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今日のラウンジは比較的風が強く、俺達以外に人影はほとんどいなかった。そのため、少々込み入った話でも、これならばまず盗み聞きされる心配は無い。
俺達は特に席を吟味せず、空いていた一画のテーブル席へ着いた。それを見たウエイターがすかさず注文を伺い、程なくしてコーヒーを二つそれぞれ並べる。彼らは普段は隅の方で待機しているが、こちらの話にわざわざ興味を持つ事はない。仕事から立ち位置まで、きちんと教育がなされているように思った。
「アーリン様の件、聞いていますよ。また、随分と大胆な事をされましたね」
「若気の至り、とは思ってはいません。ああしなければ、彼女は納得しない性格なので」
「彼女なりの義侠心だったのでしょう。ですが、読み違われたようですね。今回の入札額は、我々企業側がほとんど決めたようなもの。それに、企業がリスクヘッジをするのは当然の事。クワストラ国が少数民族との対立問題を抱えている事は初めから知っていますし、今更土地問題を持ち出して来た所で、ほとんど入札会に影響する事はありません。そもそも、そういった問題の大半は、最悪金で解決出来ますからね」
デリングの見解は、俺の見立てとほぼ同じだった。そう、幾ら正義を振りかざした所で、彼ら企業側はそれくらいのリスクを初めから折り込み済みで計算しているのだから、計画が揺らぐ事は無いのだ。それに、金で解決出来る問題というのは、非常にリスクが低い。買収、政治的圧力、若しくは武力で片が付く程度の問題という事だからだ。
「アーリン様には、少々苦い経験となってしまったようですね」
「若い内は、かえってその方が良いでしょう。年を取ってからでは、何の教訓にもならないばかりか性根を腐らす原因になりかねないので」
そうかも知れません、とにこやかに相づちを打つ。それを見て、如何にも取って付けたような笑顔だと俺は思った。それが、彼ら営業職の性なのかも知れないが。
「話は変わりますが、あなたには幾つか確認したい事がある。今、込み入った話をしても構いませんか?」
「どうぞ、御随意に」
あっさり承諾するデリングの笑顔には、ある種の余裕すら感じる。既に仕事は終えた、その現れなのだろう。
「あなたは、ただ入札会に参加しただけではないのでは? 率直に言って、レイモンド商会やスタインベック社、それにクワストラ政府とも何か裏取引をしたように思います」
「随分と曖昧な物言いですね」
「物証が無い以上、そうとしか言えないので」
「まあ、そうでしょう。けれど、特に私も否定する理由はありません。ええその通り、お察しの通りです。ただ、私が主幹にしていたのは、あくまでクワストラ政府、サハン外務相閣下だけです」
「それは、ホルン商会として? それとも、あなた個人としての付き合いですか?」
「半々でしょうか。閣下の工作を成功させるため、個人的な付き合いを経て、私の仕事に対する見返りを会社へ戴いた、といった所です。もっとも、私自身も会社から相応の賞与と待遇を戴きますが」
サハン外務相は何らかの企みがあり、それを実現してくれそうなのがたまたまデリングだった、という所だろう。個人的な付き合いになるまでが営業努力となれば凄まじい執念に思えるが、平素のデリングはそういった汗臭さを感じさせない振る舞いのため、どうにも印象と繋がらない。
「それで、具体的には何をしていたのです? アーリンをだしに使ってまで、随分と強引な立ち回りもしたようですが」
「サイファーさんは、ベルデナン共和国を御存知ですか?」
そう問われ、咄嗟にクワストラ国周辺の地図を脳裏に浮かべる。アクアリアの出発前に地理を一通り頭に入れておいたおかげで、ベルデナン共和国の名前はさほど苦労せずに思い出す事が出来た。
「確か、ここクワストラ国の南西部と地続きの隣国でしたね。クワストラに似た政情の、やや軍拡傾向にある国」
「ええ、そうです。詳しい歴史的な経緯は取り敢えず置いておいて、そのベルデナン共和国ですが、実はサザンカ商会と非常に懇意の仲の国なんですよ。もう四半世紀に渡り、ベルデナン政府の様々な事業を受注し、国の繁栄そのものに協力していると言っても過言ではありません」
それは、セディアランドとレイモンド社の関係に似ている。こちらは他国の企業ではなく、セディアランドに古くから存在する老舗の大企業という違いはあるが。
「御存知の通り、今回の入札会にはサザンカ商会も参加しています。そしてクワストラ国とベルデナン共和国には、今も国境線付近に細かな火種が幾つも散らばっている。サハン外務相閣下はこう危惧されていました。サザンカ商会に我が国の主幹事業を握られるのは、隣国ベルデナン共和国に握られるのも同等だと」
「それで、あなたの出番という訳ですか」
「その通りです。サザンカ商会は不測の事態というものを非常に嫌がる。言葉は悪いのですが、考え方が固く、臨機応変に即断即決出来ない社風です。その上、金払いが非常にけち臭い。ですので、私はそこに漬け込み、サザンカ商会が嫌がる流れを作りました。レイモンド商会とスタインベック社の協力も得て。彼らに協力を要請した所、即決して頂けました。なんせ、サザンカ商会の取り分だった筈の事業権を、自分達が落札出来るのですからね」
国防的な障害となるサザンカ商会に落札されるくらいなら、レイモンド商会やスタインベック社に受注して貰った方が都合が良い。それが、サハン外務相の考えなのだろう。それに、サザンカ商会からの心象など気にかける必要はない。
「それで、ファルス市の地権問題の件を利用した訳ですか。アーリンに首を突っ込ませ、朝食会で不安を煽らせて」
そして、この計画にはサハン外務相も絡んで来ている。そもそも、アーリンが絡むのはおかしな展開だったのだ。一閣僚とあろうものが、ただの小娘にあんな事件の聴取を任せるなんて。
「排斥派の彼らがあんな事件を起こしたのも、あなたの差し金ですか? 今考えても、状況が出来過ぎているとしか思えない」
「まさか! 私が彼らと付き合った所で、何もメリットはありませんよ。あの政務官が殺された件は、単なる偶然です。たまたまそれを、うまく利用させて貰っただけですよ」
本当にそうだろうか。俺はデリングの答えを訝しむ。メリットは無いとは言ったが、入札会が荒れて少しでも入札額を控える動きがあれば、得をするのは中小企業だ。ホルン商会を少しでもねじ込むため、それぐらいしてもおかしくはないのではないか、そんな邪推すらしてしまう。
「それで、ホルン商会は何が見返りに得られたのですか?」
「大まかに言いますと、バラクーダ市の港の半分です。実質、我が社が独占的に利用出来るようになるんですよ」
そう言えば、ホルン商会は不凍港を欲しがっていると、以前にデリングは言っていた。普通に考えて、北方の小企業に港の運営権など与えられる筈がない。デリングにとっては、不凍港を手に入れるためには、ここまでしなくてはいけなかったという事なのだろう。