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 レイモンド商会の営業二人との挨拶もそこそこに、俺達は港へと出発した。ニコライ達は大使館前まで自社の馬車で乗り付けて来たため、俺達は大使館の馬車と分乗する。クワストラ国の情勢などを聞いておきたかったが、それは船の中へ持ち越しとなった。
 アーリンは馬車へ乗り込むや否や、ノートや資料を広げて、何かの確認を始めた。移動中も余念の無い様子を見ると、今回のクワストラ遠征に並々ならぬ意欲があるようだが、大使もまたそれを不安に思うのだろう。
「それは何を確認されているのです?」
 何気にそう訊ねてみると、アーリンは不思議そうな表情を浮かべながら顔を上げた。
「クワストラ政府が内向けに発表した、今回の開発要綱ですよ。それと、敬語は止めて下さい。サイファーさんの方が年上ですし、先輩じゃないですか」
「それもそうか」
 大使の娘であるため、何となしに言葉を選んでいたが。そういう事は気になるのだろう。
「どこの企業が何に入札するのか、予め見当を付けておきたいですから」
「何か理由があるのか?」
「内容次第で、今後どこが成長するのか、逆にどこが落ち目なのか。他にも、企業の体力や性格も測れます。それも、親交を深めるという形でさり気なく」
「深めてどうするんだ? 株屋をやる訳でもあるまい」
「つては多い方が良いに決まってますから。それと、困った時に藁にすがってもしょうがないですし」
 つまりは、自分が将来外交官になった時に備えて、人脈作りをしておこうという魂胆なのだろう。
「サイファーさんも、顔を打っておくと良いですよ。せっかく、鉄板ネタがあるんですから」
 それは、俺とルイの事である。ラングリスでの一連の出来事は、未だ語り草になっているのだ。
「俺は、あまりその話はしたくはないんだ」
「そうですか? 勿体ない」
「それよりも、君は少し自分を過信し過ぎだ。偶然で面に出ただけの小娘の話を、名士や外交官がまともに聞いてくれる筈はないだろう」
「そうやって侮られるであろう事も、ちゃんと自覚してますよ。ところでサイファーさん、レイモンド商会からのワインですけど。本命は、ニコライさんのカバンの中じゃないですか?」
 唐突な質問に首を傾げるものの、まるで試すような眼差しを向けるアーリンに、あまり真っ当に受け答えするべきではないと思い直す。
「質問で返すが、何故そう思う?」
「営業用の重いカバンを、重役がわざわざ自分で持つ場合は限られていますから。重要な商談か、若しくは重要な物を運んでいる時です。まさか大使相手に内密の商談は無いでしょうし」
「その商談だったらどうする? 現金に全く興味のない人ではないぞ」
「幾らお父様でも、大使の肩書きを天秤にかけるほど愚かではありませんよ。百歩譲ってそうだったとして、それをサイファーさんの前で行う訳がないでしょうし」
 思ったよりも良く観ている。半分に聞いていたつもりだったが、そう思わず感心してしまった。だが、そんな俺の反応を見たアーリンは、
「思ったより目聡い、と思いましたね?」
 そう見透かすようなわざとらしい眼差しを向けてきた。流石にこれは露骨過ぎる、俺は思わず苦笑いを浮かべる。
「ああ。そして、それと分かっていて、何故引っかかったのかも疑問だな」
「簡単ですよ。大人を安心させるためです。大人は自分の枠組みの中に嵌っていない子供は、非常に不安に思ったり危険視したりするものです。だから、逆にこちらからその狭い枠組みの中に収まってあげて、安心させる訳です」
「何のために?」
「歳不相応に聡過ぎるのも、かえって大人を不安にさせますから。サイファーさんが同行する以上、サイファーさんの手に負える程度だと思わせておかないと」
 それはつまり、自分は俺の手には負えない人間だと、暗に言っているのだろうか。
 確かにこの考え方は、良くも悪くも歳相応ではない。実際、アーリンはこの歳でもかなり優秀で実務能力があり、父親譲りらしい頭の回転の速さもある。いわゆる早熟型の人物だ。大使が不安に思うのも頷ける話である。経験上、こういったタイプは思わぬ落とし穴に落ちてしまう事が、度々起こり得るのだ。そのフォロー役が俺なのだが、正直なところ俺自身にそこまでの能力があるかは疑問であり、出来るのは首根っこを押さえておく程度の事だろう。おそらく大使も、俺に期待しているのはそっちの方のはずだ。
「とにかく、代理とは言え公務に出るのは初めてなのだから、あまり大仰な事はしないように」
「かと言って、何もしないのも問題ではないですか? 我々はセディアランド国民の税金で養われている訳ですから」
「君を養っているのは、フェルナン大使だ」
「顔を売る程度はいいでしょ。代理で出席して、愛想の一つも見せないんじゃ、かえって印象が悪いでしょうから」
 極論を言えば、ただ出席だけした事実さえあれば良くて、後はレイモンド商会に任せておけば済む話なのだ。けれど、そんなお飾りだけではどうしても気が済まない、それがアーリンだ。
 人当たりの良い、しかしそれでいて頑固で譲らないそんな彼女の笑顔に、俺はただただ唇を噛むばかりだった。俺にはまだ子供は産まれていないが、産まれたのが男にしろ女にしろ、思春期を迎える頃には再びこんな心境に陥るに違いない。