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ここ一週間は働き詰めだったせいか、昨夜はまるで落ちるように眠りにつき、気が付いた頃にはすっかり日が昇ってしまっていた。だがおかげで体の疲れは取れ、非常に寝覚めの良い爽やかな気分だった。
下に降りて居間へと入る。そこにはニーナが居て、窓を開け枠にもたれるような姿勢で外を見ている。
「よう、何を見てるんだ?」
「あら、随分と遅いのね。ほら、あれよあれ」
俺も窓に近付いて外の様子を確かめる。そこはこの別荘の敷地内にあるちょっとした庭なのだが、アーリャの他に子供達三人が集まってその一画を囲んでいる。良く見ると、いつの間にか花壇を作っていて、そこにある植物を皆で囲んで見ているようだった。
「と、これが主になる品種です。特徴は、このやや青みがかった葉の色ですね」
アーリャが花壇にある植物について、三人に説明をしている。いずれも何やら熱心にそれを聞いているようだった。
「何なんだ、あれ?」
「例の計画よ。三人を自活させるっていう」
「本気で薬草農家させるつもりなのか?」
「どうもそれだけじゃなさそうよ。聞いた感じだと」
イリーナとシードルは貧農の生まれだが、農業を一から十までこなすには、まだ体力的にも年齢的にも大分厳しいだろう。レオニードにいたってはそんな経験すらなく、体力だけならシードルにも劣るような気さえする。薬草なら少量で単価も高いのかも知れないが、そんなに楽に稼げるのであればみんなこぞって転職している。結局の所、子供達だけで自活するには程遠いのだ。
「こちらは、茎が太く白い産毛が生えています。それでこちらは、葉の裏を見て下さい。このように赤黒い斑点がついています」
三人はアーリャの説明を熱心に聞いているが、それが果たしてどれだけ役に立つのか分かったものではない。アーリャは一体何を企んでいるのか、俺にはまるで見当もつかなかった。
「ま、あいつが大丈夫だと言ってるんだし、何か勝算はあるんだろ」
「あら、いつの間にそこまで信頼するようになったの? 自分は監視役だと言ってたじゃない」
「少なくともあいつは、子供相手に無茶はしないだろうからな。それに、具体的に行動へ移す前に、駄目そうなら止めるさ。本当に見張っていないといけないのは、明らかな荒事をする時だけだ」
「厚い信頼関係ねえ。随分と入れ込むようになったのね」
「何だかんだで、それなりの付き合いになってきたからな」
アーリャの講釈はしばらく続きそうな雰囲気だったので、俺はそれ以上の観覧は止めることにした。台所にあったパイとお茶で朝食を済ませた後、再び居間のソファへ深く腰を下ろしながらのんびりと雑誌へ目を通す。しばらくぶりに落ち着いた午前を過ごしていると思いつつ、どことなく物足りなさも感じていた。自分ではもっと穏やかな性格だと思っていたが、どうやら特に最近はそうでもないのかも知れないと疑うようになる。記憶を無くす前の性格があんなだったから、その辺りの本性はまだ続いているのかも知れない。
丁度昼前くらいになって、アーリャ達が中へ戻ってくる。俺は雑誌を眺めながらうとうとしていて、その足音でハッと我に返った。
「レナートもやっと起きて来ましたね。もしかして最近疲れているんですか?」
「お前にそれを言われるのはしゃくだが……お前は元気だな」
「良く食べて、良く休んでいますから。人間とは成長するものですよ」
子供並の体力しかない事は、アーリャの欠点でもあり、制御する上での利点でもあった。もし本当に俺以上の体力をつけられでもしたら、今後は大分厄介なことになる。アーリャに対するストッパーが不在なるのと同じ事だ。
「それで、さっきのは何の講習会だったんだ? 葉っぱがどうとか言ってたが」
「ええ。例えばこれなんですけど」
そう言って、おもむろに取り出した一枚の青みがかった葉を俺に手渡す。当然だが、俺には何の変哲もない雑草にしか見えない。
「何だこれ? 何に効くんだ?」
「それは毒薬です。心臓の」
瞬間、俺は思わずテーブルの上に葉を放り捨てた。
「お前、何を栽培してるんだ。洒落じゃ済まないぞ」
遅れて、背筋がざわつき悪寒が頭の天辺まで駆け上がる。あまりの事に嫌悪感どころか、怒りすら込み上げて来そうになった。
「素手でちょっと触ったくらいじゃ、何ともなりませんよ。それに、確かに普通に葉を一枚噛んだくらいだと毒にしかなりませんが、きちんと適量に稀釈すれば有効な強心剤になるんです。これ一枚で、およそ二十名分に相当するんですよ」
物は言い様とは思うのだが、確かにそう言われるとこの葉に対する嫌悪感が一気に裏返った。以前にも、心臓病の薬は心臓に対する毒薬でもあると聞いたことがある。結局の所、毒と薬は表裏一体なのだ。
「それで、これをどうするんだ? 製薬会社にでも売るのか?」
「いいえ、薬を調合して売りに出そうかと思います。幸いにもこの国は、麻薬を売るために敢えてそうしているのか、薬事関係の法律は非常に規制が緩いのです。ですから、自分達で調合した薬でも売れるんですよ」
「簡単に言うがな。薬草の栽培は出来るとしても、調合なんてそれこそ素人には無理だろう?」
「それこそ、レオニードの出番じゃないですか。詳しい容量や方法は、私が教えます。それで十分でしょう」
なるほど、それが狙いだったのか。俺は納得し頷いた。
現状、既に目立った組織は潰されているため、薬品の販売ルートは無いに等しい。そこへ新たに、真っ当な医薬品を個人レベルで生産して売るのは困難ではないだろう。薬草の栽培は、イリーナとシードルが。調合はレオニードが行う。そして総合的な指導を、知識だけはあるアーリャが受け持つ。確かに少し前までのぼんやりとしたイメージとは違って、具体的に何とかなるような気がしてきた。