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 アーリャの計画は年単位を必要とし、当初は単なるほとぼり冷ましのために来ていたこの国への滞在も延長しなければならないだろうと、俺はこの成り行きを見てそう思っていた。しかし、一ヶ月もしない内に最初の商品の販売まで漕ぎ着けたと思ったら、そこから週単位でどんどん商業規模を拡大していった。あらゆる事業や分野に手を伸ばしつつこの国の土地までも少しずつ手中へ収め急速に発展していったこの組織は、当然辛うじて残っていた犯罪組織だけでなく諸外国のそれまでをも呼び寄せる事になった。けれどそれはアーリャにとってはただの獲物でしかなく、片っ端から魔法による更正の対象となり、中にはそのままここで働く人間までいる始末だ。アーリャの作った組織が、まるで巨大なネズミ取りのような機能をし始めている。
 その日、俺はニーナと二人で別荘の居間に居た。アーリャが起業して間もなくイリーナ達は独立し、今では自分達だけで医薬品の製造販売を始めている。アーリャは組織運営に付きっ切りで、最近は特に帰って来ない事の方が多い。俺達もそれとほとんど同じで、ここに帰ってきたのも一週間ぶりだった。
「単なるほとぼり冷まし、要するに休暇だったはずなのに。何だか、普段より忙しくなってないかしら」
「確かにな。でも、かえって今の方が充実してるだろ。まともで安定した職にありついて、命を危険に晒すこともない」
「あんた、世界的な冒険者になるのが夢だって言ってなかった?」
「あいつのやる事についていくだけで、十分な冒険者だと思うがな。お前こそ、別に無理に付き合わなくていいんだぞ」
「私はそもそも、冒険者稼業を目指してた訳じゃないから。どこかの非情な誰かさんに引き摺り込まれて、済し崩しに今日までやってきただけよ」
 その遠回しにこちらを非難する言葉に、俺は思わず苦笑いする。記憶を失う前の自分が何をしていてどんな人柄だったのかは、未だに思い出す事は出来ていない。だがこれまでのニーナの言動から察するに、どうやらかなり自分勝手で人を振り回すタイプだった事は確かなようだ。そう、正に今のアーリャとそっくりだったのかも知れない。
「それにしても、まだ半年も経ってないのに異常な繁盛ぶりね。あいつ、例の魔法で洗脳しまくってるんじゃないの? 経済組織と言うよりも、悪徳な新興宗教みたい」
「多かれ少なかれ、世界平和を世界征服でやり遂げようなんて考える奴なんだ、悪人の思想くらいはそうしている」
「でもその悪人って、アーリャの基準での悪人でしょ? アーリャの言う所の悪人が本当に悪人なのかは、誰が担保するのかしら」
「生みの親じゃないのか? 人間を滅ぼそうとしている神様連中の意に添うようにすれば、それは善悪の基準が間違ってない事だろう」
「要するに、アーリャを通して神様ってのに従わされてるって事よね。何だか、あまりいい気分でもないわ」
「考え過ぎじゃないのか? 良く生きようとした結果、神様の意に添うようになっただけなんだから」
 アーリャは普通の出自の人間ではない。俄には信じ難い話だが、この世には我々が神様と呼ぶ存在が複数居て、彼らの中では人間は滅ぼすべきだという意見が多数派となっている。その中で唯一人間に味方した知識の神がアーリャの生みの親である。アーリャによって人間を、滅ぼす必要のない存在にしようとしているのだ。アーリャが、あくまで自らの基準で善悪を決め、悪人を片っ端から消そうとするのはこのためだ。
「ねえ、あんたはこれからどうするの? このまま本当にアーリャにずっとついて行くの?」
「特にそうしない理由は無いからな。いい加減腐れ縁だし、こうなれば最後まで見届けるつもりではあるさ」
「そう。私はどうしようかな。安定した暮らしになるなら、別に構わないんだけど」
「何だ、一緒に残らないのか? 俺としても、信頼出来る、考え方が俺寄りの人間に居て欲しいんだが」
「引き留めるつもりなら、もう少し言葉選んでよね」
 やや不機嫌そうニーナは言い捨てる。自分から如何にも引き留めて欲しそうな物言いをして、言葉まで選ばさせるなんて。ニーナはニーナで、アーリャとはまた違った面倒さがある。俺は気付かれぬよう、小さく溜め息をついた。
 それから、丁度昼下がりの頃だった。相変わらずくつろいでいた俺達の前に突如、何の前触れもなく閃光と共にアーリャが姿を表した。例の瞬間移動の魔法だ。この登場の仕方も、いい加減慣れてしまったものだ。
「どうした? 何かあったんだろ」
「ええ。実は、ちょっと手が足りなくて」
「一人で何でも出来るくせに。それで、相手は誰だ?」
「最近勢力を広げてきた、新興の愚連隊です。こっちの手の内を知っているのか、うまく戦力を分散させて来てなかなか捕まえきれないんですよ」
 これだけ派手にやっているのだから、アーリャが人格を壊す何かをしている程度には知られているのだろう。つまりは、アーリャを徹底的に避けた戦略を使ってきているのだ。幾らアーリャでも、同時に二つ三つともなると上手く立ち回れないようだ。
「なるほどね。幾らお前が強くても、体は一つだもんな」
「写し身を作る魔法ならありますよ」
「絶対に止めろ。で、分かったから一緒に行こう。殺さず生け捕りにしておけばいいんだろ」
「別にどちらでも構いませんよ。レナートのお好きなように」
 しれっと言ってはいるが、アーリャの場合は本当にその言葉通りだから恐ろしい。俺もそういった経験は少なくないが、好き好んでやったりは絶対にしない。むしろ、出来るだけそういった事態にはならないように配慮すらしているのだ。未だ、アーリャと共有出来ない価値観だ。
「ニーナはどうする? 来るか?」
「そうね。手が足りないなら手伝ってあげるわ」
 不機嫌そうな表情ではあるが、態度はまだ柔らかい事に安堵を覚える。本気なら、とっくに黙って出て行ってしまっているのだ。まだ俺達に本格的に愛想を尽かしてはいないようだ。
 今日のこれが片付いても、また明日にはすぐに同じような事が起こるだろう。世界平和の実現なんて未だ本気で信じていないし、アーリャに関わっている間は絶対に面倒事は無くならない。けれど、これはこれで充実しているとは思う。この先、何かしら見出せるものがあるはずだ。