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ほぼ光の入ってこない船底の廊下を、俺が先頭に立ってランタンで照らしながら進んでいく。途中に見えるのは倉庫の扉ばかりで、いずれも鍵が掛かっている。鉄格子の中の更に施錠された倉庫という事は、中に保管されているのは食料品などではなく、貴金属や美術品などの高価なものだろう。ただ、このファルス号は長く使われていなかったそうだから、あくまでそれを想定して設計されているだけで、実際は使用はされていないと思われる。
「なかなか見えてきませんね」
「ファルス号の全長は、昨日我々が滞在したホテルよりも大きいそうですよ。大体中央付近から降りてきましたから、もう間もなくだと思います」
犯罪者等を一時的に拘束する拘置所は、船体の先端部に近い所に設けられている。これはクワストラが建造する船にはよく見られる仕様で、船の先端部は最も磨耗し破損しやすいため、緊急時の救出で最も優先度の低い者を置いておくという考え方からきている。セディアランドの場合は、船の先端こそ最も頑丈に作るため、国の文化による設計思想の違いと言えるだろう。
「どうやら、あれのようです」
それから間もなく、廊下の突き当たりに辿り着いた。そこには如何にも堅牢で飾り気のない、大きな鉄の扉があった。小さな覗き窓が一つと、鍵代わりの大きな閂が二つ付いている。船の牢を見たことは初めてではないが、今まで見てきたものの中で最も堅牢かつ、おどろおどろしい雰囲気を放っていた。
「私が確認しますので、そのままで」
俺は二人を離したまま扉へ近付いた。丁度目の高さにある覗き窓から、ランタンをかざしながら中の様子を窺う。牢の中は、全面が鉄板張りで隙間一つ無いような空間だった。そして、奥の壁には手錠のついた鎖が何本も壁から吊されている。その中の一つに、件の犯人らしき男が繋がれていた。目立った外傷は無いが、酷く憔悴しているように見て取れる。恐らく、捕まってからずっとあのまま繋がれていたのだろう。
「ひとまずは大丈夫そうです」
「では、早速中に入って聴取を行いましょう」
アーリンの言葉に従い、まずは扉の閂を外す。扉を開けると、まず先に俺が入って犯人との間に立ち、アーリンとデリングを慎重に入室させる。
「……誰だ?」
俺達の入室に気付いた犯人は、ゆっくりと頭を上げてこちらを見る。薄暗さで表情まではよく分からないが、おおよそ友好的なものではない事だけは確かだ。
「私は在アクアリアのセディアランド大使、フェルナンの娘でアーリンと申します。今回は父に代わって参加させて頂いております」
「セディアランド……クワストラ政府の人間ではないのか?」
「はい。依頼されたのは、サハン外務相閣下ですけれど」
犯人の男は、少し唸りながら吊された格好になっている腕を揺すり、可能な限り姿勢を変える。長い間そうしていたせいか、関節が凝り固まって痛んでいるようだった。
「要件は何だ? 俺の聴取をしに来たのか?」
「それもあります。ただその前に、気になる事が」
「何だ?」
「この船には、あなたの協力者がいますね。それも複数名」
「ああ、そうだ。正確な人数は黙秘するが、二人三人ではない」
「あなたと同じ一族の方?」
アーリンがそう問うと、男は一旦息を飲んだ。
「誰から聞いた?」
「サハン外務相付きの政務官の方です」
「そうか……ならば、信用してもいいだろう」
そんな二人のやり取りを見ながら、俺は男の態度に違和感を覚えた。人を殺し、その聴取となれば、普通は自らの罪を少しでも軽くするために言い訳を並べるか、若しくは神妙に罪を認めるかのどちらかだ。しかしこの男からは、そういった雰囲気が感じられない。己の殺人よりも、何か他に別の目的がある、そんな言い草だ。
「そこの男、ファルス号入港の時に港へ来ていたな」
「ああ、そうだが」
「俺の顔を、照らして良く見ろ」
そう言われ、取りあえず俺は慎重に近付き男の顔にランタンの明かりを直接当てる。薄暗い中では、それでようやく男の顔がしっかりと確認出来た。
「お前は……」
ランタンに照らされた男の顔を見て、俺はあの港での一件を思い出した。この男は、ファルス号のドッグに侵入し船大工に追いかけられていた、あの男だったのだ。
「思い出したか」
「ああ。ファルス号に落書きをして、船大工に追いかけられた男だ」
それが何故、この船に密航した上、一人の政務官を公衆の面前で殺したのか。問題はそこである。
「あなたのお名前を、教えて頂けますか?」
「俺の事はラサとだけ、呼んでくれればいい」
「それでは、ラサさん。率直にお訊ねしますが、あなたがあの政務官を手に掛けた理由は何でしょうか?」
「あれは、一族の裏切り者だからだ。一族の誇りを汚した上に、クワストラ政府にへつらった、その報いを受けて貰った」
「裏切り者とは?」
「お前達も知っている、あのファルスという街だ。あれは元々、我々一族郎党の土地だったのだ。それをクワストラ政府が、力ずくで奪い取った。もう随分昔の話だが、我々は誰も一日たりとも忘れた事はない」
「彼は具体的に何をしたのですか?」
「内通だ。こちらの情報を全てクワストラ政府へ流していた。それさえなければ、我々一族郎党はクワストラ政府の軍などに負けはしなかった」
ファルス市は、元々ファルス号の建造のためだけに作られた街で、その名前も船の進水式の後に付けられたものだ。彼らの一族とやらが、本当にクワストラ政府軍と戦って勝てたのかはさておき。つまり彼の主張とは、彼ら一族はファルス市が出来る前からあの土地に住んでいたが、クワストラ政府の事業のために強制的に追い出された、といった所だろう。
「もしかしてラサさんは、この事を公にしたいのですか?」
「それもある。だから俺の話は、クワストラ人以外の、それも出来るだけ発信力があり、商会の連中に流されないような人間に聞かせたい。お前の人柄までは知らないが、義のある者だと信じたい。今の話は外務相に規制されるだろうが、構わず公表して欲しい。特に、明日の入札会に参加する大手企業や商会の人間の耳には、必ず入れて欲しい」
「クワストラ政府の悪評を広げる、つまりあなたは今回の入札会を潰すお考えですか?」
「それだけではない。クワストラ政府の悪行を世間に知らしめる事で、我が一族と政府との交渉の糸口を作り出す。そして和解条件として、あの先祖伝来の土地を返却させるのだ」
「今の発言、私がサハン外務相に従って公表しなかった場合、あなたはどうするのですか?」
「入札会が始まるならば、また政府関係者を殺す。知っているだろう、この船には俺以外にも一族の人間が多数乗船している事を」