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 時刻が夕刻を回り帰宅時間に差し掛かると、まばらな店内へ続々と客が来店して来る。エリックは昨夜と同じ席に着きチーズと果汁を口にしながら、ただひたすらマラカイが現れるのを待っていた。店員にマラカイの人相書きを見せて確認したものの誰一人として見覚えがなく、マラカイはこの店の常連客ではなかった。そのため、もう一度現れる事を期待しての張り込みである。店内の別な席には、エリックとは別の客としてウォレンとルーシーが張り込んでいる。マラカイが現れた際には、エリックがそれとなく合図を送って知らせる段取りとなっている。エリックが油断をさせている隙に、不意打ちで身柄を確保するのだ。
 昨日から引き続いている牡蠣のフェアのせいか、店内の客のほとんどが何かしらの牡蠣料理を注文している。昨夜は気付かなかったが、牡蠣を食べていないと牡蠣の持つ独特の香りが非常に気になって仕方がなかった。エリックはそれが単なる自分の嗜好の問題だと思っているが、やはり現に気になって仕方がない以上は我慢し続けるのはかなり苦痛だった。
 やがてエリックは、昨夜と同じように焼き牡蠣とグラタンを注文する事にした。単に我慢が出来なくなった事もあるが、やはりこの店内の状況でチーズと果汁だけをちびちびと口にしている自分の姿は目立つのではという危惧もある。マラカイが現れた時に何かしら違和感を覚えさせるのは得策ではない。
 程なくして運ばれてきた焼き牡蠣を口にしながら、さり気なくウォレン達の方を見る。ウォレン達もまた同じように料理を注文しているようだったが、明らかに酒を飲んでいる。初めは店に溶け込むための手段とも考えたが、どう見ても酒量がそれとは思えないほど多い。今日のウォレンには期待できると思っていただけに、エリックの受けるショックは普段以上に大きかった。
 やはり、先輩方は頼れない。自分で何とかしなければ。そう気持ちを引き締め、改めて気構えを取り直した時だった。唐突にエリックの隣の席へ何者かが断りも無しに着いた。周囲の動向に注意していなければならない仕事の最中だけに、エリックは思わず驚きで声を上げそうになる。
「こんばんは。またお会いしましたねえ」
 隣の席に唐突に着いたのは、あの昨夜の男だった。今日もまたマラカイが、それもあっさりと姿を現したのだ。ただでさえ彼が数年も所在が不明である事を聞かされているだけに、エリックの緊張感は極限まで跳ね上がる。しかし、緊張しているのを悟られる訳にはいかない。エリックは努めて自らの平静を取り繕い、自然体でいようとする。
「こ、こんばんは。ええ、またですね」
「いやあ、本当に牡蠣がお好きなようだ。また昨夜と同じ物を?」
「ええ、それはもう。体に良いとか悪いとかではなく、気持ちが満たされますから。ああ、好きなものだから満たされるのか」
 平素の会話が出来ているのか、自分を客観的に見る事が出来ない。そんな焦りを感じつつ、視界の隅へウォレン達を入れる。ウォレン達はこちらの様子にまるで気付いておらず、早急にマラカイの登場を伝える必要があった。しかし、下手な動きはマラカイに怪しまれる危険性もあるため、とにかく今は気持ちが落ち着くまで迂闊に動かず相手に話を合わせる事に終始することとする。
「それにしても、今年の牡蠣は小振りと言われていましたが。この店の牡蠣は案外そうでもありませんね」
「そうですね。確か養殖のものですから、何か餌が違うのかも。ああ、牡蠣は何を食べて成長するんでしたっけ」
「牡蠣はプランクトンで育つそうですよ」
「なるほど。セディアランドは水の綺麗な海域がありますから、その辺りでしょうかね」
 うまく世間話が出来ているか。エリックは逐一自分の言動を内心で気にしながら、自然な内容になるようマラカイへ合わせていく。それが功を奏したか、牡蠣の話題は思ったより盛り上がりを見せた。話が弾んだ事でエリックにもまた余裕が生まれてくる。
 そんな中、おもむろにマラカイが神妙な表情で訊ねてきた。
「ねえ、エリックさん。牡蠣はどのような所で良く育つか知っています?」
「どのような所ですか? それはやはり、水の綺麗な所でしょう」
「実は違うんです。良く育つのは、むしろ真逆。汚れた水の方が牡蠣は良く育つんですよ。そういう水の方が、牡蠣が好むプランクトンが多いらしいんです」
「汚い水、ですか。それを考えると、大きな牡蠣を食べるのは複雑な気分になりますね」
 まさに大ぶりな焼き牡蠣を食べていた所だったため、エリックは思わず苦笑いを隠せなかった。
「綺麗ではなく、汚い海域ですか。そうなると、あまり話題にはならない海域でしょうね」
「セディアランドですと、一つ代表的な場所があります。南西の海岸線に蜂の巣海岸と呼ばれる海岸があって、その地域は牡蠣の養殖でも有名ですよ」
「へえ、そうなんですか。名前からして、何か複雑な地形になっていて、海流が溜まりやすくなっていたりするんですか?」
「ええ、その通りです。そこはただでさえ南からの大きな海流が入り込んでいるのに、特殊な構造をした岸壁のせいで非常に流れが複雑に分岐していて。流れが滞っている場所もあり、そんな所の海水は濁っているように見えたりするんですよ。その割に妙に海流が強い所もあって危険なため、慣れた地元民でも近付かない場所があります。そういった意味では、海流を熟知している地元民でなければとても危険なため、牡蠣の密漁なんて気安く出来ないといったメリットがあります」
「なるほど。確かに、そんな複雑な海流の場所で潜るのは、かなりその辺りの海に慣れていないと無理ですね」
「そうです。一度強い海流に取られてしまったら、死体はなかなか上がって来ないんですから。今でも付近の海底にそういった死体が沢山沈んでいる、なんて与太話もあるくらいです」
 予想外に話が盛り上がって来ている。エリックは何となくマラカイと慣れ親しんで来たように思えた。今なら完全に油断しきっている。マラカイを確保する絶好の機会のはずだ。
 エリックはまたもさり気なく視界の隅へウォレン達を入れて様子を窺う。すると今度は、ウォレンもルーシーもこちらの状況に気付いているらしく、じっと視線を送っている。だがどういう訳か二人とも、この状況を見てもまるで緊張の色が見えなかった。むしろ、きょとんとした表情で遠目に見ている、といった雰囲気だ。