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 ウォレン達は、一体何をぐずぐずしているのか。内心そんな腹立ちもあったが、相手が相手だけに慎重になっているのだろう。二人の様子をそう解釈したエリックは、マラカイを油断させるための談笑へ集中する事にする。
「汚い所で育った牡蠣の方が大きくなるとすると、なんだか複雑な心境ですね」
「汚いとは言っても、水が腐ってるとか汚物が混じってるとか、そういう意味じゃありませんから。綺麗過ぎる水に魚が棲めない、と言われているのと似たようなものですよ」
「要は、海水内の餌が豊富かどうかですよね」
 牡蠣は食べる事が好きなのであって、生態には何の興味もない。これが本当に単なる酒の席ならそういった会話も楽しめるのだが、やはり仕事となるとあまり興味の無い会話も相当な苦痛となる。早くウォレン達は動いてくれないだろうか。そればかりを願いながら、エリックは笑顔だけをひたすら取り繕った。
 そんな事をしている内に、注文した牡蠣のグラタンが運ばれて来た。昨夜も食べたばかりなのだが、相変わらずその香りはエリックの食欲を強く刺激してくる。食欲は、周囲の状況とは関係なく所構わない発露をするものなのだろう、そんな事を思いながらスプーンを手に取って食べ始める。
「昨夜もグラタンでしたね。それが一番お好きなのですか?」
「そうですね。焼き牡蠣みたいなシンプルなのもいいけれど、これが一番です。僕は生で食べるのは苦手なんですよ」
「なるほど。確かに牡蠣好きの中でも、生だけは苦手という人は大勢居ますからね」
 セディアランドには牡蠣の専門店、それも生食の専門店すら存在する。いずれも海沿いに存在し営業期間も限られたものなのだが、常に客で溢れるほどの人気があると言う。牡蠣が好物のエリックでも、流石にここを訪れる気にはなった事はない。牡蠣の見た目そのものが、生食しようという気を起こさせないのだ。
「ところで、エリックさん。もしも人生で最後の食事になるとしたら、何を食べたいと思いますか?」
「人生で最後ですか? 月並みな質問ですねえ」
 最後の食事。こういった場に限らず、良くある話題の一つである。実際はそれが最後の食事になると認識している状況自体が限定的なため、最後かどうかはあまり意味が無い。要するに、これが自分の最も好む食べ物だと披露し合うだけのものだ。
「どうでしょうか。今は単にこのグラタンがいいと思ってますけど、実際にその時が来ないと。母親の手料理だとか、案外その辺りに落ち着きそうな気がしますね」
「大抵の方はそう答えますけど、案外その辺りが真理かも知れませんね」
「あなたはどうですか? もしも明日にでも死ぬと分かったら、最後に何が食べたいですか?」
「さて、どうでしょうかねえ」
 マラカイは意図の読み難い曖昧な笑みを浮かべて話をはぐらかす。何か拙い話題を振ったようには思えないのだが。エリックはマラカイの態度に小首を傾げたくなる。
「私が死んだ人間と会話が出来る事は、昨日にお話しいたしましたよね。ですから、亡くなった方々には最後に何が食べたかったのか、実際に訊ねてみる事があるんです」
「それで、どんな返答を?」
「何も。不思議とそういう気分にはならなくなるそうです。食べる事が生きる事なのだから、死ぬとそういう行為に興味が無くなるのかも知れません」
 実際に死後というものが存在するのかはさておき。生前とは全く異なる状態になるのだから、そういった変化はあってもおかしくはないのだろう。
 何だかんだで、設定的にはなるべく穴の無いよう気遣っている事が良く分かる話だ。死者との対話を教義としているのだから、それぐらいは当然と言えば当然なのかも知れないが。
 それにしても、ただただ談笑に花を咲かすばかりでまるで状況に進展が現れなくなってしまった。話も無限に続けられる訳ではない。どうやってマラカイを確保したら良いものか。自分は逮捕術など研修でやったきりだと言うのに。
 表では和やかに談笑しつつも、その難題の解決策に頭を悩ませていた、そんな時だった。
「おい、エリック」
 いつの間にか傍らに立っていたウォレンが、何やら気の立った様子でエリックの肩を強めに掴み揺さぶった。
「え? な、なに、ちょっと!?」
 エリックは突然のウォレンの行動に焦り、この状況をマラカイに対して誤魔化すべきか打ち明かすべきか決められず狼狽する。だがそんなエリックを余所にウォレンは、一方的に、その上耳を疑うような言葉を口にする。
「マラカイが見つかったそうだ。もう引き上げるぞ」
 マラカイが見つかった? もう引き上げる?
 ウォレンの言葉に数多くの疑問符を浮かべるエリック。マラカイは今更見付けるまでもなく隣の席にいるのだし、引き上げる理由など一つも無い。
「え、どういう事でしょうか?」
「安全局の奴が今報せに来たんだよ。だから、俺らの方はもういいそうだ。ったく、下らねえ。完全に無駄足じゃねえか」
 ウォレン達のいた席には、ルーシーの他にもう一人別の男の姿があった。恐らく彼が国家安全局の局員なのだろう。
「ちょっと待って下さい。それ、本当に本人なんですか? ほら、見つかったって言ってもここに居るじゃないですか」
 そう、マラカイは紛れもなく此処にいる。だから国家安全局が見つけた人物は間違いなのだ。
 だがウォレンは、訴えるエリックに対して訝しげな視線を向けるだけだった。そして、
「何を言ってんだお前? 良く見ろ、初めから誰もいなかったぞ」
 何を突然言い出すのか。
 エリックはすぐさまマラカイの居る隣の席を向く。そして、その光景に愕然とする。そこにはマラカイの姿が無いばかりか席そのものが無く、あるのは催し物などのポスターが貼られた壁だった。
 エリックは自分の頭が茫然とするのを認識した。今まで自分は、一体何と話していたのか。確かにマラカイと談笑をしていたのだが、それは端から見れば壁と話す異様な光景だったのだろうか。
「とにかく、一旦戻るぞ。マラカイが見つかったのは本当に本当らしい。ただし、古い死体だけどな」
 エリックの様子から何かを察したのだろうか。ウォレンは幾分声のトーンを落とし、まるで諭すような口調でそう言った。