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「噂には聞いていたけどね、君は少々真面目過ぎるよ」
 ヤーディアー大使は、酒が回って紅潮を始めた顔で、そう得意気に持論を展開する。俺は半分程中身の残ったグラスを持ちつつ、ただただ彼の話に時折相槌を打っていた。
「何も、君が悪いという訳じゃない。先輩が君を引き抜いた理由は良く分かる。あの人は、多少反抗的な人材を好むからね。けれど、清流に魚は棲まないと言ってね、人間何事も気を緩める事が必要なのだよ」
 俺は、酒を飲むついでのほんの話し相手に呼ばれた筈だったが、何故かヤーディアー大使の説教じみた話を懇々と聞かされている。特に不始末など見に覚えはないが、大方酒が回ると説教を始めるタイプなのだろう、たまたま話しやすそうな俺が目に留まり、スイッチが入ったように思われる。あまりに一方的で理不尽だとは思うが、他国の外交官や企業に絡まなかった分マシだったと思うしかない。
「ですが、彼までもそのようになってしまったら、せっかくの持ち味が無くなってしまうのではありませんか? それではフェルナン閣下も、彼を雇う意味が無くなりますよ」
 そう調子を合わせた口調で、デリングはヤーディアー大使のグラスへ酒を注ぎ足す。まるで太鼓持ちのような調子の良い振る舞いは、愛想とは無縁な自分にとってやっかみもあり、あまり気分の良い光景ではなかった。だがヤーディアー大使はさぞかし気に入ったのか、より上機嫌となって笑い声を響かせる。流石に悪目立ちするのではと周囲を警戒するものの、何処も似たような景色ばかりで、傍に控えているサーブラウが如何にも作っている無表情で佇んでいるのが印象的だった。
「うん、そうだ。確かに、物分かりの良すぎる人間なんて、面白くとも何ともないな。少しは反骨心という物を持たなくては、人間あっという間に年老いてしまうよ。ん? そう言えば、この酒、随分と美味いな。何処の酒だ?」
「私が個人的に持参した、リンデルランドの地酒です。我が国は世界でも有数の水源地で、そこの水で作った酒は世界中に愛好家が居ります。閣下も、何時でもホルン商会へお申し付け下さい。直ちに、最上の一本を納めさせて頂きますよ」
「そうか、リンデルランドか。あそこの酒は美味いと、私も前から聞いていたよ。いやいや、これは良い機会だ」
 上機嫌に笑うヤーディアー大使とデリング。しかし俺は、内心冷や汗が出そうだった。この事を本国の外務省が知れば、ただちに密偵を差し向けるやも知れない。そして調査の目は、関わってしまった俺やフェルナン閣下にまで及びかねないからだ。
 何にせよ、デリングはホルン商会へかなりの貢献をしたようである。そして、その片棒を担いだのは他ならぬ俺自身だ。
「ほら、サイファー君。君ももっと飲みなさい。どうせ当面の間は帰港なんかしないんだ、今からそんなに気を張っていては体が持たないよ」
「はあ……それでは」
 ヤーディアー大使に促されてグラスを傾けるが、正直なところほとんど味など分からなかった。単に好みの問題というよりも、とても落ち着いて酒を飲める状況ではない事が大きい。大使は嫌な事は一時でも忘れたいだろうし、公務も手に着かない状態だろう。だが俺のような下っ端などは、何時何が起ころうとも対応出来るよう常に警戒しなくてはいけない。そんな緊張状態で飲む酒など、例えどんな名酒であろうとも美味い筈が無いのだ。
「しかし、早いところ犯人が捕まってくれないものかね。共犯だの何だのあるけれど、要は体面の問題だろう? 実行犯一人捕まえれば、後はどうとでも言い繕えるし、我々も解放される。そうは思わないかね?」
「ええ、その通りです。ですが、もう少々声を抑えて下さい。クワストラ兵も居る事ですから……」
 酒の回ったヤーディアー大使は、ますます言葉に遠慮が無い。声量も潜めようという感じがしなくなってきた。仮にも一国を代表する大使が、外遊先で酒に飲まれ失言をするような事をする筈がない。恐らく、酔った振りでクワストラを牽制しているのだろう。不当に長く留めるなら抗議の準備がある、もしくはもっと露骨に、相応の対価を用意しろ、といった所だろう。外交の基本とは言え、やや気が咎める所だ。
「犯人も、大人しく出頭すれば良いものを。どうせ湖のど真ん中なんだ、逃げ場など無いというのに」
「彼にも、何かしら矜持があるのでしょう」
「なら、矜持の方向が間違っている」
 デリングの話では、既に実行犯はクワストラ政府側に捕らえられているという。まだ正式な発表は無いが、聴取に目処がつけば直になされるだろう。だが、速報でも発表しない点は些か気に掛かる。クワストラ政府にも、何かしら事情があるのかも知れない。
「君もそうは思わんかね? ん? おや、アーリンは何処だ?」
 おもむろに話を傍らのアーリンへ振るヤーディアー大使、しかしそこには彼女の姿は無い。ヤーディアー大使の受け答えばかりに気を取られていた俺は、そこで初めてアーリンが席を立ってしまっている事に気が付いた。
「サーブラウ君、彼女は何処へ行ったのかね?」
「つい先程、離席されました。化粧を直すとかで」
「正確にはどれくらいだね?」
「三十分程です」
 お手洗いに三十分は、幾ら何でも掛かり過ぎではないだろうか。そう訝しんだ直後、自分がホルン商会の酒を飲んでいる事に気が付き、ある予感が脳裏に閃いた。先程の、デリングが内々に打ち明けたオフレコ話を思い出す。
 まさかアーリンは、サハン外務相の元へ向かったのではないだろうか?