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 エリックが以前にブラックナイトの公演を観た時も、会場はこの創立記念会館だった。あの時は館内を好き勝手に歩き回れぬよう、必要最低限の通路しか解放がされていなかった。しかし、彼女の案内はあっさりとその先へと行ってしまった。スタッフ関係者しか立ち入れないエリアへと入る、その事がエリックの緊張感を更に煽る。
「こちらでしばらくお待ち下さい」
 そして三人が通されたのは、どこかの入り口に併設されているらしきロビーのような場所だった。待ち合わせ用のスペースは広く取られ、革張りのソファーが幾つも並んでいる。解放感がある一方で、あまり遠くが見渡せない薄暗さが遠近感を狂わせ、周囲を不気味に見せた。明るいブラックナイトの舞台とは正反対のシチュエーションである。
 いつの間にか、案内の女性の姿が忽然と消えている。如何にも手品仕立ての演出だとばかりに、ウォレンは苦い表情をしながらソファーの一つに腰を下ろす。今朝のウォレンは、らしくもなく静かで大人しかったのだが、いつの間にか普段の調子に戻ってきているように思う。本来なら、被疑者未満の相手に悪態をつくなと窘める所だが、今はこのウォレンのふてぶてしさが頼もしく感じられた。
 それぞれがソファーに座り、エリックだけが漠然とした不安を抱きながら先方のアクションを待つ。けれどさほど時間も経たない内に、静かに唐突にセドリックは現れた。それも、三人の待つロビーの中央にである。それはあまりにも静かで唐突であったため、最初は何かの見間違いかとすら思われた。
「こんにちは、特務監察室の皆さん。私の事は御存知かと思いますが、こうして顔を合わせるのは初めてですから、一応自己紹介をさせて頂きます」
「手品師のセドリックだろ? それだけで十分だ」
 やや苛立った口調で吐き捨てるウォレン。だがセドリックはにこやかな表情を少しも変えなかった。
「正確には違います。私は、魔法使いです。私の舞台ブラックナイトでは、皆さんに現代の物質社会における本物の魔法という物を披露させて頂いております」
「あくまで、そういう設定だろ? それとも、その自慢の魔法で人も殺してるってか?」
「ええ、そうです。警察でもそうお話したのですが、やはり信じては貰えませんでした」
 警察の聴取では、そういった自供をした事は知っている。だが当然、そんな与太話を信じる刑事はいない。それよりも、事件に関わった可能性があるとし、共犯者の存在を強く確信するだけだ。
「まあ、いい。お前が魔法で殺しをやったとしてだ。どうして殺したんだ? あのガイシャとは、面識でもあったのか?」
「いいえ、全く。恨みも面識も全くありません。ただ、何となく思い浮かんだのが彼であって、それで殺そうと思ったんですよ。魔法使いは気まぐれなんです」
「気まぐれで人一人殺して、その言い草かよ。てめえのファン連中に聞かせてやりてえくらいだな」
「あの回に来て下さった方々は、大半が御存知ですよ。その上で、今夜も公演がありますし、チケットもとうに完売済みです」
 つまり、その殺人すらも受け入れられている、そう言わんばかりの口調だ。あまりに挑戦的なセドリックの態度に、ウォレンは元よりルーシーやエリックまでもが徐々に表情を強張らせていく。
 ここまでの会話でセドリックには、特務監察室が押し掛けて来て強引な聴取をする事を、まるで初めから知っていたかのような落ち着きがある。普通なら、公演前だから任意の協力はしない、などと言って追い返すだろう。それを積極的に受けるという事は、やはりセドリックには絶対の自信がある事になる。
 殺人事件の犯人は、セドリックで間違いは無いだろう。けれど、共犯者は本当にいるのだろうか? よほど共犯者を信頼していない限りは、ここまで堂々と振る舞える筈がない。もしかすると、魔法では無いにしろ、それぐらい奇想天外なトリックを使って犯行に及んだ可能性があるのかも知れない。手品師は、人の心理の裏をかき欺く事を得意とする。だからこそ、何か予想も出来ない手口が存在していても、少しもおかしくはないのだ。
「茶番は終いだ。お前、特務監察室の事を知っているな。だったら、用件も分かるだろ」
「ああ、そうでしたね。すみません、実は知っているのは名前だけなんですよ。ですから、どういった事をされる方々かまでは分かりません」
「俺らの事は、存在自体があまり公にはしてねえぞ」
「警察署で、刑事の方々が話されてましたよ? やけに愚痴っぽかったので、きっと警察とは別の組織で、何かしら強い権限を持っているように想像するのですが」
「俺らの名前はどうしてだ?」
「その、何と言いますか。お三方の声は建物内に、割と響いていましたよ? 別段盗み聞きするつもりはなかったのですが、どうにも会話が聞こえてしまう事がありましたので」
 要するに、全て署内で聞き及んだ情報を整理しただけ、という事なのだ。
「けっ、耳聡い魔法使いだな。まあ、いい。俺ら特務監察室の仕事を教えてやる。俺達はな、法律でどうこう出来ないようなモンを取り締まるのが仕事なんだよ。例えば、魔法で人を殺して得意気になってる奴とかな」
 ますます攻撃的な口調になるウォレン。エリックは、流石に冷静さを失ったかと危惧する。その一方でセドリックはさほど驚きもせず、むしろ予想通りだと言わんばかりに悠然と笑みを浮かべた。
「なるほど。それなら、確かに私は取り締まり対象ですね」
 捕まえられるなら、捕まえてみろ。エリックには、セドリックのセリフからそんな意図を感じた。あまり攻撃的な性格ではないエリックですら、それが挑発の意図を持っていると分かっていながらも苛立ちを抑えられなかった。本当に拘束してしまおうか、そんな具体的な事が脳裏を過ぎる。しかし、
「下らねえ。おい、お前ら。もう帰るぞ」
 ウォレンは吐き捨てるような口調で、強い苛立ちを滲ませつつも、どういうことかあっさり帰る事を指示してきた。そんな指示には従えない、あいつは拘束するべきだ。エリックは感情に任せてそう主張しかけるが、ウォレンの異様な迫力に圧倒されてしまい、思わず首を縦に振るしか出来なかった。
 こんな事で退くなんて、ウォレンらしくもない。そうエリックは思ったが、この中で最も現場の経験があるのはウォレンなのだから、やはりこれが一番正しい選択なのかも知れない。そう思う他なかった。