BACK
特務監察室の職務室へ戻ってきたのは、夕方を回った定時直後の時間だった。室内では室長が一人仕事をしていて、他に音のするものが一切無いせいでやたら物寂しく感じた。
「あら、お帰りなさい。どうでした?」
「ああ、いわゆる憑き物の類だったわ。人形を押収して、バラして保管庫に預けてきた。つー訳で、エリック。報告書は任したから、出してから帰れよ」
突然そんな事を振られ、エリックは目を丸くする。
「報告書も何も、書き方すら習ってませんよ。なのに任せるって」
「そんなもん、適当でいいんだよ。お前だって、日記の一つくらい付けたことあるだろ」
「日記と一緒にするんですか、そういうの」
そもそも、これまでもウォレンが報告書を書いていたとは思えない。そう思ったエリックは、視線をルーシーへと向ける。するとルーシーは、まるで狙いすましたかのように、無言の笑顔で一枚の用紙をエリックへと突きつけて行った。
「じゃ、お疲れ様」
それだけ言い残し、颯爽と帰宅してしまった。エリックは反射的に受け取ってしまった用紙を見てみる。それはどうやら、報告書のテンプレートのようだった。
「分からない事があったら、私が教えてあげるから何でも訊いてね?」
室長は人当たりの良い笑顔で、そうにこやかに微笑む。その毒気の無さに、エリックはつい声を上げる機をそらされ素直に頷いてしまった。
「さて、俺も帰るとすっかな。あ、室長。俺は明日はあれなんで」
「分かりました。終わり次第で構いませんよ」
「じゃ、後輩共をよろしく」
そう言い残し、ウォレンも足早に帰ってしまった。
「何ですか、あれって?」
「まあ、ウォレンさんも色々とお疲れなのよ」
何となくはぐらかすような室長の言葉に、これはあまり気安く踏み込んでいい話題ではない事を察する。しかし、彼の一体何処に疲れる要素があるというのか。エリックには甚だ疑問だった。
報告書の書式は思っていたよりも簡素で、ほとんどがあらかじめ用意された設問に回答を書き込むだけという、まるでアンケートのようなものだった。逆に、自由な記録を残させないような意図にも感じる。報告書とは、事実を正確に客観的に記録するものだと思っていただけに、この特務監察室の方針にエリックは戸惑いを覚えた。
さほど時間もかからず報告書を書き上げたエリックは、早速室長へと提出する。室長は一通り内容を確認し、笑顔で労いの言葉をかけながら受領印を押す。自筆によるサインを残さないのは、承認した人間にも匿名性を持たせているように思われる。
「そうそう、エリック君。キミの配属について、首相に問い合わせてみたんだけれど」
「え、本当に首相へ?」
「うちは首相直轄の組織だもの。それくらい出来るわよ。それで、キミの配属なんだけれど。やっぱり、書類のミスだったみたい。首相も公務でお忙しいから」
「ああ、やっぱり」
そうでもなければ、自分がこんな畑違いの所へ配属される理由が無いのだ。半ば嫌がらせ的に送られた訳ではない事の確証を得て、エリックの表情が俄かに綻ぶ。
「本当は、エリアスっていう人がこっちに来る予定だったみたい。何でも、武術が得意で体格も良く無口で度胸もあると評判だから、引っ張ろうとしたみたい。確かに、エリック君とはちょっとタイプが違うわね」
「その人は、今は何処にいるんです? 僕が配属されるはずだった所ですよね」
「財務省よ。首相の古巣ってところかしらね。流石に畑違いかと思ってたんだけど、彼って我慢強くて根性もあるっていうから、早くも馴染んじゃってるみたい」
財務省、正に自分の配属先に相応しい場所である。しかし、そこには自分と取り違えられた人間が配属された挙げ句、それなりに馴染んでしまっているという。エリックはこの聞かされた事実に、嫉妬心にも似た歯がゆさを覚えた。まるで自分の居場所を見知らぬ誰かに奪われてしまった、そんな感覚だ。
「そ、それで、僕はどうなるんでしょうか? その、本来のあるべき正しい配属先に是正するとか」
「うーん、他の部署ならそうなる所なんだけれど……。うちは何かと機密事項も多いし、そういうのは難しいわね。首相も現状維持が無難と仰ってるし」
「そうですか……」
薄々感づいてはいたが、既に自分は絶対に表沙汰に出来ない機密情報にどっぷり浸かっている身の上だから、そう簡単にはこの特務監察室からは抜ける事は出来ない。規則に従って、慣例に基づいて、そういったものは通用しないのだ。自分は生涯ここに属していなければならないのか。老後も国から監視されて生活する事になるのではないのか。エリックの想像する自身の将来は、たちまち闇に包まれていくような気がした。
「でも、エリック君も意外とうちに合ってると思うわよ。ほら、あの二人はちょっと個性的過ぎるから、丁度良くバランス取ってくれそうだし」
「体の良い調整役って聞こえますけど」
「いいじゃない、調整役。大事な役割よ? 社会は、この調整役で成り立ってるんだから」
そして、生涯あの二人に振り回され続けるのか。
今回の事件で押収した、あの人形。下手をすると、あれの方がまだ自分よりも自由なのかも知れない。少なくともあの人形は、自分で自分の目的を果たし、自分の境遇を自分で決めたのだから。