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便宜を図る。それは極めて、個人への利益誘導に近い。
そもそもアーリンの目的は、クワストラへ来た公務と大きくかけ離れている。他国の事件に首を突っ込み事情聴取に介入するなど、自治権を侵していると言われても仕方のない事だ。はっきり言って、百害はあっても、何一つセディアランドの利益にはならない。
しかし、
「閣下がこのように申し出て下さっているのですから、私共も出来る限り協力致しましょう。宜しいですね?」
大義名分を得たためか、アーリンが得意気な表情で俺の方を見る。幾ら要請されたからと言って、それを引き受けなければならない理由はない。だが、御機嫌伺いが仕事である以上、断る理由も無いのだ。
「そういう事であれば」
お目付役とは言え、一秘書官の立場としては、この場はそう答えるしかない。俺は大人しく引き下がる。
「それでは、このような夜更けではありますが、早速初めて貰えますかな。今、案内をさせましょう」
そう言ってサハン外務相は、一度柏手を打つ。すると、部屋のすぐ外に控えていた先程の政務官が恭しくドアを開けて現れた。
「お二人を例の場所へ」
「かしこまりました」
政務官は丁寧な仕草で俺達を部屋の外へ促す。アーリンはサハン外務相へ軽やかに一礼し、退室する。俺もその後へ続いた。
「ああ、如何でしたか?」
執務室を後にすると、拘置所へ向かう我々に早速デリングが歩み寄って来た。律儀に待ち続けていたようであるが、今見せるその態度は興味本位のそれに見えた。
「あら、デリングさん。どういたしましたの?」
「ええ、何やら一大事のようですから、微力ながらお力添え出来ないかと思いまして」
随分と調子のいい事を言う。俺はデリングなど帰してしまいたかったが、アーリンが好意的にしている以上は出過ぎた真似になってしまうため、ひとまずは様子見だけに留める。
「あの厳重ですけど、デリングさんの仰った通りでしたよ。それで、これから聴取を行います」
「アーリン様がですか? ああ、なるほど。女性にならば、もしかすると口を開くかも知れませんからね」
それはある視点では正しいかも知れないが、女性の政務官ならクワストラにもいる。重要なのは、拘束されている犯人が外国人をわざわざ指名している事だ。犯人がクワストラ人を信用していない、とならば筋は通る。だが、そうなるに至った経緯が問題だ。場合によっては、かなり面倒な事態に巻き込まれやしないだろうか。そんな危機意識も、アーリンは恐らく持っていない。
特に誰も指摘しないせいか、デリングはさも当然の用に我々の後を付いてくる。先導する政務官も特に何も指摘せず、淡々と廊下を歩き、船底に向かって階段を二つ降りる。そこまで来ると照明が少なくなり、フロア全体が非常に薄暗くなった。政務官はランタンを手に、更にその薄暗い廊下を進んでいく。
「こちらです」
しばらく歩いていると、前方に廊下一面を丸々仕切る巨大な鉄格子に行き当たった。それは丁度、刑務所でエリア分けをする所の構造に似ている。政務官は取り出した鍵束から一つ鍵を取り出し、鉄格子を開錠して開く。俺達は促されるままに、その鉄格子の向こう側へ入った。
直後の事だった。すっかり注意が廊下の先に移り、薄闇の広がる廊下の先を凝視していると、突然背後の格子が閉められ、間髪を容れず施錠されてしまった。
「何ですか、一体!?」
慌てて鉄格子を掴んで引くものの、施錠された格子はまるでびくともしなかった。
「これは、私共の独断です。危害を加えようという物ではありませんので、どうか御容赦願いたい」
そう政務官は慇懃に一礼する。しかし、それだけでは当然何の意図なのか、皆目見当がつかない。そもそも、その私共というのはどういった括りなのかも曖昧だ。
「理由を説明して頂きたい。彼女がどのような人間なのか、今更知らない訳ではないでしょう」
「アーリン様が、セディアランドの大使代行である事は存じております。各国への影響力も凄まじいものがあるでしょう。それを見込んだ上でのお願いです」
「お願い? 我々は、私的な利益供与には組しない」
「我々一族郎党、たっての願いです。どうか、平に、平に御容赦頂きたい」
態度こそ慇懃で、我々に対する敬意すら感じられる。それだけに、この強引で卑怯とも言える騙し討ちには、怒りよりも困惑の方が大きかった。サハン外務相とは全く無関係な何者かの指示による事のようだが、相手の正体が分からないままではこちらの取るべき姿勢も決める事が出来ない。
「事情は説明して頂けるのですね?」
困惑する俺とは裏腹に、アーリンは普段の公務さながらの落ち着いた口調でそう訊ねた。
「私からは申し上げられません。我々一族の事は、あの者に託しておりますので」
「そうですか」
それだけを簡潔に答えると、アーリンは踵を返し、廊下の奥を向いた。
「では、サイファーさん。参りましょうか。そこのランタンをお願いします」
「あ、ああ。しかし、いいのか? 大人しく従う理由はないし、無条件で従った前例を作るのもあまり良くはない」
「サハン外務相閣下から、私へ直々に要請があったのです。その私の身柄に何かあれば、直ちに対応する筈です。それよりも、要請された事を対応しましょう。その方が心証も良くなりますし、後々交渉もし易くなります。私達は、貸しを作った側なのですから」
進んで火中の栗を拾う、という事になる。殊勝な言い分にも、外交的な駆け引きにも思える。ただ、それは所詮は父親の真似事にしか過ぎず、本当に対処しきれるのかという不安は否めない。それに、発端はこちらからの一方的なクワストラへの接触にある。額面通り受けられるものではない。
「デリングさんは、巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」
「いえいえ、とんでもない。良い土産話が出来ましたよ。アーリン様とこのような経験を詰めるのは、またとない機会です」
デリングは一つも慌てる事なく、普段通りの朗らかな口調で返す。おそらくは、本当に言葉通りにしかこの状況を思っていないのだろう。
分からないのは、この男だ。進んで厄介事に首を突っ込んで、このような事態に見舞われても少しも慌てる事がない。一体、何を企んでいるのだろうか。レイモンド商会を身近で見ているから分かるのだが、損益が生業の人間は、本当に打算だけで行動が出来るのだから。