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馬車の中の空気は、これまでの軽いものから一転して重い沈黙に包まれている。ウォレンは無言で窓の外を眺め、ルーシーはセディアランドでは馴染みのない言語で書かれた本を読んでいる。そしてエリックは、担当刑事から戴いた人形作成者の資料に目を通していた。
車内と言うより三人の空気がこうなってしまったのは、この作者についての情報のせいである。あの人形の作者は一年前に死去しており、手掛かりらしい手掛かりは既に探し尽くした後だったからだ。自分達は観点の違う捜査をするため、新たな証拠が出ないとは限らない。しかし、大抵はそう都合良く新発見など起こり得ない。要するにウォレンとルーシーは、空振りに終わると分かりきっているにも関わらず、他に行く当てもない状況に辟易しているだけなのだ。唯一エリックだけが、何か見落としは無いのかと真剣に予習をしているのである。
しかし、二人の態度をあまりに見かねたエリックは、余計な世話とは自覚しつつも言及せずにはいられなかった。
「あの、二人とももう少しちゃんとしましょうよ」
「ああ? 何がだよ」
「ですから、調書の内容を読んでおくとか、捜査資料を確認し繰り返しにならないよう予習しておくとか」
「いいんだよ、別に。俺らの仕事は、死因を突き止める事じゃねえんだから」
そうウォレンは面倒臭そうに顔を歪め、追い払うように手を振った。昨日の件ではあんなに生き生きとしていたのに。もしかするとこの人は、頭脳労働となるとやる気がまるで出ないのかも知れない。そうエリックは思った。
「いや、今回はまさにそれでしょうに。被害者の本当の死因、それが果たして人為的なものなのか超自然的なものなのか。特務監察室って、そういう部署なんじゃないんですか?」
「お前はさ、今言った超自然的なものについて、まさか明確な理由を突き止めるつもりでいるのか?」
「え? それは……切り分けとしては大事だと思いますけれど」
「そもそも、俺らの仕事自体をお前は勘違いしているぞ。俺らの仕事は、世の中には怪力乱神は存在しないんだと思わせる事だ。今回の場合は、その死因は他に波及していかないものかを確認し、もしそうだったらこれを潰す。それだけの事なんだ」
「じゃあ、どうしてさっきからだらけてるんですか?」
「そりゃお前、別段面白くなりそうもないからだろ。あの人形がガイシャを殺した犯人で、作者は既に死亡済み。そして同様の事件は今日まで起こってねえなら、拡大する危険性はないってことなんだよ」
「せめて、模倣される危険性があるものなのかどうかくらい、危惧しておきましょうよ」
「おお、確かにそれもあるかもな。よし、そこら辺はお前に任せた」
なんていい加減な人達なのか。エリックは平然とそんな事を答えるウォレンに、溜め息をつかずにはいられなかった。本当の業務内容を表沙汰には出来ない特殊部署であるから、そこにはそこなりのこだわりや誇りがあるものだと思っていたのだが。まるで、貧乏籤を押し付けられた広場のゴミ拾い役のような態度である。業務内容は元より、ここに居続けたら人間的にも駄目になってしまう。そうエリックは危惧する。
「あった、あった。多分これですよ」
不意にルーシーが声を上げながら、自分の読んでいた本の一頁を見せてきた。
「ああ、そうだな。多分それだ」
「ちゃんと見て下さいよ、先輩も。だから彼女が出来ても長続きしないんですよ」
「うるせーな。それは関係ねえだろ」
渋々本の方へ向き直るウォレン。エリックも同じようにルーシーの本へ視線を向ける。しかし、次の瞬間にはエリックは表情をしかめた。本の内容はタイトル同様に、まるで馴染みの無い言語で書かれていたからだ。
「これ、どこの言葉ですか? まるで読めないんですけど」
「エルバドール語ですよ。伝統的に、こういう魔術的なものを神聖視する国ですから、資料になる本が多いのです」
「ルーシーさんは、そのエルバドールの言語に詳しいんですね」
「そーよ。私、移民の二世だもん」
エルバドールは、セディアランドの近隣に位置する新興国である。かつてはセディアランドと戦争もしたらしいが、近年ではつかず離れず程度の国交がある国だ。楽天的な国民性だと聞いたことがあるが、その移民ならばルーシーのセディアランド人らしからぬ性格も納得が出来た。
「で、これなんだけどね。物に感情を吹き込む、って感じなのかな? 要するに、自分の下僕に近い物を作る魔術なの。今回の件って、なんかコレと似てるんだよねえ」
ルーシーの指し示すページには、木製の人形を何かを炊いた煙で燻している挿し絵が載せられている。言葉は読めなかったものの、これがその物に感情を吹き込む儀式なのだろうか。
「似てるって、どういうところがですか?」
「下僕を作るって言っても、基本的な利用方法は暗殺とか人を殺す手段に偏ってるって事ですよ。正の感情を吹き込めば大人しいのになるんでしょうけど、こういう物を作る人間の傾向としては、恨み辛みのような負の感情がほとんどって事です」
「つまり、慈しみよりも憎しみの方が作成の動機になりやすいって事ですか?」
「そういう事だね」
そしてエリックは、すかさず捜査資料をめくる。そして、被害者と製作者との接点について一つの項目に着目した。
「人形の製作者、ワームという男についですけど。被害者には個人的な借金があったようですね。大分酷い取り立てもあったようですし、もしかしてその事を恨みに思って? となると、ワームには魔術的な心得があったのかも知れませんね」
「んー、それは無いと思うなあ。っていうか関係ないし」
「え、どうしてですか?」
「結局魔術なんてものは、文字通りの儀式でしかないのよ。大事なのは、感情なんかのエネルギーを正しく制御すること。人間って、何か焦点があればそこに集中しやすくなるでしょ? それと同じ事」
「つまり、別に魔術的な心得が無くても、同様の事は出来る?」
「そゆこと。セディアランド人は、その辺り分かってないんですよねえ。信じる信じないに限らず、人間の強い感情ってのは理屈に合わない事を引き起こすものなんですから。そのくせ、それが良い事の時に限って奇跡だなんだって持て囃すし。加護も祟りも、根っこは同じなんですよ」
ルーシーの個人的な論理はさておき。何かしら強い気持ちがあれば、動く人形を作る事が出来る。もしもこれが事実なら、確かに今回の事件は殺人課の見立て通り人形による殺人事件だ。しかし、やはりエリックには人形が自ら動き出して憎い相手を殺すなど、到底真に受ける事は出来なかった。むしろ、そういった怨念があるからこそ、人形に何か悪意に満ちた仕掛けを施して殺したのではないか。そう考える方が遥かにしっくり来る。
仮に、そんな非科学的な事が起こり得たとして。ワームは強い恨みを人形に込めた。そしてそれが結果的に人一人を殺める事になった。人間誰しも同じ事が出来る素養を持っていると言うのなら、この件を調べたところで今後について何ら抑止力にもならないのではないだろうか? 人に、人を恨むなと幾ら説いた所で、人間は恨みという感情を捨てる事など無理なのだから。