたからな。奴がどうやって特務監察室の事を知ったのかは知らねえし、本当に魔法使いかどうかも確証はねえ。ただ、俺らに取り締まられたがってるのは確実だ。俺らに捕まれば、ますます自分が魔法使いである事の宣伝になるとでも思ってんだろ」
「でもそれって、特務監察室の仕事内容が世間一般に認知されてないと意味ないじゃないですか?」
「そうなんだよな……あいつ、なんでああも挑発してまで捕まりたがってんだか」
弱々しく唸るウォレン。口調こそ弱気で覇気がないが、頭の方はきちんと冷静に状況が分析出来ている。感情の起伏はさておき、ひとまずウォレンが仕事を投げ出している訳ではない事を知り、エリックはいささか安堵する。
「いいんじゃないですか? 逮捕なりしちゃっても。お望み通りにしてやりましょうよ」
「あいつにまんまと利用されるのは気分が悪い。それに、俺達の仕事は超常現象の類で騒ぎを起こす事とは正反対だ。考えてもみろ、あんな有名な奴を突然拘束でもすりゃ嫌でも世間中に注目されるだろ」
セドリックは、言うまでもなく今の聖都において最も話題の人物である。それが公的機関に拘束されたとなれば、まず間違いなく大騒ぎになるだろう。任意の聴取は極秘に出来ても、流石に公演を中止しなくてはならないような事態は隠し通せない。世間を納得させる相応の理由が必要になる。
「どうしましょうか、ウォレンさん。うちとしては、もうやれる事が無い気がしますけど」
「そうだな。今は捜査の進展を待つしかねえだろうな」
そんな無気力な言葉を言い放ち、ウォレンはそれっきりぼんやりとした表情で新聞を眺め始める。ルーシーはルーシーで、やはり自ら何かしようとはせず、またいつものように雑誌を読みふけり始めた。二人がこの調子では何も捜査など出来ず、自分一人で勝手に動く訳にもいかない。仕方なくエリックは、今日の残りの時間を情報整理へ費やす事にした。
その翌日、いつもの時間に執務室へやってきたエリックだったが、やはり今日もまだ誰も来ていなかった。このままでは今日も同じような時間を過ごす事になってしまう。そう思ったエリックは、書き置きを残し昨日の警察署へと向かう事にした。直接捜査本部へ赴けば、ここへ上がってきていない情報が得られる可能性があると考えたためである。
朝の捜査本部は、予想外に閑散としていた。捜査という職務上、直行直帰に近い勤務体制なのか、朝礼のような集まりなどは行っていないようである。
エリックは、数少ない人間に片っ端から当たり捜査の進展状況を聞いて回る。だが、実際に進展は無いのかそれとも特務監察室などという肩書きとエリックの大人しそうな外見を見て侮っているのか、いずれも歯切れ悪く大した情報を話してはくれなかった。
やはり、威圧的なウォレンか図太いルーシーが一緒にいなくては、引き出せる情報も引き出せないのかも知れない。そう思いエリックは、一旦出直す事にし捜査本部を後にしようとする。そんな、まさにその時だった。
「おい! 新しい被疑者挙がったぞ! ガイシャに恨みを持ってる女が見つかった!」
本部に飛び込むのと同時に叫んだのは、一人の若い捜査員だった。よれた服装で髭も伸び、如何にも昼夜を徹して奔走していたとばかりの格好である。それでも目は爛々と輝いている。
新しい容疑者。その言葉にエリックは、咄嗟にその捜査員へ掴み掛かるような勢いで向かっていった。
「誰ですか、それは!? 教えて下さい!」
「あ、ああ。同じ会社の同僚でな、何でも結婚の約束をしたとかしないとか、そういういざこざがあったそうだ。男女関係のもつれって奴だ」
エリックの迫力に驚きながら、若い捜査員は調べた資料を見せる。エリックはすぐにその要点を自分の手帳へ書き写した。
これは重要な手掛かりだ。若い捜査員から得られた情報を書き記しながら、エリックは胸躍る気分だった。この手掛かりを元に捜査を進めれば、セドリックの真意を明らかにする事が可能かも知れない。それだけでなく、この異常な事件のトリックも明かせるはずだ。魔法など存在しない。セドリックは優れたマジシャンだが、その技術を悪用し罪のない人間を殺してしまっただけなのだ。そしてこの新たな被疑者こそが、今まで探し続けていた共犯者なのだろう。
これでようやく、魔法がどうという非科学的な物を払拭し、事件を解決に導ける。そう鼻息を荒くしたエリックだったが、一つ根本的な事を忘れていることに気がついた。
そもそも特務監察室には、殺人事件の捜査権は無いのだ。