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 執務室へ戻ると、サハン外務相は相変わらず机に向かって仕事に勤しんでいた。既に夜も日付が変わろうかという時刻にも関わらず、大量の書類を積み上げてペンを走らせる姿に陰り一つもない。入札会関連の業務だろうが、それだけに彼のこの事業に対する熱意が窺える。
「閣下、お仕事中に失礼いたします」
「やあ、構わないよ。丁度一息入れようと思っていた所だ。君、お茶の用意をしてくれたまえ」
 そう部下の一人に言い付けると、サハン外務相は席を立ち、応接スペースのソファーへ移り、俺達を対面のソファーへ促した。相変わらず、サハン外務相の周囲と俺達の背後には屈強の護衛役が張り付いており、疲れ一つ見せず、まるで石像のように眉一つ動かす事無く周囲に警戒をしている。こうも緊張しっ放しでは、警護する方もされる方も気疲ればかり起こすのではないだろうか。そんな心配さえしてしまう。
「それで、あの男は何か話しましたかな?」
「ええ。まず犯行の動機ですが、あのファルス市にあるようです」
「なるほど……やはり、あの絡みか」
 サハン外務相はアーリンの報告に、いささか渋い表情を浮かべ軽く俯ける。
「何かご存知だったのですか?」
「やり方が、例の過激派や外国人排斥派にしては、手緩いと思ったのでな。連中の主張通りなら、まず会場に集まっている各企業の代表や名士達を襲うだろうからな」
 バラクーダやファルス市でも度々耳にしているが、このクワストラには外資流入に反発する団体が少なからず存在する。彼らは自国から外国人を追い出すためなら、手段を一切選ばないのが特徴だ。確かに、あの時会場に乱入してきたのが彼らなら、襲われるのは政務官ではなくて我々の方だった筈である。
「彼は、ファルス市の土地の返還を求めています。それに応じなければ、更に政務官を殺すそうです」
「そうは言っても、自分は牢の中だろう?」
「協力者、つまり同じ一族の人間が、他にもファルス号へ乗船しています。きっと、彼らを使うのでしょう」
「やはり、そういう事か。念のため、疑わしい者は全て船底に拘束しておいて良かったよ。このタイミングで、これ以上の騒ぎは避けたい所だからね」
 サハン外務相は既に、何名かの政務官や兵士達を船底に拘束している。つまり、初めから犯行目的と犯人の正体を知っていたのだ。俺達の聴取は、単なる確認にしか過ぎなかったのだろう。
 しかし、それもまた完璧な対応ではない。共犯者が全て拘束出来ている訳ではないのだ。現に、俺達を船底に案内したあの政務官も、自ら犯人と同じ一族である事を自ら話していたのだから。
「君はどう思うかね? 犯人も共犯者も残らず捕まえた。これで解決にはならんかね?」
「僭越ながら、申し上げさせて頂きます。現状までの対応では、不充分かと思われます。共犯者が何名いるのか、正確な数字が分からない以上は、幾人か紛れ込んでいると前提にしておくのが無難と思います」
「共犯者の完璧な除去は不可能、という事かね。まあ、尤もな意見かも知れん。口先だけでは、幾らでも騙くらかす事の出来る人間はいるのだから」
 ふと会話が途切れた頃、先程言い使ったお茶を政務官が持ってやってきた。ワゴンでポットに茶葉と熱湯を注ぎ、しばし置いて蒸らした後、金模様の入った独特のデザインのカップへ注ぐ。
「クワストラは、茶葉も名産の一つでしたね」
「こればかりは、荒れ地でも育ちやすい。まあ、他に栽培するものが無かったと言うべきかな」
 アーリンは目の前に出されたカップへ角砂糖を一つ入れ、軽くかき回した後でゆっくりと口へ含んだ。一方、サハン外務相は自分のお茶を傍らの警備兵に一口飲ませた後、そのまま砂糖を入れずに飲み始めた。
「毒にも警戒されているのですか?」
「我が国の父祖は、陪臣に毒を盛られて死んだ、という言い伝えがあってな。極端に毒を気にするのは、伝統のようなものだよ」
 例え信頼出来る部下であっても、毒殺の危険性だけには十分な備えをしているのだろう。ただ、実際にまだ共犯者が側近にいる事で、毒殺の可能性は現実的ではある。もっとも、多少の知恵があるなら、サハン外務相を毒殺するのは目的達成には正しくない選択である事が分かるはずだ。もしそんな事をすれば、クワストラ政府は自らの面子のために、決して譲歩をしなくなる。
「さて、何の話だったか。ああ、そうだ。それで君は、どのようにするのが現状にとって最善であると考えるかね? 若者の意見も参考にしたい所だ」
「犯人側は、クワストラ政府の弱味、自分達に対する負い目の事実を公開するか否かが最大の武器だと思っています。それが、実際は何の威力もない物である事を知らしめるのが良いと考えます」
「ほう、ファルス市の土地の件は、政府にとって交渉の材料にならないと示してやるのかね。具体的にはどうやって?」
「ファルス市の件、参加企業の有力な会社だけで構いません、公開してしまいましょう」
 ほう、と声を漏らすサハン外務相は、意外な意見だったのか目を丸くした。
「当方としては、そういった大企業に離れられる方が痛手になるのだがな」
「公開したとして、まず入札会を辞退することはありませんよ。彼らにとってクワストラの資源はそれだけ魅力的ですから。それに、クワストラ政府が公式に認めない限り彼らも、それが事実であると認識している、という見解に徹するでしょう」
「ならば、全ての企業に公開した方が平等ではないのかね」
「入札会は、ほぼ各企業の資金力で結果が決まります。それを快く思わないのは、資金力に乏しい中小企業です。このネタを利用し、要らぬ裏工作を仕掛ける危険がありますから」
 なるほど、とサハン外務相は納得の表情を浮かべる。アーリンの意見に一定の説得力を感じたようである。
「いや、恐れ入った。お若いのに、実に聡明だ。貴重な意見に感謝するよ」
「若輩者の意見、お耳汚しでした」
「とんでもない。むしろ、君の案を採用させて戴こうと思う」
 まさかサハン外務相が乗ってくるなんて。俺は思わぬ展開に、驚きの声を上げそうになった。アーリンの素人考えなど、どうせ一蹴されるに決っていると高をくくっていたのだが。
「私に出来る事でしたら、何なりと。精一杯、お力添え致しますよ」
 アーリンはさも嬉しそうに即答する。自分の思惑通りに事が進んだ、一国の閣僚に貸しを作る事が出来た、そんな事しか考えていないのだろう。
 ラサ達一族をこの一件から手を退かせるため、どの企業も少数民族の土地問題に興味は無く利益優先だという事実を、はっきり認識させるのはいい。ファルス号での殺人は一時的にでも止まりはするだろう。だがその方法は、彼らの怒りの矛先が外国人へ直接向けられるのではないか、そういう危惧があるのだ。