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ファルスの街並みは直に歩いてみても、昨日馬車から見た時とさほど印象は変わらなかった。クワストラが熱帯の気候とは言え、午前中はまだ日射しも弱く気温も過ごしやすい。けれど、人通りが圧倒的に少なかった。建物の影には人の姿が多少は散見するものの、いずれも力無く座り込んでいたり、何かの賭事に興じていて、表の方には目もくれようとしない。この全体的に漂う無気力感は、やはりクワストラ国を覆う不況の影響だろう。この街並みを見て、経済活動を刺激する何らかの対策を打たねばならないと考えるのは、為政者として当然であると言える。
「観光とは言っても、あまり面白い物はありませんね。お店もほとんど閉まっていますし」
「バラクーダは港町だから好況なだけで、他は大体このようなものなのだろう。だから、経済活動を活発化させたいと考えている」
「今回の入札会で、少しは良くなるといいですね」
ホテル近辺の中心街は、特にこれといって足を止める物はなかった。ホテルの中は外国人向けにあつらえてあるが、外はほとんど娯楽らしい娯楽もなく、退屈以外の言葉が思いつかなかった。ファルスは客船建造のために作られた町だそうだが、そのせいで町としての機能面がおざなりになっているのだろう。
「ところで、サイファーさん。新婚旅行は東部地方からセディアランドを経由し、ラングリスに寄り道してから戻って来たんですよね」
「なんだ、突然。いつの話だ」
アーリンの唐突な質問に、思わず吃る。
確かにルイと一度、長期の旅行に出掛けた事がある。比較的治安の良い東部を巡り、セディアランドとラングリスに立ち寄って旧知に挨拶をして来た。俺にとっては人生で初めての長期休暇ではあったが、旅行の内容は極普通のありふれたものである。メジャーな観光ガイドをなぞっただけに過ぎない。
「ですから、新婚旅行ですよ。やっぱり、こんな風に町中を観光して歩いたりしたんでしょう?」
「そんな事、誰でもするだろう。俺達も同じだ。特に変わりはない」
「私の場合は、子供の時はまず警備の人が一緒でしたから。自由に歩けなかったんですよね。それに、あの父親ですから家族旅行なんて経験ありませんし。だから、興味があったんですよね。普通は、旅行とはどういう事をするのか」
外交官の家庭というのは、一般とは異なった境遇にある。特にフェルナン大使の家庭は、特に確かめた訳ではないが、複雑な事情を抱えていそうである。アーリンはそこに振り回されて育ったのだから、俺にとって当たり前の事も物珍しく思うのだろう。
ファルスにはこれ以上特に観るようなものもなく、時折クワストラの名産である貴金属店を眺めたりし、特筆すべき事も無い散策で午前中を過ごす。その後、一旦ホテルへ戻り昼食を取った。外で食べるのも良いかと思われたが、ファルスはバラクーダのように食料品が豊富に流通している訳ではなく、めぼしい飲食店が見当たらなかったせいである。これから気温も本格的に上がる事もあり、このまま午後も同じような散策をする気にはなれない。そんな事を思いながら食後のアイスティーを飲んでいると、アーリンが唐突に切り出して来た。
「サイファーさん、そろそろ港へ行ってみませんか? ファルス号は、昼頃に入港するそうですから」
「それはどこで聞いたんだ?」
「さっき、向こうの席で話していたのを耳にしたんです。あれ、東部のサザンカ商会の営業のようですよ」
「盗み聞きというのは、あまり行儀の良いものではないが。まあ、この暑さだ。水辺の方が過ごし易いかも知れんな」
昼食を済ませた後、俺達は再び町へと繰り出した。午前中とは違い、外の日差しは非常に強く、帽子やフードを被っていなければ、太陽の光で頭が焼けてしまいそうに思えた。その上、日差しを避けてうつむいても、石畳からの照り返しが同等に強く、とても下など向いてはいられなかった。この、いよいよクワストラらしい気候に、俺達は自然と多少遠回りでも建物の影を縫って歩くようになっていた。
「見て下さい、あれがファルス号じゃないですか?」
しばらく歩いて付近に港の看板が見え始めた頃、アーリンが港の方を指差して叫んだ。丁度、町と港を区切る石壁の天辺から、メインマストが飛び出しているのが見えた。帆は既に折り畳まれており、どうやら船は港に停泊中のようだった。
驚くべきは、その規格外の大きさだろう。港からはさほど離れていないとは言え、こちらの背を遥かに超えるであろう高さの石壁を、そのマストは悠々と飛び越えている。あれだけ太く高いマストを支えるだけでも、船体は相当な大きさになるだろう。まさに、世界随一の大型豪華客船という売り文句に偽りは無しといった所である。
「この距離から、あれだけ見えるとはな。本当に巨大な客船なんだな」
「凄いですね、あんなに大きなマストがあるなんて。早く行ってみましょう!」
あまりに規格外の物を見せられ興奮したのか、アーリンは俺の腕を取って港へ急ごうとせっつき始める。
「別に急がなくてもいいだろう? どうせ、明日はあれに乗るのだから」
「外観をゆっくり眺められるのは、今日だけですよ。ほら、早くしないと人が集まって来ちゃいますよ」
とは言え、こんな気温の中で走るなんて気には到底なる事は出来ない。当然俺は渋ったのだが、意外と周囲に他の観光客が居たのだろう、自然と出来上がった港へ向かう人々の流れに呑まれ、気が付けばアーリンと共に駆け足で港へと向かっていた。
フェルナン大使の世話から離れられた、などと全く思わなかった訳ではなかったが。しかし、これでは普段とあまり変わらないのではないか。そう俺は自虐的に思った。